いつか見た夕日の下で
一周年企画
『行くのか?』

『うん。行くよ』


 夕焼けに染まる校舎。

 不思議なほど静まり返った校内。

 冬の冷たい空気だけが、二人の間を通り抜けていったあの時。


『九龍っ』


 背を向け、立ち去ろうとするその背を思わず引き止めた皆守を、九龍はいつもの笑顔を持ってその先に発せられるであろう言葉を封じた。


『・・・こーちゃん』


 優しく、けれど拒むようなそんな声で呼ばれてしまったら、もう何も言えやしない。

 皆守は小さく笑って九龍を見つめ返した。


『・・・じゃあな、九ちゃん。また会おう』


 それが、皆守が発した最後の言葉。

 最後まで、親友のままで。


 大きく頷くその笑顔を見ながら、もう二度と会うことはないんだろうと漠然と思った。






























 あれから一年の月日が経とうとしていた。


 たった三ヶ月。けれど、心の一番深いトコロに刻み込まれたその存在は薄れることなくしっかりと皆守の中にあった。

 あの頃、確かに守りたいと思った存在は、今の皆守には思い出したくない人物として存在していた。

 引き止める言葉も、想いを告げることも許さなかった九龍を、少しばかり恨んでいたのだ。

 忘れたいのに忘れられない。そんなジレンマが心を苛む。

 どうせもう二度と会えないのなら、いっその事嫌いになれたらいいのに。

 そんな風にすら思ってしまう。

 そんなこと、できやしないのに。





 今年も冬が訪れ、別れたあの日がやってくる。

 皆守はクリスマスソングが流れる街中を歩いていた。

 赤と緑と、イルミネーションに飾られた町並みは美しい。

 けれど、今の皆守にはそれらを見るのは心苦しいばかりだった。せっかく依存しないと誓ったアロマに手を出しそうなほどに。

 代わりにタバコに手を出してみたが、未成年である以上おおっぴらには口にすることができず、アロマとは別の意味で依存してしまったが故にイライラとしながら耐えるしかなかった。


「あ〜〜っ、クソっ!」


 ぐわしぐわしと頭をかきながら悪態をつく。

 部屋に篭っていると思考がループして沈んでいく一方だと気分転換に出てきたというのに、これではまるで意味がない。

 だからといって部屋に帰る気にならず、仕方なく皆守はイルミネーションが少ない郊外へと足を向けた。


 だが、住宅街には派手な電飾はないものの、それでもまったくないとは言えず、それらを見るくらいなら自宅にいる方がまだマシな気がして結局帰宅することにした。


(冗談じゃない・・・)


 無造作に靴を脱ぎ捨て狭い部屋の、壁際に置かれたベッドへと腰掛ける。


 縛られている。

 がんじがらめに捕らわれて、逃げ出すことなどできない。

 それが分かるだけに苛立ちが抑えきれない。


 この荒れ狂う感情をどうすればいいのか。



 こんなにも、求めているのに。

「九龍・・・」




















『もしもし!? 皆守クン? ねぇ、よかったら久しぶりに会わない?』


 あれから数日がたったある日、八千穂からの突然の誘いに驚きつつも鬱屈していた気分を払拭するにもいい機会だと誘いに乗ることにした。

 彼女とは卒業以来時折メールで連絡を取り合うのみで、実際に顔をあわせるのは一年ぶりということになる。


 約束の時間、約束の場所に行くと一年前と少し雰囲気の変わった八千穂の姿があって驚く。

 長い髪を背中に下ろし、赤いコートに身を包んだ八智穂はどうやらうっすらと化粧もしているらしい。

 随分女らしくなったもんだと笑えば皆守の姿に気が着いたらしい彼女がこちら向かって大きく手を振った。

 そんな所はまったく変わっていないようだが。


「久しぶりだな」

「うん! 皆守クンは元気だった?」

「八千穂は?」

「ワタシは元気だよ!」

「そのようだな」

 溌剌とした笑顔は記憶の中にある高校生のものと変わらなくて少しほっとする。

 自分だけが、あの時の中を彷徨っている訳ではないと感じるからだろうか。

「・・・皆守クンは少し痩せた?」

「そうか?」

 自分では分からないのだが。

「うーん・・・。引き締まったのかな? よく分からないや」

 難しい顔で悩んだかと思えば能天気な笑顔を浮かべた八千穂に笑い返す。

「変わらないな」

「そりゃあね。簡単には変われないよ! ・・・皆守クンもそうでしょ?」

 何気ないその言葉が胸に刺さった。

「・・・・・・ああ。そうだな」

 かろうじて頷いて。立ち話もなんだからとどこか店に入ろうと促す。


(本当に俺は一年前から変わっていない)


 自嘲気味に笑った皆守を八千穂はしっかりと目撃していた。だからといって彼女は何も言わなかったのだけれど。






 八千穂の用件とは本当にささやかなものだった。

 明日はクリスマスだから、なんとなく会いたくなったのだという。

 その言葉で初めて今日がイヴである事を知った皆守は一瞬にして九龍を思い浮かべた事に顔を歪ませる。

 つまりは、彼女もそうなのだろう。だからこそ、八千穂は皆守に会いに来た。


 忘れることのできない、たった一人の存在。

 三ヶ月という短い季節を共に過ごした仲間。

 皆守と八千穂は誰よりも彼の近くにいた者同士だったから。


 しかし、彼女の口から九龍の事が語られることはなかった。

 だが、別れ際に一言。


『今日はイヴだから、きっと奇跡が起こるよ! 一年前と同じようにねッ!』


 言い残して、再会したときと同じように大きく手を振って皆守に背を向けた。

 それを見送って、皆守も歩き出す。


「奇跡、か・・・」


 奇跡はめったにないからこそ奇跡。

 そうたびたび起こるものじゃないだろ。


 なんて、すでにいない八千穂に突っ込みを入れて、空を見上げた。


 日が落ち始めていた。

 あの日と同じ色をした夕日がやってくる。


 八千穂があんな事をいうから、願いそうになる。

 もう一度、あの日のやり直しを。

 あの時言えなかった言葉。

 二度と会えなくなるのなら、せめて伝えたかった。





 お前が好きだ。俺も連れて行け、と。





 とはいっても、冷静に考えれば伝えた方が二度と会えなくなる可能性のほうが強いだろうに。

 だが、あの時は伝えるべきだと思ったのだ。そうでなければ、二度と会えなくなる、と。


 九龍はなぜあの時、皆守の言葉を止めたのだろう。

 今になって疑問に思う。


(少しでも俺との繋がりが切れることを惜しんでくれたのだろうか・・・)


 そうだといいいと、恨み言も忘れて願った。


(結局、俺は九龍を憎みきれないんだ)


 思いを伝えさせなかったことを恨んだのも、二度と会えないと絶望し会えないのなら忘れたいと思ったのも、すべてはその感情ゆえに。


 けれども、変わらなかった。何も。

 一年という月日が経っても、変わることなく心の奥底にとどまり続ける想い。

 色あせることなく、鮮明に。


 きっと、一生、この想いは薄れることはないだろう。


 なんて、何の確証があってそんなことを思うのか。

 我ながらロマンチストすぎやしないかと笑った。



「・・・行ってみるかな」



 ふと思い立って、あの濃密な時間をすごした學園へと足を向ける。

 思い出に浸るのもいいかと思ったのだ。















 そうして訪れた學園は、記憶にある姿と変わっていないようだった。


(それもそうか。まだ一年しか経っていないんだからな)


 そう。まだ一年しか経っていない。

 それでも、ひどく懐かしい気持ちにさせられる。


 大事なものをなくし、取り戻した場所。


 すでに卒業し部外者となった自分が敷地内に入るのは禁止されているが、門のカギが開いているのをいいことに忍び込む。

 見つからないように周囲をうかがいながら校舎へと近づく。


 すでに冬休みに入っているのに昇降口の入り口が開いていることにいぶかしむ。

 しかし、教師は冬休みも関係ないこと思い出し、なんらかの理由があるのだろうと納得することにした。


 窓から差し込んでくる夕日を辿ると屋上が目に入り、胸中に蘇る別れの日の痛み。


 それでもあの日見た九龍の面影を探して屋上に向かった。










 屋上に上がると、案の定そこには誰もいなかった。

 当たり前のことなのに、わずかに期待してしまったのはきっと八千穂のせいだな、なんて苦笑する。


(懐かしいな・・・)


 ぐるりと、フェンス越しにあたりを見渡す。この場所から見える景色も、夕日の色も記憶の中と同じ。

 あまりにも同じすぎて鮮明に思い出す。



「・・・こーちゃん」



 そう。あの日も、柔らかい声で名を呼んで、皆守の言葉を封じた。


 あまりの恋しさに幻聴まで聞こえてきたのかと、己の愚かさに苦笑を漏らして、けれどあまりにもその声が現実味を帯びていてまさかと身を強張らせる。


「・・・馬鹿な。そんなはずはない」


「なにが、『そんなはずはない』の?」


 そっと背中に触れた手の感触。


「お前が・・・ここに居るはずがない」


「なんで?」


 おかしそうに笑う声に懐かしさと切なさで胸が締め付けられた。


「お前は、あの日・・・一年前に俺たちの・・・俺の前から消えたじゃないか。俺に、何も言わせずに」


「・・・あの時はしょうがなかったんだよ」


「なんだよ、それ」


「・・・だって、聞いたらきっと我慢ができなくなるから」


 離れたくなくなるし。と聞こえた気がするのは気のせいか。


 そうして、肩にささやかな重みがかかる。

 懐かしい香りが届く。風に揺れて首筋と頬をくすぐる髪の感触に、想いがあふれそうになった。


「連絡くらい、くれたっていいだろうが・・・」


「うん。それはごめん。任務で連絡が取れないくらい秘境にいてさ。ようやく、休みが取れたんだよ」


 この學園に来た頃の九龍は、まだ新米のハンターだったが、3ヶ月という短い期間でハンターランキング上位の常連となった。

 優れた能力を持つハンターに仕事が多く回るのは仕方がないことだとは分かっている。わかっているが、こちらがどんな思いでいたと思っているのか。


「・・・九龍」


「ん?」


「九龍」


「なに?」


「九龍っ」


「えっ? わっ」


 身を翻し、驚いた様子でこちらを見つめる九龍をそのまま抱きしめた。

 そこにいるのは紛れもない葉佩九龍だと確信したとたん、気持ちが止まらなくなったのは仕方のないことだろう。

 抱きつぶす勢いで抱きしめると、「苦しいよ」と苦情が来たがそんな事知ったことではない。


「俺が、どんな思いで・・・・・・っ」


「・・・うん。ごめんね」


 そっとまわされた腕。


「会いたかったよ、こーちゃん」


 甘い声音で耳元に囁かれて、皆守は九龍が自分と同じ想いを抱いていることを知る。


「あったかいや」


 小さく笑って、肩口に額を擦り付けてくる九龍に皆守は少しだけ腕の力を緩めて同じように彼の髪に頬を寄せた。


「・・・覚悟しろよ、九ちゃん。二度と離れてなんてやらないからな」


「あはは。情熱的だね」


「からかうな」


「ふふ。からかってないよ。嬉しいだけ。・・・・・・うん。離れないでね」


「ああ。離すもんかよ」










 夕焼けに染まる校舎。

 不思議なほど静まり返った校内。

 冬の冷たい空気だけが、二人の間を通り抜けていったあの時。


 あの日見た夕日の下で、あの時に告げることのできなかった想いを伝えよう。

 別れと絶望の記憶を再会と未来の約束に塗りかえて、今度こそきっと同じ道を歩くために。



 その手を絶対に離さない。



 親友からの一歩を踏み出して、今、皆守は誓うのだった。










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