Departure
九龍妖魔學園紀 皆守×主
 微睡に沈む俺を照らし、全てを乱した侵入者。クールな癖に実は情に厚く、明るいと言うよりは穏やか。頭脳明晰な所為か時々とんでもない発想をするが、そこに親しみを感じる者も少なくない。並外れた身体の応力、的確な判断力、そして懐の広さ。男から見ても格好良いと思わせる。そんな九龍に対し何時の間にか芽生えたのは、戦う覚悟を最後まで鈍らせた、認めざるを得ない想い。……だが素直に受け入れるには、俺の闇は深すぎた。


 あの時アイツは何時も以上に毅然とした態度で俺と向き合い、覚悟を決めた目で言い切った。


『必ず勝って、もう一度お前をバディにする』


 何時からか俺の正体に気付いていたんだろう。それでも変わらない態度で傍に居続けてくれた。きっと俺が、アイツと居ると笑うから。


 あの夜俺は、退屈で穏やかな日常は仮初だという事実を受け入れざるを得なかった。罪から逃れ続けた罰。自分の気持ちを、何よりアイツを欺いてきた罰。副会長としての責任。そうして最後を選んだ俺の名を叫ぶアイツの瞳は、涙で濡れていた。


 苦しくなかったと言えば嘘だ。アイツを悲しませたくはなかった。二人の未来を望む俺が居た。思いを殺す事になっても、アイツの相棒でいたかった。


 だが同時に、誰よりも光り輝いていて涙とは無縁の男が、俺の為に泣いた事に僅かな満足感を覚えていた。これで少しは、アイツの記憶に残るだろうか。



「……九龍。」


 崩れた遺跡に佇む人影。大きなザックを足元に置き、私服の上にコートを着た姿は、旅立ちを意味していた。きっと直ぐに発つだろうと思っていたが、それが今だという予感は当たったようだ。


「……もう行くのか。」


「……次の指令が出たからな。」


「皆に黙って行くのか?」


 九龍は何も言わず、只頷いた。皆と顔を合わせれば、離れ難くなる。九龍は心底“学生”を楽しみ、皆を大事にしていた。


「帰ってくるだろう? ……皆、待ってるぜ。」


「……ああ……帰って来れたらいいな…。


 遠くを見つめたままの言葉に胸が締め付けられる。自由な九龍を捕まえるどころか、引き止める術さえ無い。それでも行くなと素直に言えたら、どんなに楽だろう。誰より俺が、お前との時間を望んでいると言えたなら。


 目も合わせて貰えない俺に、そんな資格がある筈も無い。


「もう行くよ。」


 最後に遺跡を見回し、ザックを背負いながら九龍が微かに笑った。俺を見ないまま。


「皆に宜しく言っておいてくれ。元気でなって。本当に……皆に会えて楽しかった。」


 ポケットに手を入れ、俺に背を向けて歩き出す。


「……じゃあな、コウ。」


 その台詞に、ズキリと胸が痛んだ。分かっていた筈だ、こうなる事は。もう二度と会えなくなる覚悟で戦った。それなのに何故……背を向けて振り返らない姿が、こんなに辛い?


 離れて行く背中が、何時に無く小さく見える。何時もその背を守ってきた。九龍を見る視線が、友情でさえなかった頃から。だが、そうしながら心は何時も、九龍に包まれていたのかもしれない。


 それが、離れていく。何時も傍にあった、クールで時に穏やかな笑みが。


「……九龍ッ!」


 鼓動のように刻まれる痛みに耐え切れず、思わず呼び止めた。その声は、今迄で一番情けなかっただろう。俯いたまま、数メートル先で九龍が立ち止まる。


「……………………。」


「……………………。」


 暫く、互いに無言だった。呼び止めておきながら、こんな俺にどんな言葉が許されているのか分からない。


 沈黙が続いた後、九龍が振り返らないまま言った。


「……コウ。お前も、元気で…………。」


 何かを押さえ付けるような、震えた声。消えていく語尾。


 息苦しさを感じたと同時に、俺は駆け出していた。立ち止まったままの九龍を後ろから抱きしめる。


「俺を連れて行け……。」


「……コウ……。」


「連れて行け、九龍。」


 抱きしめる手に熱い雫が落ちた。俺はぼやける視界を九龍の僅かに震える肩口に埋め、返事を待つ。


「……遅いぞ、馬鹿……。」


 九龍は俺の腕を両手で掴み、深く俯いて顔を摺り寄せた。


「もう、これが最後かと思っただろう……?」


 涙声に安堵を覚える。正面に回り、目元で光る涙を拭ってやると、九龍は少し目を伏せて微笑んだ。


「コウ……お前は此処に残れ。」


「……俺はもう、バディには成れないか?」


 裏切り続けた、それが代償だろうか。


 九龍は笑みを深め、首を横に振った。


「コウは、この學園を卒業するんだ。墓守としてじゃなく、天香學園の生徒として。この遺跡から解放された生活を送って欲しい。」


 それは九龍が、普通の学生生活を送れていないが故の願いなんだろう。分かっているが、素直には頷けない。


「墓守でなくなった以上、俺が此処に居る必要は無い。……お前のいない學園生活なんて、興味も意味も無い。」


「……それでも……コウは此処で、解放された皆を見守りながら俺の帰りを待ってろ。絶対、帰ってくるから。」


「……どうしても、か……?」


「ああ。」


 寂しげな、それでいて揺るぎない瞳に、思わず溜息をつく。


「俺より殉死を選んだ罰だ。」


 僅かに唇を尖らせながら、九龍は俺の右頬を指先で軽く叩いた。


「痛ぇよ。」


 赤く腫れたそこは、夕べ遺跡から出た跡で九龍に殴られたばかりだ。


「九龍は楽しそうに笑うと俺の背に腕を回した。


「卒業式までには帰る……コウの所に。」


 九龍の後頭部を抱きしめ、地肌に指を這わせた。


「絶対だな?」


「絶対だ。」


 共に過ごしたのは、たった三ヶ月。だがその日々に培われた確かな想いは、一生消える事は無い。互いを焼き付けるように、深く抱きしめあう。


 俺を乱し、惹き付け、乾いた心に優しい雨を降らせた侵入者。自力で宝を探し出せる九龍に、俺は何を与えられるだろう。


 九龍は腕の力を弱め、俺の額に自分のそれを付けると穏やかに微笑んだ。


「コウ……ちゃんと授業には出ろよ?」


「なるべくな。」


「寝てばっかりいないで、たまにはメールしろよ?」


「お前の夢を見たって報告でもしてやるよ。」


 九龍は笑って、俺から腕を解いた。仕方無く俺も腕を解く。


「なたな、コウ。」


「……ああ。三月にな。」


 今迄、寮の部屋の前でしていたのと同じように手を振り合った。……まるで明日も会うかのように。


 行き掛けた九龍の足は、だがそれ以上先に進まず、再び俺に向かって大きく踏み出した。目の前に、九龍の笑み。そして首に抱きつかれた。


 と思った瞬間。


 九龍の柔らかな唇が、俺の右頬に触れた。


「次は俺を選べよ。」


 目元に少し朱を浮かべ、クールに笑うと今度こそ歩き出す。その不意打ちに俺は、どうしようもなくニヤけるのを止められなかった。


 帰る場所を得たからこそ振り返らない後姿は、もう辛さを与えない。九龍は帰ってくると言った。何処でも、他の誰でもなく、俺の所に帰ると。アイツが約束を守らなかった事は無い。俺は信じて待つだけだ。


「選ぶも何も……次は離してやらないぜ?」


 挑戦的に笑う余裕が出来た自分を心地良く感じながら、俺は見えなくなった九龍に踵を返した。










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