身を寄せ合う眠りに悪夢は見ない
2周年企画
 眠りは何時も優しく翼を広げ、もういいのだと微笑む。もう嘆かなくていい、もう苦しまなくていい、と。その囁きに目を閉じて身を預ければ、闇が羊水の様に揺らめいている。こんな俺の心さえ平等に守らんと、それはたゆたう。
 だと言うのに、夢は何故こんなにも残酷なのだろう。眠りの中にあって尚、俺に罪を見せつける。何一つ許されはしないのだと。
 給水塔の上に寝転がっていた俺は溜息をついて立ち上がり、アロマを銜えた。もう直ぐ九龍が昼飯を持ってくる。何時からか、あの能天気な顔にホッとするようになった。あいつの周りで起こる騒動から、色々な事を考えさせられた。あいつの行動に振り回される事が嫌じゃないなんて、俺も随分毒されたもんだ。
「甲ちゃん専属シェフ登場〜〜!」
 九龍が顔を覗かせ、給水塔の上に立つと得意気に腰に手をあてた。肩の高さに上げたもう片方の手には、カレー皿。美味そうなスパイスの香りが漂う。
「ご希望のカレーパンが、天才シェフの手によって極ウマカレー定食に大変身!」
 ふふん、と鼻息も荒く得意気に笑う。こんな風に九龍は馬鹿だが、料理のセンスは悪くない。特にカレーは日々上達して、良い出来になってきている。……材料調達手段については敢えて考えない事にしていた。
 正面に座って自分は購買のパンを食べながら、九龍は俺をじっと見た。
「何だ?」
「美味しい?」
「……悪くはないな。」
 そう言いながら、俺はカレーを口に運ぶ。美味しい、と言ってやった事は無い。それでも九龍は嬉しそうに笑った。もし本当の事を伝えてやったら、コイツはどんな風に笑うのだろう。
「ねぇ甲ちゃん。」
「今度は何だ。」
「何時もより、隈と気怠度が5割増。昨日寝不足した?」
「俺の睡眠時間は、お前が来て以来毎日5割減だ。」
「まぁまぁ。お陰で毎晩、トキメキに出会えてるでしょ?」
 この俺に、何にときめけと言うのか。食材になりそうな化人にか(そもそも、その発想からしておかしい)、難解な宝壷にか。それとも、意味不明な行動で手に入る、出所と賞味期限の怪しい品々にか。凡人が出会えるトキメキ要素など欠片も見当たらない。まさかこの宝探屋は、オカマの鼻血が付着したメモにも、万人が興奮出来ると思っているのか。数日前の夜を思い出して眉をしかめる俺に、悪びれもせず九龍は笑って缶コーヒーを飲んだ。
「お前、何時もそれだな。」
「うん。だって、甲ちゃんが初めて俺に奢ってくれたコーヒーだからね。」
 さらりと答えて、九龍はまた、俺を見つめた。逸らす事が許されない程真剣に、まるで別人の様に。
「で? 何があったの?」
 コイツは時々、妙に鋭い。ふざけているかと思えば、不意に核心を突いてくる。そんな時に嘘は通じないと、経験で知っていた。
「何も無いさ。只……上手く眠れないだけだ。」
 嘘じゃない。他に言いようも無い。眠りではなく、悪夢に堕ちてしまう。只それだけの事だ。
 九龍は何かを考えながら早々に3つのパンを食べ終え、その頃綺麗になったカレー皿を脇に押しやった。
「甲ちゃん。」
 楽しそうな、じゃれつく時の犬の様な目に、嫌な予感がする。
「何だ。」
「九チャンとお昼寝ターーイムッ!」
「おわッ。」
 突然ラリアットをかますようにタックルされ、俺は九龍に押し倒された。後頭部に鈍い振動が伝わるが、手の平で庇われていて痛くはなかった。
「なんと今なら毎晩、添寝と子守歌が付くWチャンス! お買い得です!」
「何すんだ。つか何がだよ。」
 九龍は俺に擦り寄り、冗談とも本気ともつかない声で言った。
「俺が、お買い得。」
「……昼寝はお試しキャンペーン、ってか?」
「そう。甲ちゃんにだけのご奉仕、期間限定の特別商品だよ。だから今のうちにGETしないと。ね?」
 今、手に入れたら。もし、手に入るなら。もう、悪夢は見ないだろうか。眩しい程の輝きは、抗えない程に俺の闇を包むだろうか。……俺は、コイツを手放さずに済むだろうか。
 有り得ない、と溜息をついた。救われる価値など無い。甘える資格も無い。俺達は何れ必ず決別する。それが運命ってヤツなのかもしれない。
 ……だが、九龍なら。運命さえものともしなさそうな、コイツとなら、もしかしたら。
「しょうがねぇ。試してやるか。」
 嬉しそうに笑う九龍を体に乗せる様に抱き寄せた。ぎゅっと抱き締め返される。
「試したら最後、即買いして手放せなくなる事間違いなし!」
「勿論、返品可だよな? クーリング・オフは常識だろ?」
「えぇえ?! ダ、ダメ!」
 手放したくない。手放せる筈がない。だから思わず買う事を前提に答えてしまったが、九龍は気付かなかったようだ。
 絶対返品不可!と必死に見上げてくる瞳の可愛さに口角を上げ、その額にキスをして囁いた。
「先ずは試させろ。手放せなくなるんだろ?」
 随分甘い声が出た所為か、九龍は顔を真っ赤にして頷いた。その髪に顔を埋めるようにして、目を閉じる。九龍がしっかりと俺に抱きつき、おやすみなさいと小さく言った。
 睡魔が優しく翼を広げる。遺跡と、硝煙と、ラベンダー。九龍に染み付いた香りと、心地良い重みに、悪夢が遠ざかる予感がした。


「甲ちゃん、そろそろ下校時間だよ。」
 そう揺すられて、俺は気持ち良い眠りから目覚めた。眠気を引きずって欠伸をしたが、頭は随分すっきりしている。
「よく眠れたみたいだね。」
 安心した様に俺を覗き込む九龍の背に広がるのは、優しいオレンジの夕焼け空。穏やかな闇を連れてくる眠りは、きっと今の九龍の様な顔だろう。
「……さすが、特別商品なだけはあるな。」
「ん? ついに買う気になっちゃった? やっぱり俺って凄いな〜。」
「今なら毎晩、可愛く鳴いてくれるんだったな。」
「………、え?」
 俺は体を起こし、ニヤリと笑った。にまにまと笑っていた九龍の顔が不思議そうに俺を見上げ、意味が分かったのか、頬を染めて固まる。
「『俺にだけのご奉仕品』なんだろ? そうなったら、お前のトレハン人生もここまでだ。」
「ええッ?」
 ちょっと待ってそれは、とか。ああでも、とか。真剣に悩み出す九龍が可笑しくて、俺は笑いながら身を乗り出した。赤く柔らかな唇に、軽く吸い付く。驚きに目を見開いた九龍は、息まで止めていた。
「取り敢えず、キャンペーン期間は延ばしておけよ、九龍。」
 だんだん赤くなっていく顔で、呆然としたまま何度も頷く九龍の頭をくしゃりと撫で、俺は給水塔を降りた。そして屋上の扉を開けた時、漸く我に返ったらしい九龍の声がした。
「ま、待って甲ちゃん! 俺も帰る!」
 慌てて給水塔を降りて走ってくる足音を聞きながら、俺は歩調を緩めた。
 決定的な事は何も言ってやれない。曖昧なのは良くないと分かっているが、それでも、九龍。俺はお前を………。










『特別な君へ5の想い』 配布元≫immorality
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