Dragon's Jewel 後編
2周年企画
日も傾いた夕方。国のメイン通りでは、重要な式典が行われていた。民は道に押し掛け、建物の窓という窓から顔を出し、一行の真上以外の頭上を、白い翼や様々な羽を持った者達が飛び交う。国中の者全てが集まったかのような人出だが、騒がしいわけではない。人々の表情は明るいが、どこか厳かな雰囲気が漂っている。
様々な楽器を持った音楽隊が先を行き、続いて屋根無し馬車に乗った王と王妃。そして色とりどりの花が華やかに飾られた花籠に入った姫と、その後ろにはカタツムリに乗った数名の女官達。大きな蜥蜴(トカゲ)に乗った近衛兵が、それら全体を囲むように配置についていた。
今日は神子送りの日である。
この世界の12の国は円を描くように列んでおり、その中央は、どの国にも属さない神聖な領域になっている。其処では国や全ての拘束から解き放たれる為、駆け落ち等に使われる事も多い。そういった場合、この地で唯一影響力を持つ『姫達』が問題を解決する事になっていた。神子に関する儀式も、全て此処で執り行われる事になっている。一行はその地へ向かっていた。
大きな花籠に乗った姫は優しく微笑み、左右を埋め尽くして手を振り声を掛けてくる民達に、少し華奢な白い手を振った。この世の者とは思えない美しさを持ち、この世界を守る龍神の子を宿す姫は、全ての者から愛されている。
花籠を引くカタツムリ達を御するのは、球体のような体型をした小男。特徴的だが人の良さそうな顔が、今は誇らしげに輝いている。姫に対する忠誠心が人一倍篤い彼は、姫自らが指名出来るこの名誉ある役割に今回も自分が選ばれたと知った時、滝の様な涙を流して、もう何度目にもなる『一生の忠誠』を誓った。今回は姫の恋人が選ばれると思い、寂しさを堪えて諦めていたのだ。
国境線に着いた一同が大きく中央を開けて二つに別れる。姫が乗った花籠は王の前で止まり、挨拶を交わした後、女官を連れて神聖なる土地へと進んだ。
聖なる土地の中央にある階段下に、一人の青年が立っていた。藤色の髪に、それよりも少し濃い瞳。貴族の正装服に身を包み、近付いてくる花籠に乗った美しい姫を、穏やかな笑みを浮かべて見つめている。その反対側では、つい先程到着した『サファイアの姫』とその夫、そして女官達が並んでいた。
『ペリドットの姫』が乗った花籠がゆっくりと止まる。うやうやしく、けれど身長から精一杯伸ばされた小男の手を借り、姫が降りてくる。そして階段下で待っていた恋人ウィステリアと、久し振りに再会する『サファイアの姫』夫婦に微笑んだ。ウィステリアと並んで二人と一礼を交わし、二人の姫を挟むように並ぶ。そして各々腕を組み、歩調を合わせてゆっくりと階段を上り始めた。その約2メートル後ろに、女官達が続く。
ウィステリアは自分に絡む手が少し震えている事に気付いたが、この地に足を踏み入れた時から姫の儀式は始まっており、話し掛ける事は出来無い。
階段を上った姫は、行ってきますと告げるように、組んでいたウィステリアの手を両手で握って笑みを浮かべた。その笑みも、何処か固い。ウィステリアはふっと微笑むとその場に片膝を付き、姫の手の甲にくちづけた。励ますようにきゅっと手を握り、オリーブグリーンの瞳を見つめる。姫は頬を朱色に染めながらも静かに頷き、『サファイアの姫』と数名の女官達と共に神殿の中に消えていった。
儀式は深夜。それ迄の間、姫達は身を清め、支度を調え、『姫』のみが入室を許可される部屋で祈りを捧げて、全ての準備を整えるのだ。付き添いの男達が姫を迎える為に再び同じ場所に立つのは、数時間後の事である。
カラカラと小さな音をたてる花籠と、後ろに続く女官が乗ったカタツムリ達が、のんびりと夜道を走る。数時間前の賑やかさは其処には無い。神子送りの儀式は体力を消耗してしまう為、ゆっくり休めるようにと配慮しているのだ。それでも時々窓から覗いて手を振る者はいて、眠っている姫の代わりに、小男が手を振り返す。今回初めて同席しているウィステリアも、小男に頼まれそれに倣っていた。
姫同士の交流は深く、他国の姫を訪ね合う事も珍しくない。だからこそ見る事が出来た姿。偶然は度々二人に話す機会を作り、ウィステリアが姫に心惹かれるのに、そう時間は掛からなかった。去年の今頃は、それでも高嶺の花だと思っていたのに。姫はきめ細かな白い肌を月光に晒し、自分の隣で無防備に寝入っている。
『姫』しか入れない部屋でどんな儀式が行われているのかは他言無用になっている。歴代の姫達もそれを聞くのではなく、初めてのその時に自然と理解するのだと言う。それは相当な体力・精神力を必要とし、神子を受け取った姫も、送った姫も、必ずこうなってしまうのだ。
「もし眠ってしまったら、あまり寝顔を見ないで下さいね?」
今朝恥ずかしそうに姫は言っていたが、愛しい者の寝顔には、つい目がいってしまうものである。ウィステリアはそっと姫の長い前髪を横に流した。
「お疲れ様、リリウム。」
「……ん……。」
ピクリと身じろぎした姫が、薄らと目を開けた。あまり表情が無いまま間近にある藤色の瞳を見つめ、そっと腕を伸ばし、けれどぎゅっとウィステリアの服を掴み、擦り寄る。
「神子が……僕から旅立っていかれました。」
ウィステリアは、花の香りがする細めの体を強く抱き締めた。一ヶ月とは言え、子を宿していたのだ。何度経験しても、色々な想いが湧くのだろう。
「次はどの様な神子が宿るのだろうな。」
淡い光沢を放つ柔らかな髪を梳いてそう言うと、リリウムが小さく笑った。
「もう、次の神子の話ですか?」
「神子が感じる程の感情をリリウムに伝えられる事の喜びを、知ってしまったばかりだからな。……尤も、リリウムに姫という役目が無くても、それは関係無い事だが。」
リリウムを通して神子に感情を伝える喜びではなく。神子が感じる程の想いをリリウムに伝える喜び。似て非なるそれは、リリウムという個人あっての『姫』だという事。
「ウィステリア……貴方が傍に居て下さって嬉しいです。これからも同伴して下さいね?」
「勿論だ。」
「……あともう一つ、お願いしても宜しいですか?」
「ああ、何だ?」
今迄、無理な願いどころか我儘一つ言わなかったリリウムに、ウィステリアはあっさり頷いた。リリウムは嬉しそうに顔を上げる。
「貴方の絵を下さい。」
「……俺の絵?」
「はい。小さくて良いのです。何処に行く時も持ち歩けるサイズで、ウィステリアに会えない日は夢に見てしまいそうな、貴方の笑顔が欲しいのです。」
「……………………。」
恋人の絵を持つ事は一般的である。だが、『夢に見てしまいそうな笑顔』という言葉に、ウィステリアは戸惑った。どう笑ったらそうなるのだろう。
「……すみません。嫌、でしたか? 無理を言ってしまいましたね。今の話は無かった事にして下さい……。」
長い沈黙を否定と捉えたリリウムは、俯いて謝った。
「あっ、いや、そうではない。どんな顔をすれば良いのかと考えてしまったのだ。リリウムが俺の絵を持ちたいと言ってくれた事は、本当に嬉しい。」
ウィステリアが慌ててそう言うと、リリウムは不安気にウィステリアを見た。その瞳に、本当だと頷く。
「改めて笑顔と言われると、上手く出来るか分からないが……やってみよう。その時は、隣に座っていてくれないか? 画家に向かって笑うのは……難しそうだ。」
「はい。……ですがそれなら、僕が画家の隣に立っていた方が宜しいのでは?」
嬉しそうに笑いながらも首を傾げるリリウムに、ウィステリアは少し緊張した面持ちで微笑んだ。
「それで……リリウムも一緒に描いて貰って、それと同じ物を俺も持ちたいんだが。」
一瞬驚いたリリウムは、幸せそうに目を細め、誰よりも綺麗な笑顔で頷いた。ウィステリアは日増しに輝きを増していく恋人を眩しそうに見つめ、気付いた時にはその柔らかな頬に手を添えていた。自然に顔を寄せ合い、目を閉じる。初めて重ねた唇は熱く、優しく吸い付いて痺れを誘い、何よりも雄弁に想いを伝えた。全身を走るその刺激に陶酔しながら、いっそう甘くなった花の香りに包まれて目を開ける。互いに目が合うと、恥ずかしさに揃って視線を逸らし、変わりにもう一度抱く締めあった。
『綺麗になったね。』
儀式終了後、青の瞳が特に美しい姫に、何時もはクールな顔を和らげてそう言われた。結婚後はより神秘的な妖艶さが増した彼の言葉が嬉しかったのは、ウィステリアとこうして心を重ねる喜びを知ったからかもしれない。もう片思いではないのだ。
溢れる想いを噛み締めながら、リリウムは目を閉じた。
プラウザを閉じてお戻り下さい。