Beginning of happiness
九龍妖魔學園紀 皆守×主
香りに惑わされ、一人の少女を忘れ掛けた。その時、給水塔の上で、甲ちゃんは優しく目を細めて言った。
『俺はただ、もうこれ以上―――お前の困った面も、八千穂の落ち込んだ面も、見ていたくないんだ』と。
やっちーを煩いだとか。俺をお気楽でお人好しで仕方無い奴だとか。何だかんだ言うクセに、ハッとする程深い眼差しで言ったあれが本音なんだよな。
今日もマミーズでカレーを食べながら、思わずニヤけた。
「何笑ってんだ?」
同じく今日も目の前でカレーを食べる甲ちゃんが、怪しいものを見る目で聞いてくる。
「甲ちゃん、可愛いなぁと思って。」
「何だそれは。」
「普段は意地悪で素直じゃないくせに、不意打ちで素直になるし。素っ気ない態度で優しくするし。ニヒルに笑うくせに、気落ちしてる時なんか可愛いし。それでも寄ってこない女子は、甲ちゃんのドコ見てるんだろうね?」
「…女でも作ってほしいのか?」
「それはダメ。」
即答すると、呆れたように溜息をつかれた。
「ワケ分かんねぇな。」
モテるのはいい。と言うか、仕方無い。でも恋人が出来るのは嫌だ。
「甲ちゃんの恋人はカレーでいいんだ。」
「お前な……。」
甲ちゃんの恋人になりたいのは、俺だから…なんて、言いたくても言えない。
軽口を叩きながら、マミーズを出て寮に向かう。最近、甲ちゃんはその侭俺の部屋に来てから遺跡に行く事が増えた。しかも時々、遺跡から帰っても「疲れた」と言って俺のベッドを占領する。部屋、隣なのに。文句言って詰めて貰って、背中をくっつけて仕方無く一緒に寝るフリしながら内心は凄い喜んでる事、甲ちゃんは知らない。
「あの…皆守先輩。」
寮の近くで、女子が甲ちゃんを呼び止めた。
「少し、お時間頂けますか?」
華奢で小柄で、活発な印象の顔をした女子が、少し頬を染めて甲ちゃんを見つめる。甲ちゃんはどこか面倒臭そうに返事をした。
「何だ?」
「あの……。」
その子が、言いにくそうにチラリと俺を見た。やっぱ…そういう事、だよな。
「…甲ちゃん、俺、先に戻ってるから。」
「あ、おい九龍!」
俯いて、俺は寮に走り出した。普通に考えたって、居られるわけないし。甲ちゃんが告白されてんのなんか、聞きたくないし。
部屋に戻って制服を脱ぎ捨て、モヤモヤした気持ちのまま私服に着替えた。思わず溜息をつきながら、ベッドに身を投げる。抱きしめた布団からは、僅かにラベンダーの香り。この香りが他の誰かを包むなんて嫌だ。
俺知ってるんだよ、甲ちゃん。ベッドの中で、俺を抱きしめてくる事。触れるだけのキスをくれる事。
だから……でも…まさか、OKしないよな? けど…日本じゃ、棚からぼた餅とか、食わぬは男の恥って言うらしいし。
女子なら、素直に告白出来たのに。男の俺じゃ、ぼた餅になれない。
暫くして、ノックと同時に部屋のドアが開いた。毎回思うけど、ノックの意味無いよ甲ちゃん。
「食べちゃったの…?」
「は?」
眉をしかめる甲ちゃんは紫のトレーナー姿だった。それは一度部屋に戻ったって事で…まさか連れ込んじゃったとか?
「甲ちゃんの馬鹿! カレーレンジャーのくせに。敵と戦って負けちゃえ。」
「いきなり意味不明な事を言うな。」
……本当は分かってるよ、何も無かった事くらい。でも気持ちのやり場がない。それに夜、俺にあんな事してるくせに何も言ってくれない甲ちゃんだって悪い。もし本気で寝ぼけてるだけだったら、俺、立ち直れないよ……?
甲ちゃんは起き上がった俺の頭を軽く小突き、当然のようにベッドに座った。甲ちゃんなんか冷たい床でいいんだ、床で。
「嫉妬してるのか?」
「な、何で俺が女子なんかにッ。」
……あれ?
「……へぇ、女子に嫉妬したのか。告白された俺にじゃなくて。」
「!! …ちがッ…言い間違いだ!」
慌てて否定したけど、甲ちゃんはニヤリと唇を歪めて俺の首に腕を回してきた。
「したいならしろよ。聞いてやるぜ?」
耳元で囁かれ、からかうように低く笑われる。苛めっ子め、と思いながら、顔が真っ赤になったのを感じた。反則だよ、何時もと違うその声。
「言えたらイイ物やるよ。」
回された腕で顔を固定され、反らせなくなる。見つめ合った目は何時になく真剣で、熱っぽかった。嫌でも心臓が跳ねる。しかも煩く。
「九龍……。」
あぁもうダメだ。抵抗なんてするだけ無駄だ。
「……ッちくしょ…好きだ!」
少し睨むように言うと、甲ちゃんは優しく笑った。何時かの給水塔の上で見せた深い眼差しに、熱っぽさを混ぜて。俺は悔しさも忘れて只見惚れた。
その顔が一段と近付いて、唇に甲ちゃんの吐息が触れた。
「好きだ。」
その言葉に小さく頷いた。
「…うん!」
一息遅れて言葉が続く。自信は無いけど、知ってたよ。あぁでもどうしよう。ちゃんと言われると嬉しすぎる。
緩む唇に今度は唇が触れて、俺は目を閉じた。下唇を吸われて、舐められる。俺も甲ちゃんの上唇を舐めると、舌が伸ばされて触れ合った。唇がずらされ、深く絡み合った舌が水音をたてて、俺は甲ちゃんの背中に腕を回した。零れた自分の声の甘さが恥ずかしい。
暫くして離れた唇はまだ近くて、お互い少し弾む息のまま、何となく笑い合った。きっと幸せだからだ。
「甲ちゃん、大好き。」
本当は先に言われたかったけど、もうどっちでもいいや。結果は同じなんだから。
「あぁ。俺もだ。」
ほらね、幸せだ。
甲ちゃんの腕の中、もう寝たフリしなくていいと思うと嬉しくて、ずっと抱きしめ返したまま懐いていた。告白して良かったなぁ。
……そう言えば、イイ物って何だろう? 甲ちゃんの事だから、手作りカレーとか? 確かにあれは極上の品だよな。それとも、カレー鍋の次はカレー専用食器セット?
甲ちゃんがいれば何も無くていいけど、何をくれようとしたのかは気になる。色々考えてわくわくしながら、素直に聞いてみた。
「くれるって言った“イイ物”って、何?」
甲ちゃんは口角を上げて、同然の様に一言だけ言い放った。
「俺。」
「………!!」
何だそれ!とか。恥ずかしい奴!とか。確かにイイ物だけど!とか。その余裕がムカつく!とか。
いろんな気持ちが一瞬で駆け巡ったけど、一つ一つが強烈すぎて、それが色々有りすぎて、言えなかった。思わず赤面しながら、声にならないまま口をむにゃりと動かす。
でも。後頭部に回していた手で俺の顔を自分の肩に押し付ける甲ちゃんの頬が、薄く赤かったのを見逃さなかった。……もしかして甲ちゃん、自分で言っておいて照れてる……? それって可愛いんですけど!
なんて、一人密かに萌えてたら。
「満足させてやるよ、心も体も。」
楽しそうに言うな! やっぱり恥ずかしい奴!
……でも、言われて嬉しくなってる俺が一番恥ずかしい。どうしてくれるんだよ。
それはこっちのセリフだ、と小さく言い返して。取り敢えず、耳に噛みついておいた。
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