Fortune Cooky
九龍妖魔學園紀 取手×主
 昼休み、僕は何時もと同じ様に音楽室に居た。雨が降りそうな窓の外を見つめながら、今日は何を弾こうかと考えて。雨から何となくシューベルトを連想する事が多いのは、彼の旋律に憂いを感じる事が多いからなのかな。
「かっちゃん。」
 戸が開かれ、はっちゃんが姿を見せる。
「いらっしゃい、はっちゃん。」
「取手クン、こんにちはァ。」
 何時もより控え目なはっちゃんの後ろから、椎名さんが続いて中に入ってきた。
「こんにちは、椎名さん。」
 椎名さんはたまに音楽室に来て、僕とはっちゃんにお菓子をくれたり、作った衣装を見せに来たりする。普段のはっちゃんなら、椎名さんが来る事を喜ぶのに……どうして今日は何時もと違うんだろう?
「昨日、部活で作りましたの。良かったら食べて下さいですの。」
 すっと前に出されたのは、白い小箱に入った数枚のクッキー。黒いレース模様の箱と薔薇柄のナプキンが彼女らしい。
「いいのかい? ……何時も有難う。」
「少しずつ食べて下さいね。」
 椎名さんは可愛く笑ってそう言うと、隣に立つはっちゃんにも箱を向けた。
「はい、どォぞ。」
「あ、うん。」
 何故か少し顔を赤らめ、はっちゃんも一枚手に取る。その大きめのクッキーを、言われた通り少しずつ食べていると、中に紙片が入っている事に気付いた。不思議に思って椎名さんを見る。
「開けて下さいです〜。」
 にっこり笑われ、戸惑いながらも少し周りをかじって紙片を取り出した。残りを口にいれ、黙って紙を開く。するとそこには――。

『好きな人の為に何か歌うんですの』

 ………………………………。
 瞬きも忘れてたっぷり十秒は固まった後、僕は無言で椎名さんを見た。
「何て書いてありますの?」
 横から紙を覗きたがる彼女に見せると、あら、と言って頬に手をあてた。
「取手クンは特別に、『ピアノを弾く』、でも良いですわ。」
「…………決定事項、なのかい……?」
「歌の方が宜しいんですの〜?」
 驚いた顔で返され、僕は慌てて訂正した。
「いっ、いや、そうじゃなくて、その……弾く事が。」
「はいです〜。曲は何でも良いですわ。心を込めて弾いて下さいませね〜。」
 ……勿論、心を込めて弾くのは何時もの事だけれど……特に昼は。でも改めて言われてしまうと、何だか恥ずかしい。
 そっとはっちゃんを見たら、目が合ってしまった。瞳に揺れるのは……不安? 何処か切なく見えるのは、何故?
「何て書いてありますの?」
 はっちゃんが手にしていた紙を覗いた椎名さんが、文字を読み上げた。
「『恋人とキスをするんですの』。……九龍クン、恋人はいらっしゃいませんよね?」
「あぁ、うん、……だからコレは無理だなぁ。」
「そうですわね〜。」
 残念がる椎名さんを横目に、僕は凄くホッとしていた。はっちゃんが誰かとキスなんて……考えられない。住む世界が一時的に重なっただけの、同性の僕達が、どうにかなるなんて思ってない。僕の想いが受け入れて貰えるなんて思わない。でも、それでも、はっちゃんに恋人……ましてキスなんて……考えたくない。
「さぁ、取手クン。」
 椎名さんに促され、僕はピアノの前に座った。
 はっちゃんを想って何を弾くか。今はそれを考えればいい。けれど、いざ弾こうとすると選曲に迷ってしまう。
 はっちゃんに似合う曲は沢山ある。愛に捧げられた曲や、力強く美しい曲は、それこそ数え切れない。
 だけど、僕は。
「あの……。笑わないでくれるかい……?」
 選んだものの、恥ずかしくて尋ねると二人は勿論、と頷いてくれた。それに勇気付けられ、前を向いて深呼吸する。弾くのは簡単だけれど……念の為に頭の中で楽譜を開き、鍵盤に指を滑らせた。
 始まった前奏に椎名さんがニコリと笑い、それに気付いたはっちゃんが不思議そうな顔をする。
「校歌だよ。」
 教えるとはっちゃんは少し驚いて、それから嬉しそうに笑った。
 始業式にも終業式にも出ていない、今更授業で歌いもしない校歌を、はっちゃんは知らないだろうと思ったんだ。

 君はきっと、卒業式前に……もしかしたら終業式前に、秘宝を手にして居なくなるだろう。
 だけど忘れないで。この學園での出会いを。沢山の出来事を。君を笑顔にする仲間達の事、そして僕と過ごした時間を。
 どうか忘れないで。遠く離れても僕達は、君を想ってる。……僕は、誰よりも君を……。

 弾き終えると、二人は僕に拍手してくれた。恥ずかしくて少し目を伏せながら、有難うと小さく呟く。
「リカも、この學園の事を皆さんに覚えていてほしいですわ〜。」
「うん、俺も忘れないで欲しいし、絶対忘れないよ!」
 二人の言葉に想いが伝わった事を感じて、嬉しくなる。
 その後、校歌を覚えたいと言うはっちゃんの為に、僕の伴奏で椎名さんに何度か歌って貰った。歌いながら覚えるはっちゃんの嬉しそうな歌声に、椎名さんの楽しそうな歌声が重なる。二人の笑顔がとても嬉しくて、こんなに楽しい気分で校歌を弾いたのは初めてだった。


 その日の夜、遺跡探索を終えた僕達は、八千穂さんを女子寮に送った後学校に寄った。何時もなら学校探索ははっちゃん一人で行くのに、今日は珍しく誘ってくれて……嬉しくてドキドキしながら、屋上のフェンスに凭れて夜空を見上げた。昼の空を埋めていた雨雲は何処かに流れて、幾つかの小さな星々が懸命に瞬いている。その姿は、月と同じ空に居られて喜んでいるように見えた。はっちゃんを見た時の僕も、あんな風なのかもしれない。
 男同士で、しかも住む世界が一時的に……それも偶然重なっただけの僕達がどうにかなるなんて、確かに思ってない。でも、望んでないと言ったら嘘だ。自分の意思で、その世界を繋げる事が……もし相手も望んでくれたら、出来るのかもしれないから。
「今日、サンキューな。」
 不意にそう言われて視線を向けると、はっちゃんが柔らかな瞳で僕を見つめていた。隣に並ぶその黒髪が、吹上げた夜風にふわりと舞う。
「校歌の練習、付き合ってくれて。生徒手帳と体育館で歌詞見た事しかなかったから、嬉しかった。」
 その顔はとても嬉しそうで、僕も笑みが浮かんだ。
「うん、そうだと思ったよ。だから弾いた、ん………。」
 ほぼ言ってしまってから、自分で驚いて口を閉ざした。手で口元を覆っても、言葉は戻ってこない。
 ……今、僕は、何を言った………?

『好きな人の為にピアノを弾く』
『歌詞を見た事しかなかった』
『そうだと思ったから弾いた』

 それは、まるで………。
「っ……な、何でもっ、別にその……はっちゃんの………そう、役に立てたんなら、良かった……。」
 上手く誤魔化せる言葉が見付からない。言葉の繋がりに気付かないでくれればいいけど、鋭いからきっと無理だろう。“友情の好き”に切り替えれば良かったのに、取り乱してそれも上手く出来無かった。はっちゃんが驚いた顔をしている。……ああ、僕はどうしてこんな失敗を………。
 耐え切れず顔を背け、俯いて目を閉じた。はっちゃんは仲間と認めた誰の事も嫌わない。でも、皆を受け入れている様に見せて、誰にも踏み込ませない一線を引いているのを知ってる。返されるだろう類の言葉を覚悟しながら、万一の可能性に怯えて身を堅くした。
「かっちゃん。」
 僕の指先に重なるように、はっちゃんの手の平が優しく頬に触れた。穏やかな声音が言葉を続ける。
「昼休みに甲太郎とやっちーと三人でマミーズに行ったら、リカちゃんに会ったんだ。その時俺、皆と一緒にあのクッキー食べてるんだよ。……その時の俺の紙、何て書いてあったと思う?」
 話の意図が掴めずに目を開くと、はっちゃんは僕の顔をやんわりと自分の方に向けた。
「……分からないな。何て書いてあったんだい?」
「……今一番気になる人に会いに行くって。だから音楽室に行ったんだ。」
 僕は驚いて、まじまじとはっちゃんを見つめた。
「昨日久し振りに、頭痛で部活休んだだろ? だからだって言ったら、リカちゃんがお見舞いにクッキー持って一緒に行くって……。でも人に言える理由がタイミング良くあっただけで、本当はそれだけじゃないよ。」
 熱のこもった視線が僕を見上げた。知らず知らずに期待する僕の心臓は早鐘を打って、肝心のはっちゃんの声まで掻き消してしまいそうだ。
「かっちゃんが弾く曲は何時も想いが溢れてる。それが誰に向けてなのか、ずっと知りたかった。かっちゃんは……何時も俺の為に弾いてくれてたの?」
 夜でも分かる、真っ赤な顔。緊張と恥ずかしさに潤んだ瞳。頬の手から、小さな震えが伝わる。……はっちゃんの想いと共に。
「……そう、だよ。」
 僕はやっと自分の口元から手を離し。両手ではっちゃんを抱きしめ、耳元で囁く。
「誰よりも、はっちゃんが好き。」
 ピクリと肩を揺らして、はっちゃんが両腕で僕の首に抱き着いてくる。
「俺も、かっちゃんが大好き。」
 胸がいっぱいで泣きそうになってしまった。はっちゃんが腕を緩めて、額や鼻を触れさせたまま僕を見つめてくる。お互いの息が唇にかかって……頭が真っ白になりそうだよ。こんなに間近で顔を見るのは初めてだね。はっちゃんがこんなに真っ赤になってるのも。
 僕達は自然に目を伏せ、唇を重ねた。柔らかくて熱いそれは胸に熱を与え、離す事が出来無い。そこから吐息が漏れる度に僕の理性は乱されて、そんな自分にも気付かずただ夢中に感触を貪った。唇で、歯で、舌で、感触を確かめる。舐めあげる口腔ではっちゃんの声がくぐもる、その僅かな振動さえ溶かし合ってしまえそうな、長いキス。それでもまだ、はっちゃんを感じていたい。
「……ぁ、か……っちゃ、……ふっ………んん………。」
 力無く後頭部をぱしぱしと叩かれ、はっとして唇を離す。何処か虚ろに潤んだ瞳と上気した頬。名残惜しそうな煌めきが濡れ光る開いた赤に繋がっていて、心臓が跳ねた。
「かっちゃん、激しい……。」
 荒い呼吸で言われて、その唇の端から溢れていたらしい濡れた細い線を指で拭いながら、僕は慌てて謝った。
「あっ、ごめんっ。……ごめんね、大丈夫かい? 思わず、その……夢中になってしまったんだ……。」
 恥ずかしさに語尾を消しながら、力を緩めると崩れてしまいそうなはっちゃんを支えるように抱きしめる。あまりに心地良くて、嬉しくて……つい理性を失いかけた。こんな風になるなんて……はっちゃん、幻滅してしまった?
「ごめんね……?」
 落ち込みながら謝ると、はっちゃんは何とも言えない顔をして、ポツリと言った。
「こんなに可愛いのに凄いんですって、犯罪じゃん?」
「……? 何だい?」
「や、何でもないよ。何でもない。かっちゃん? 次はも少し、息する余裕頂戴ね。」
 照れた顔で頬にキスされ、僕はまだ少し力の抜けたはっちゃんを抱きしめながら頷いた。
「ああ……そうするよ。」
 ふっと笑い合って、触れるだけのキスをして、僕達は手を繋いで屋上を後にした。
 この學園での事を、君は忘れないと言った。この先僕達がどうなるかなんて分からないけど、少なくとも僕は君の記憶に残る事が出来る。でも……君と未来を共にしていけると、願いのままにそう信じて良いだろうか。繋いだ手を、離したくないんだ。
 のんびり歩く帰り道、手にそっと力を込めたら、はっちゃんも嬉しそうに笑って握り返してきた。それだけで僕は、沢山の些細な幸せと一緒に、このまま世界が繋がり続けていく気がした。君が隣にいてくれるだけで、僕は強くなれる。君が離れていく前に、それを本当の強さにしてみせるから……君は安心して、前だけを見ていてね。










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