最後の一瞬まで信じているよ
2周年企画
 戦場は、生きたいと思う本能と、価値有るものの為には死をも厭わない決意とが、常に犇めき合っている。余計な事を考えて隙を見せれば、それは即座に死に繋がる。誰も志半ばにして死にたくはない。だが弱肉強食の場に於いて、その瞬間が訪れてしまうのは決して珍しい事ではない。戦場では誰もが他者の命を奪って生きているのだ。だから兵士達は考える。死んだら何処へ行くのか。自分が死んだら、遺された者はどう生きるのか。そして震える多くの者が神に縋る事で安心を得、血塗れた戦地に赴く。
 ミケーレは死を恐れた事が無い。何時か必ず人は死ぬ。その時期をも左右する場所を、自分の意志で選んだだけの事だ。只その瞬間はいっそ一思いに。決して不様であってはならないと思う。故に敵に背を向けた事は無く、それで負けた事も無い。
 かつて一族の中で最強と言われたミケーレの父は、圧倒的な数の敵の刃に倒れた。どんなに強くても、上には上がいる。状況にも左右される。もしかしたら他の兵士達と同じ様に、父も死後のあれこれを考えた事があったのかもしれない。最期の瞬間は、志半ばにして倒れる悔しさがあったのかもしれない。
 だが恐らくは本望だっただろうとミケーレは思っていた。命を賭しても守りたいものの為に戦い、正面から傷を受けて倒れる。それは戦士として誇らしい死に方の一つだ。その時期が遅かろうと早かろうと、決して可哀相な事では無い。
 一族最強の戦士の息子として。忠誠を誓った王と王子、最愛の次期賢者が望む、平和の担い手として。そして戦災孤児として。ミケーレは今日も、早朝訓練に精を出していた。


 早朝訓練と通常訓練の間に兵士達は朝食を摂り、暫し体を休める。訓練学校と殆ど変わらない厳しい規律。そして更にハードな訓練。辛くない筈はないが、其処に暗い雰囲気は無かった。強制されて此処に居る者は一人もいないのだ。志願して訓練学校に入り、厳しさに耐えて卒業し、国を守る正規軍になったという自尊心がある。将軍ロンベルクは勿論、最近病に伏してしまった王の代わりに政を行うようになったレオニス王子も既に人望篤く、彼等を支えるのだという活気に満ちていた。
 ごった返していた食堂が不意にざわめき、ミケーレはある確信をもって視線をやった。一部の者が来ると、特にまだ兵に成り立ての者達が興奮する。国の中心にいる者を間近に見る機会など、殆ど無かった為だ。あちこちから挨拶の声がし、華やかな波を生んだ主は、明るい笑顔で一人一人に挨拶を返しながらミケーレの元に来た。
「おはよう、クルキス。思ったより元気そうだな。」
「おはよう。ミケーレも、大きな怪我はしてないって聞いて安心したよ。さっき、医療棟に行って、新薬を渡して来たんだ。」
「当然だが、忙しそうだな。大丈夫か?」
「疲れてる場合じゃないからね。でも、もう少しで慣れるよ。そうしたら会える時間も、今より増えるから。」
 数年前に次期国付き賢者に決定されたクルキスは、現国付き賢者のサダルメリクと共に仕事をしてきた。だが王が病に伏して以来、サダルメリクはその看病に重点を置いている為、クルキスの忙しさが一気に増した。お互い会いに行ける距離で生活しているにも関わらず、こうして少し顔を合わせる事さえ今は難しい。
 申し訳なさそうに微笑するクルキスに、ミケーレは穏やかに首を振った。
「心配するな、会えなくても俺は見てるから。それより、無茶だけはするなよ。」
 異例な若さで賢者代理を務めるクルキスは、何かと話題になった。多忙になっても、一つ一つに誠実で完璧な対応をすると評判だ。不眠不休が続いている筈だが、ミケーレの言葉に、クルキスは疲れを感じさせない程嬉しそうに笑った。
「有難う。心掛けるよ。まだ少し、時間あるだろ? 出ない?」
「ああ、そうだな。」
 クルキスは今話題の賢者であり、可愛さを伴った繊細な美形で、王族特有の華やかで気高い雰囲気を纏っている。ミケーレは愛想が良いとは言えないが、それでも少しずつ丸くなっていく人間性に、人望を集めていた。エリート出世中なうえ、彫刻の様に美しい顔と体つきをしている。一人でも充分目立つ者が二人並ぶと、尚の事注目を浴びた。人前では落ち着いて話が出来ない。二人は食堂を出、人気のない宿舎裏に向かって歩き出した。
「ミケーレの話もたまに聞くよ。軍の中で最年少の将官だから、目立ってるのもあるんだろうけど。本当に、誰の加護を受けてそんなに負け知らずなの?」
 他者が言えば厭味にしかならないが、クルキスが言えばそれは只の事実と称賛になる。立場と心象の違いというものは実に大きい。
「さぁな。未来の大賢者じゃないか?」
「じゃぁ、僕はもっと兵法を学ばないと。未来の大将軍の為にね!」
 からかうように答えたミケーレに、クルキスも笑って返した。何気無い会話でも、二人の心は和んでいく。周囲から人が消えた林の中、木に寄り掛かるように座った二人は、そっと手を繋いだ。
「やっと落ち着いた。」
 ミケーレの肩に頭を乗せ、クルキスが微笑む。返事の変わりにミケーレは、理知的な瞳と同じ柔らかな茶色の髪にくちづけた。
「……実はさ、アウリーガェの動きが怪しいんだ。今回狙ってるのはウチじゃないみたいだけど……同盟国としての派軍も、もしかしたら、あるかもしれない。そろそろ噂が立つ頃だから、先に言っておこうと思って……。ごめん。」
「謝るな。あの狂王は、簡単には止められない。今の状態じゃ、こっちから戦を仕掛けるわけにもいかないしな。王子達やお前が尽力している事は、俺にだって伝わってる。」
「でも僕は、どんなにミケーレが強くなっても、戦場になんて……行かせたくない。そうなる前にどうにか出来れば良いんだけど。」
 唇を噛み締めるクルキスの顔を上向かせ、ミケーレは宥めるように言った。
「王子達の政を、正規軍がサポートする。それだけの事だ。それに、俺はそんなに簡単に死んだりしない。心配するなと言っても無理だろうが……少しは信じろ。」
「覚悟を決めていなければ、戦場に出る事も、勝つ事も出来無い、か……。やっぱりミケーレは、戦士だね。」
 クルキスは小さく息をつき、困ったように笑った。
「ミケーレはもう何度も戦場に出てるのに、僕はまだ慣れない。……まぁでも、行くなとは言えないし、これからも笑って見送るから……帰ってきてよ? 生きて帰る事が、一番の勝ちなんだから。」
「分かってる。……ほら。」
 ミケーレは剣の持ち手、柄の根本を見せた。其処には少し色褪せた、黄色を基調とした糸で模様を編混んだ紐状の物が巻かれていた。ミケーレが初めて兵士として戦場に出る時、クルキスがまじないを込めて編んだお守りだ。
「まだ持ってくれてたのか。」
 何時もの笑みが戻ったクルキスに、ミケーレは当然だと言ってそれを撫でた。
「俺の勝利は、これの加護かもしれないぞ?」
「それなら、これからもしっかり護って貰わないと。」
 願うようにクルキスもそれを撫で、穏やかに言葉を続けた。
「この先何があっても、ミケーレが生還するように。俺はゼルディアを平和にするって約束があるから、ミケーレの後を追って逝けないから……絶対生きて帰ってきてくれないと困るんだ。」
 脳裏に母の最後が浮かび、ミケーレの顔が険しくなった。父の戦死に取り乱し、その傍らで死んだ人。彼女はさぞ幸せだった事だろう。母としての役目を捨て、愛と言う名の下に全ての苦しみを放棄したのだから。身代わりの様に子供にそれを押し付けて。
「ミケーレのお母さんの気持ち、少しは分かる気がするんだ。勿論、母親としては許されない選択をしたと思う。でも、ミケーレのお母さんも僕も、一人の人間としては幸せだよ。」
 自分の為だけに命を捨てた母親と、使命を捨てる気の無いクルキスの、何処にそんな共通点があるのか。そう言いたげに、ミケーレは黙ってクルキスを見つめた。
「生きる為に欠かせないと思う程の人に出会えて、結ばれる事が出来たんだから。その人を強く愛しぬけたら、その人に愛して貰えたら、それは一生を捧げるに値する誇りだと僕は思う。そこは、同じじゃない? だってこの先お互いに何があっても、ヨボヨボになる迄生きても、僕が最期に想うのはミケーレの事だけだから。」
 強い意思を持った眼差しの、けれど穏やかなクルキスの笑みに、ミケーレは心が柔らかくなっていくような気がした。ずっと母を責め続け、好意的な意見など一つも持てなかった。許そうという気さえ無かったかもしれない。だが『幸せ』の違う観点は、今迄よりも過去を客観的に見せた。確かに母は幸せだったのだろう。最期まで父だけを愛したのだから。
 許すか否かは別問題だが、そこにある思いが真っ黒に染まる事は、もう無いかもしれない。最期まで自分だけだと笑う、クルキスのこの笑みが傍らに在る限り。
 ミケーレの表情が凪いでいくのを見て、クルキスはそっと頬にくちづけた。母親を許せと言いたかったわけではない。恵まれた環境に育った自分に言える筈が無い。只、ミケーレが抱えるわだかまりが少しでも小さくなってくれたら、そして自分の気持ちが伝わってくれたら、それで良かった。
「……あの時クルキスに会えて、こうして想われてる俺も、幸せ者だと言う事だな。」
「でも、少しでもそう感じてくれたら、それも僕の幸せかも。」
 朝の優しい木漏れ日の中、笑いあった二人は剣の柄の上で手を重ね、キスをした。生きるのは、己が選んだ道の為に。生に執着するのは、愛する者の為に。

「あ、そうだ、薬!」
 程なくしてミケーレに送られた門の前、馬に跨がったクルキスは、慌てて小さなケースを取り出した。
「今迄のと同じ軟膏なんだけど、これにだけ、香付けをしてみたんだ。」
 受け取ったミケーレが蓋を開けると、懐かしい香りがふわりと風にのった。それは、この国ではミケーレの出身地を中心に咲き、その一族の間では結婚式にも使われる、愛を伝える花の香り。
「忙しいのに、わざわざ有難な。大事に使わせて貰おう。」
「うん。使わないで済んだら、それが一番なんだけど……。ミケーレの為なら幾らでも僕が作るから、怪我したら早く治して。」
「分かった。クルキスも、倒れるまで根を詰めるなよ。」
 手を叩く様に握り合い、笑みを交わして、クルキスは馬を走らせた。
 戦士としての誇りだけでなく、こんな特別な幸せも胸に、父は逝ったのかもしれない。そう思いながら恋人を見送り、ミケーレは訓練場に戻っていった。










『特別な君へ5の想い』 配布元≫immorality
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