闇雫
一周年企画
 乾燥させて細かく刻んだ薬草を数種類混ぜ、石製の薬研(ヤゲン)で擦り潰して粉末にする。地道だが意外と時間が掛かる作業を、体を前屈みにしながら貴夜は黙々と続けていた。転がされる石の音が響く、山間の静かな小屋。雪が舞う外とは違い、囲炉裏に火が入った室内は暖かい。

 勝手知ったる部屋の中、朝希は沸いた湯で茶をいれ、貴夜の側に置いた。そして、実の振り分け等の手伝いを終えて脇に退けていた幾つかの小さな坪を壁際の定位置に戻す。貴夜は手を休め、前屈みになっていた姿勢を戻して軽く息をつくと、朝希を見上げてほんの微かに口角を上げた。気を付けていなければ見落とす程の微笑。

「助かる。・・・・・・もう今日は終わりにしよう。」

「ああ。お疲れ。」

 貴夜に微笑み返し、元の場所に座った朝希は自分の湯呑みに手を伸ばした。同居しているわけではないが、元々物が少ない小屋に通う余り、朝希専用になってしまった物が幾つかあった。

 無言で席を立ち、部屋の角の引き出しから包みを取り出した貴夜は、それを見つめて握りしめ、落ち着かせるように目を閉じた。容姿の所為で日用品を揃える事も不便な貴夜は、そういった事の殆ど全てを緋理と言う名の女性に頼んでいる。彼女は貴夜を取り上げた助産師で、結婚して麓の村に落ち着いた今も何かと貴夜の面倒を見ている。この箸も、彼女を通して手に入れた物だ。

 貴夜は目を開け、再び囲炉裏の前に戻ると、瞳を反らしがちに薄く細長い包みを朝希の前に突き出した。

「・・・・・・見て良いのか?」

 受け取りながら尋ねられ、何処か緊張した面持ちで頷く。

「緋理が、買った。お前のだ。」

 開けると中には、渋味のある光沢を放つ一膳の男性用箸。上にいく程黒のグラデーションになる様に塗られた持ち手には、並べて一つの絵になるよう銀の三日月が描かれている。驚いた朝希の顔に、次第に笑みが広がった。そういえば此処で使わせて貰っている箸は、何時から使われているのか、大分傷んでいる。

「有難う。緋理さんが選んだ物でも、買うように頼んでくれたのは貴夜なんだろう? 明日から大事に使わせて貰うよ。本当に・・・・・・有難な。」

 するりと撫でる様に左の前髪を梳いていく、あたたかな手。直ぐに離れていくのは、まだ人との触れ合いに不慣れな貴夜の為。敢えて言わなかった、恥ずかしさに言えなかった事を悟り、明日も此処で時を過ごすと告げる嬉しそうな朝希の笑みは、貴夜の心をじわりとあたたかくさせた。だが礼を言われても返す言葉が分からず、俯いてからただ頷いた。

 主に夕刻過ぎだが、朝希は二日に一度は貴夜の住む小屋を訪れ、今では泊まる事もある。基本的に夜型の貴夜と違い、深夜過ぎに朝希一人が寝てしまう日もあるが、互いに自分の生活というものがある以上、当然の事だった。

 女が媚びてくるという遊郭でもなく、不自由無い自分の家でもなく、造りはしっかりしているが小さなこの小屋で、自分の傍に居る。どれだけ物好きなのかと眉をひそめていた筈が、何時の間にか、朝希の訪れを待つ様になっていた。台所経験の無い朝希の為に、半ば当然の事として、日々彼の分まで食事を作り始めた自分がいる。出会った頃は考えもしなかった幾つかの変化。貴夜の一番の戸惑いは、それを嬉しいと感じている事にあった。

 気を紛らわせる為にぎこちなく湯呑みを手にする貴夜を、朝希は優しく見つめた。流れる穏やかな空気は、沈黙を安らぎに変える。

 頑なに人を寄せ付けない手負いの獣が、心を開いている。去る事だけを望まれていた頃が嘘の様に、手渡された一膳の箸は、傍らに在る事を許している証明に見えた。

 湯呑みの脇にそっと箸を置き、どうしようもない程に浮かぶ笑みもそのままに、朝希は独り言の様に声を掛けた。

「会ってから、一年になるんだな。貴夜とこんな風に過ごせて嬉しいよ。」

 貴夜は顔を上げ、僅かに目を細めてその笑みを見つめた。たかだか箸を一膳、渡しただけ。それなのに何故、自分が何かを得た様な気持ちになるのだろう。

「・・・・・・・・・お前は、相変わらず変な奴だ。」

 出会ってから幾度となく口に出る困惑の言葉は、今も本音。だが、何時しかその声音にあたたかみが宿った事に、気付いていないのは貴夜だけだ。

「でも、嫌いじゃないだろう? 俺は、貴夜と居られるなら変でも良い。」

 ふっと流し目され、その一瞬、貴夜は体の中に何かが流れた気がした。朝希と居る時にだけ、時々起こる変化。理由も対処の仕方も分からず、何時も無言になってしまう。表情に影響が無い事だけが救いだった。

 貴夜が返事に困っているのを察し、朝希がくすりと笑う。言葉に嘘は無い。だが、貴夜のこんな様子が楽しく、故に敢えて素直に言っているのだとは、口が裂けても言えない。まして、否定的な事が言えないからこそ言葉に窮している貴夜が可愛いなどと。追い詰めない程度の強さで白い指先を搦め捕り、少し冷たいそれを親指で撫でた。

「来年の今頃も、こうしていような。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 さしたる表情の変化も無い侭無言で、だが僅かに震えながらも珍しく指先を振り解かずに、貴夜は小さく頷いた。朝希は決して自分を追い詰めない。だが、逃がす事も無いのだと気付いたのはつい最近。強くもなく弱くもない何かで、自分を引き込んでいく。

 人間という存在、他者を受け入れていくという事に、まだまだ抵抗があるのも事実。朝希を信じ切れているわけでも無い。

 だが、心地良い距離感で捕らえられていく感覚は甘さを帯び、何れはもっと心を許してしまうだろう予感がしていた。





「あいつと会って、一年になる。何が楽しいのか知らないが、何時も来るから・・・・・・新しいのは、あいつ用にしても良いと思ってな。多分・・・・・・そうしたら、あいつ笑うだろうから・・・・・・。」

 銀の色が入った箸が欲しい、と緋理に頼んだ貴夜が、その時の会話で照れながら打ち明けた言葉。笑顔を望む自覚は無く、その穏やかな笑みから得るぬくもりを感じていたい自分に、気付き始めたばかり。

 出会ってどれくらい、と数える程の年月でもなければ、祝う関係でもない。だが、重ねている月日が心に芽吹かせたものを無視出来無い。

そんな一場面を朝希が知るのは、それから約半年後。貴夜が緋理を紹介した時の事。










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