二人ならどこまでも行ける
2周年企画
 カーテンの隙間から染み込む、朝の青い光。目覚めた僕は最初、自分が何処に居るのか分からなかった。まだ弱い光に浮かぶ懐かしい室内が、あまり帰らなくなったアパートの部屋だと、寝惚けた頭で気付くのに、数秒。最近は地方公演に行ったり、恩師のピアノコンサートにゲスト出演させて貰ったりで、ホテルや付属の宿泊施設を使ってばかりいる。昨日やっと地元に帰って来たんだった。
 朝は何時も気怠くて、溜息をつきながら仰向けに寝返った。無機質な天井に貼られた何かのお札は、何時だったかはっちゃんが送ってきてくれた物。その時に居た遺跡にまつわる物で、本来は貴重な役割を果たす部屋を守護する為に天井に刻む模様なんだとか。だから僕は寝室に貼った。此処ははっちゃんが一番無防備になる場所だから。
 最後にはっちゃんに会ったのは何時だったろう。もう二ヶ月は会っていない気がする。顔の前に出した右手の、薬指の指輪を見つめてそっとキスをする。
 おはよう、はっちゃん。どうか今日も無事でいて。素晴らしい宝をGET出来ますように。


 早朝の白い空が綺麗な青に染まった頃起きだして、簡単な朝食を済ませて向かったのは、姉さんが眠る場所。風に揺れる白い香りの前で両手を合わせた。
「久し振りだね、姉さん……。」
 何日か休めるけれど、今度はまた海外に行くから暫く来られないのだと報告した。世界的に有名なピアニストが、僕が前回出場したコンクールに偶然来ていたらしく、仕事の話を持ちかけてきてくれた。何度か電話で話してみたら上手くやっていけそうな人だったし、僕も彼の音色に惹かれるものがあったから、話を受けてみる事にしたんだ。
 頑張ってくるよ、と頬笑んで。水桶を持って背中を向けた。未来に進む為に向ける背中。きっと過去より少し、頼りなさが消えていると信じて。

 帰宅すると、何だか何時もと違う気がした。誰の靴も無い。異臭がするわけでもない。ダイニングキッチンに行っても、荒らされた様子はない。でも、確かに何かが違う。何だろう? 何かが補われたような……。
 ふと、コンロの上の鍋に気付いた。朝使った覚えはない。蓋を開けると、中にはこれから煮込むらしい具材達。洗ったまま放置した食器類の中に、朝は使わなかった筈の包丁やらボールやらがまだ濡れた状態で増えていた。
 はっちゃんだ。
 心臓が大きく跳ねた。はっちゃんが帰ってきたんだ。でも、今何処に? 突然帰ってきて、数時間もしないうちに行ってしまう事が時々ある。もしかして、今日がその日だった? それなら何時も、前日でも連絡をくれる筈だけれど。慌てて携帯を見ても、受信も着信も無い。突然出来た空き時間で、僕が居ないうちにタイムリミットになってしまったのかな。
 寝室を見ても、誰も居ない。はっちゃんが、居ない。
 ……逢いたい……。
 自然と視界が滲むのを、止められなかった。こうなる事が分かっていて、それでも傍に居たいと覚悟を決めて付き合いだしたから……寂しいとは言わなかった。色んな意味で、独立した一人前の男として君と付き合いたいから。
 でも、逢いたいよ。君に逢えなかったと思うと、抑えが効かなくなってくる。言わないだけで、本当は……。ああ、どうして僕は、家を空けたんだろう。午後でも良かったのに。明日でも良かったのに。比べる事ではないけれど、でも、君の傍に居られるなら……。一目でも君を見て、僕を呼ぶ声を聞いて、少しの間でも抱き締めて、そして愛してると言いたかった。
 寂しさと悔しさと、切なさが込み上げてきて、涙が止まらなくなった。僕はまだ、こんなにも弱い。
「はっちゃん……。」
 その時不意に、玄関の鍵が開いた。続いてドアを開ける音。
「あ、靴だ。かっちゃーん?!」
 短い廊下を走ってくる足音と、ガサガサ鳴る袋の音。僕は声が出なかった。
「あっ、居た。」
 キッチンで情けなく膝を着く泣き顔の僕に、ひょこっと現れたはっちゃんが笑った。とてもとても、嬉しそうに。
「かっちゃん!」
 ガサリと袋を落とし、はっちゃんが抱きついてくる。首筋にグリグリと額を押し付けられて、漸く我に返った。
「……はっちゃん……?」
「うん。」
「もう、また、行ってしまったのかと……。」
「……うん。大丈夫、まだ此処に居るよ。」
「……逢いたかったんだ、とても。」
「俺もだよ。」
「逢いたくて、抱き締めたくて、………。」
 それから、それから。
「かっちゃん。鎌治。鎌治……。」
 ぎゅう、と抱き締められて、また涙が零れた。だけどそれは、嬉しいから。
「……愛してるよ、九龍。」
「うん。俺も愛してるよ、鎌治。」
 応える声も、何時の間にか震えた涙声。久し振りのキスは、嬉し涙の味がした。想いが一緒だなんて、こんなに満たされる事は無い。
 ひとしきり抱き締め合って、ダイニングのソファーに座った。脚の間に座らせるのは何時もの事。はっちゃんが横向か後向きかの違いしかない。はっちゃんが僕の髪を手にして、指先でくるくる遊ぶ。
「かっちゃん、髪伸びたね。」
「はっちゃんはあんまり変わってないね。」
「この間切ったんだ。でも俺も伸ばそうかな〜。」
「似合うと思うけど……邪魔にならないかい?」
 長くなってくると、遺跡で何となく気になってしまう時があると言っていたのを思い出す。罠の解除や戦闘中に気が逸れたりでもしたら、危なくないかな?
「う〜ん……でも、かっちゃんに髪撫でられるの、好きなんだ。」
 だから少しでも長く指先が絡まってればいい、なんて照れたように笑うから……反射的に、手は君のさらりとした髪を何度も滑る。僕もはっちゃんの髪を撫でるのが好きだよ。
「さっきは買物に行ってたんだよ。材料が足りなかったのに気付いてさ。かっちゃんが昨日の夜帰ってくるって予定は前に聞いてたし、だから今日はお姉さんのお墓に行くと思ってたんだ。その間に料理並べて、新妻っぽく出迎えてみようと思ってたのに、失敗しちゃったー。」
 残念そうにカクリと頭を垂れる姿が可愛い。
「ごめんね、変な勘違いをしてしまって……。でも、充分驚いたよ。」
 勝手に勘違いして、あんなに泣いてしまった自分が恥ずかしい。
「俺もゴメンね。でも嬉しかったよ。かっちゃん、寂しいなんて言わないから。あんなに泣いてるくせに、絶対言ってくれないから。」
「い、何時もあんなわけじゃないんだ。あれは……男らしくないから、忘れて……。」
 知られてしまって恥ずかしい。
「それに、久し振りに『九龍』って呼ぶの聞けた。」
 にこっと笑うはっちゃんに、益々恥ずかしくなって顔を逸らした。
「実はさ、H.A.N.T.の調子が悪くなっちゃって。多分何かでダメージ受けたんだろうけど。それで、協会から場所が近かったから、秘宝届けるついでにH.A.N.T.を修理に出したんだ。」
 遺跡の外でならぶつけたのかもしれないけれど、普段はアサルトベルトに仕舞われた物がダメージを受けるなんて、はっちゃんは大丈夫だったんだろうか。
「はっちゃんは怪我しなかった?」
「うん、しなかった……あっ。」
 やっぱり『ダメージ』と言うのは罠の解除か戦闘での事だったらしく、はっちゃんは『しまった』という顔をした。隠そうとする所、今も変わらないね。
「それならいいんだ、無茶はしないでね。」
 君と繋がれるH.A.N.T.は大事な物だけれど、君の無事には変えられない。
「あ……それだと、修理が終わる迄は一緒に居られるって事?」
「そっ! って言っても、此処に届けて貰う事になってるから、郵送日数含めて一週間くらいだけど……。かっちゃんもその頃出るんでしょ?」
「ああ。同じ日に発てたら良いね。」
 うん、と頷くはっちゃんの額にキスをして、二人でキッチンへ。鍋の中身は、最近覚えたと言う民族料理。帰ってくると何時も料理を作ったり掃除をしたり、僕の為に一生懸命で可愛い。一緒に昼食を作って、並んで食べて、一緒に片付け。
 会えなかった分、沢山話をして、普段からは考えられない程笑って、それでも語りきれない想いはキスで伝えた。一週間あったって足りない、君と会えなかった時間を埋めるには。逢う迄は、逢えるだけで良いと思っていた筈なのに……僕は何時から、こんなに貪欲になったんだろう。


 翌日、何だか少し重くて目が覚めた。細く開いた視界の大半を埋める黒髪。体の上に乗るぬくもり。しがみつく様に抱きついて眠るはっちゃんを起こさないように、そっと髪を撫でた。夕べ、最初は体を気遣っていた筈なのに、僕は直ぐはっちゃんに溺れてしまった。堪え性がないのかな。何年経っても理性が効かない。でも可愛くて愛おしくて、指の動き一つにもあんな悶えてくれて……どうにかならない方がおかしいよ。
 ……そ、それはともかく、今何時かは分からないけど、眠ったのは朝方だった。必要が無いなら起こさなくて良いよね。はっちゃんには、ゆっくり休んで欲しい。
 柔らかな髪質。力の抜けた、動くとしなやかな体。僕より少し高い体温。一定のリズムで伝わる鼓動。
 眠りから覚めても、確かにはっちゃんは此処に居る。会う度に、これでもかと僕を求めてくれる。幸せだよ、はっちゃん。だから僕は会えない時間を堪えられるのかもしれない。
「………愛してるよ。」
「……ん……かっちゃ……。」
 眠そうに目を擦りながら起きたはっちゃんが、滅多に見ない程嬉しそうにえへへと笑って擦りついてきた。今のが聞こえてたのかな。それとも良い夢を見たの?
「おはよう、はっちゃん。嬉しそうだね?」
 ちゅ、とおはようのキスをして、はっちゃんはまたえへへと笑った。
「たまに、かっちゃんの夢を見るんだ。今日は夢だけで終わらないのが嬉しくってさ〜。しかも今日は、もうどうしようってくらい甘い顔で、愛してるって言ってくれたんだよ。し〜あ〜わ〜せ〜。」
 そんな笑顔で喜ばれて、お互い裸なのに強く抱き締められてる僕の方が『もうどうしよう』なんだけど……。うん、どうしようか。何だかちょっと笑ってしまう。
「夢じゃないよ。さっき本当に……言ったんだ。寝てると思って。」
 素面だと、未だに少し照れてしまうから。
 ふにゃりて笑ったまま、「そっかー」と擦りついて、はっちゃんは甘えた声を出した。
「これからも沢山、同じ目覚め方したいな。」
「そ、そうだね……恥ずかしいけど……。出来るよ、これからも。」
「うん、ずっとね。」
 誕生日も記念日もイベントも、出来るだけ一緒に居られるようにしてる。それでも僕達は不定期にしか会えないけれど、お互いの夢を尊重した上で傍に居るから。身の不安や心配はあるけれど、気持ちを不安に思う事はない。
 だからきっと大丈夫。君となら、何でもない日さえこんにも愛おしく感じるのだから。きっと何処までだって、手を繋いで歩いていける。










『特別な君へ5の想い』 配布元≫immorality
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