Dragon's Jewel 前編
2周年企画
 一人の小さな男が、一匹の鼠を小脇に抱えていた。先の尖った帽子は男の顔の1.5倍はあり、下に垂れた先端には小さな丸い飾りがついている。球体の様な体型に貴族の様な服を纏い、爪先が反り返る様に尖った赤い靴を履いている。背中には飾りのように、一対の小さな白い翼がちょこんとついているが、ともすれば顔よりも小さなそれでは、一瞬でも体を浮かす事さえ出来無いだろう。年齢不詳だが決して若くない顔の目と眉の間は比較的離れており、やや目立つ頬骨は赤く染まっていた。男の鼻は下向きに伸び、上唇に張り付くように低いが、潰れて横に広がっているわけではない。整っているとは言えないが、愛嬌のある顔だ。突き出た上唇、それに比べ極端に小さな下唇。その両方を尖らせ、顔を前に向けたまま目線だけをじろりと下げ、白鼠に説教をしていた。
「あれ程なりませんと言ったでしょう。これは我が姫君に送られた大切な苺。それを齧るとは、一体何を考えておいでか。これを機に、一度厳しく罰して貰う必要がありますな。」
「だって真っ赤で大きくて美味しそうだったもんでよぉ。実際……ああ、思い出しただけで涎が……。」
 上着だけを着た白鼠が、じゅるり、と涎を引っ込めた。長い尻尾を入れなければ、小男の半分程の大きさである。問題の苺は、鼠とは反対側の手で男が持っていた。紐で巻かれ持ち易いように吊り下げられたそれは、鼠の胴体部と同じくらいあり、よく熟れている。上部には、大きくかぶりつかれた跡があった。
「まぁそんな怒るなよぉ。しょっちゅう送られてくるんだから、ちょっとくらい……。ホントは、自分だって食べたいとか思ったりしちゃうんだろ〜?」
 小男は一瞬だけ言葉に詰まった。真っ赤な苺は、その色艶と香りで自らの甘さを主張する。だが彼の役目はこの苺を大切な主人に届けることであり、摘み食いする事ではない。
「そんな事ばかり言って……。知りませんぞ、私は。」
「姫様は優しいから、きっと許してくれなさるさぁ。」
 悪びれもせず、白鼠はてへっと笑った。
「どうぞ中へ。姫様がお待ちです。」
 女官の声がし、二人の進路を絶っていた大きな布が左右に割れた。小男は中に入り、正方形に列んだ床石の上を歩く。その奥に、彼が敬愛してやまない主人の姿が見えてきた。一部屋を通り過ぎる頃には、その美しさはよりはっきり視界に映る。胸を張って主に近付いた小男は、そのソファの前で球体の体を精一杯前に倒してうやうやしく礼をした。
「ご機嫌麗しゅう御座居ます、姫様。」
「今日もお綺麗ですぅ、姫様。」
 白鼠も照れた顔で上目使いにちらちらと見ながら、忙しなく尻尾を揺らした。
「こんにちは。」
 中性的なよく通る声が楽しそうに答えた。耳が隠れる程度に伸びた淡い金髪が、やはり中性的に整った顔に掛かっている。オリーブグリーンの瞳は宝石の様に煌めき、ふっくらと赤い唇は優しく弧を描いていた。白くやや線が細い肩や胸板は露出し、伸びやかな手足は半透明の柔らかな布に覆われている。『姫様』と呼ばれているが、しかし、その容姿は美しい青年だ。ゆったりとした服に身を包んだ姫は、小さく膨らんだ腹部に瞳と同色の布を巻いている。
「体調は如何がです? 神子様も順調ですか?」
 小男は顔を上げ、姫に尋ねた。彼は毎日、大切な主の様子を確かめる。
「お蔭様で、僕も神子も順調ですよ。明後日には、次の姫に無事お送り出来そうです。」
 そう言って綺麗に微笑む姫に、白鼠と小男は揃って見惚れた。
 この世界には12の国があり、各国に最低一人は『姫』と呼ばれる特別な者が居る。性別は関係なく、姫として国を代表する宝石の特徴を持って生まれ、成人すると一年に一度、一ヶ月間のみ、腹に子を宿す。例えば1番目の国の姫が子を宿すと、一ヶ月後には2番目の国の姫がその子を受け取り、更に一ヶ月後に3番目の国の姫に受け渡す。そうやって全ての国の姫を経由した子を、12番目の国の姫が生む。何番目の国の姫が最初に子を宿すかはその年によるが、そうして生まれた子は天上の使者に渡され、経由した姫達に見守られながら天に昇り、故に子は『神子』と呼ばれるのである。
 どの国の姫達も美しいと評判だが、その中で最も美しいのは今目の前に居られる姫様に違いないと、小男は今日も心底思った。
「……姫様ぁ〜……。」
 小脇に抱えた白鼠がうっとりした声を発し、我に返った小男は咳払いをして用件を伝えた。
「ウィステリア様から、本日もお手紙と苺が届いて御座居ます。」
 小男が手紙を渡すと、姫は嬉しそうにそれを広げた。字を書くのが苦手な恋人が、それでもこまめにくれる手紙。無骨な字が並んだそれを読み終え、姫は薄らと頬を染めた。
「今夜……。」
 姫は他国に住む恋人をとても愛している。その彼が折角送ってきてくれた物を、この白鼠は齧ってしまった。姫が悲しんだらどうしてくれよう。そう思いながら、小男は口を開いた。
「……姫様……あのですね。」
「どうしました?」
「実は……、この白鼠めが、この大切な苺に齧り付いてしまいました。」
 小男は、くるりと苺を回してその部分を掲げた。一番膨らんだ所が、瑞々しい内側を見せている。
「我慢出来無かったんですよぅ〜……。御免なさいまし姫様。」
 耳を伏せ、しょんぼりとしたのは一瞬。白鼠はパッと顔を上げ、興奮して言った。
「ですがこれはとっても美味しいですよぅ! 感動ですぅ! 姫様は何時も、ウィステリア様にこんな感動を貰っておいでなんですね!」
 喜々としてそう言う白鼠に姫はにっこりと笑い、側に控えていた女官に言った。
「大皿で分けて下さい。皆で一緒に食べましょう。」
 小男は寛大な措置に涙を流し、隙を見て脇から飛び降りた白鼠は小躍りし、女官達は黄色い声を上げた。

「……と言う事になりました。」
 星明かりが優しい庭園を歩きながら、姫は楽しそうに昼間の様子を話していた。隣には、会いに来てくれたばかりの恋人、ウィステリア。藤色の前髪は中央で二つに分けられ、残りは後ろで高く一つに結ばれている。貴族服を来ている事を抜きにしてもその顔は凛々しく、神子を宿す体を労るように、姫の肩にそっと手を添えている。
「とても美味しい苺を、何時も有難う御座居ます。お陰で今日は、とても楽しい一日になりました。」
 弾んだ声で話す美しい姫を、ウィステリアは優しく目を細めて見つめた。
「皆、変わり無いようだな。姫が毎日そうして笑っているのなら、俺も嬉しい。」
 すると、姫は突然立ち止まり、拗ねた様にそっぽを向いて見せた。
「今、『姫』は、嫌です。」
 二人の時は名前を呼ぶと約束している。ウィステリアが照れ屋だと知っていて、敢えてそうする姫の口は、静かに笑っていた。
「………リリウム。」
 少し困った顔でウィステリアが名を呼んだ。まだ恥ずかしい。が、此方を向いて欲しい。その想いが伝わって、リリウムは嬉しそうにウィステリアに向き直った。照れた顔が可愛いと言ったら、生真面目で照れ屋な彼は、どんな反応をするだろう。姫は姫としか呼ばれないこの世界で、例えば自分なら代々継がれる『ペリドットの姫』としか呼ばれない『姫』達が、名前を呼んで貰うという当たり前の行為にどれだけ憧れているか、彼は知っているだろうか。
「大好きです、ウィステリア……。」
 肩口に頭を寄せると、そっと抱き締められた。腹部を気遣う優しい力に、胸があたたかくなる。
「俺も……リリウムだけが、好きだ。」
 耳元で囁かれた言葉、甘くも必死なその声音。まさか言って貰えるとは思っていなかったリリウムの心臓は、壊れそうな程ドキドキした。想いが叶ってまだ一ヶ月。早い展開など望めないが、実際の所このペースは、リリウムにも丁度良かった。
「あ………。」
「どうした?」
 突然腹部に手をやったリリウムに、ウィステリアが焦る。強く抱き締めてしまったのだろうか。するとリリウムは、頬を朱に染めたまま、恥ずかしそうに言った。
「神子が反応しました……。」
 神子は母体の強い感情に呼応する。自分の告白をそんなにも喜んでくれたのかと、ウィステリアも朱い頬で嬉しそうに笑った。膨らんだ腹部を、リリウムの手の上からそっと撫でる。
「神子が宿るというのは、嬉しいものだな。」
「貴方もそう思って下さいますか? 例え一ヶ月でも、神子はとても優しい気持ちを僕に下さいます。だからお送りする前に、神子に少しでも喜びを感じて頂けて嬉しい……。有難う御座居ます、ウィステリア。」
「い、いや、俺は何も……。喜んでくれたのは、リリウムだ。もう戻ろう、夜気にあたりすぎても良くない。」
 ウィステリアは再びリリウムの肩を抱き、促した。
「そうですね。」
 送り日は近い。リリウムは笑いながらも素直に頷き、照れたウィステリアの腰に手を回した。
 何れ産まれる神子が、今の自分と同じく幸せに包まれている事を願って。










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