君と居る空
九龍妖魔學園紀 取手×主
T-SIDE


 広いホールに置かれたグランドピアノと、沢山の観客のざわめき。タキシードを着て、ステージの袖でライトを見上げる僕。

 今日の演目は特別に、僕が初めて書いた曲がある。はっちゃん…君への想いを込めた、最初の曲だよ。予定通りに遺跡から帰ってきていたら、それを聴く筈だね。でも……その為に無理してないか、心配だな。控え室から見た夕日は、何処か懐かしくて優しい色だった。君もそれを見たのかな。


 初めて出会った、あの頃…。僕は心を閉ざしていた。関わって欲しくなんか、なかったんだ……誰にも。だからルイ先生から、君達に僕の事を話して貰った。そうすれば僕に関わろうなんて思わない。そう思って。

 それなのに。

 君は、来た。僕が居る、あの闇の中に。僕を救いたいと言って。


 姉さんがピアノを弾けなくなった事、そして死んでしまった事実を、僕は長い間受け入れられずにいた。口下手な僕を理解し、誤解しがちな周囲から守ってくれた、優しい姉さん。もう何処にも居ないなんて……もう笑い合えないなんて、信じたくなかった……。

 そんな現実を忘れたくて、どうしようもなく逃げたくて。両手から精気を奪い取る事で、幻の姉さんの指を戻そうとしながら……心は闇にのまれるばかりだった。


 もう二度と、戻れないと思っていたのに。二度と、取り戻せないと思っていたのに。あの日失われた旋律を、光を、君は探し出してくれた。

 あれから僕は、毎日ピアノを弾いた。そして初めて君の前でピアノを演奏した日の放課後、君は言ってくれた。

「お姉さんの思いとか、取手にとってのお姉さんの存在の大きさが、凄く心に伝わってきたよ。そんな風に弾けるの、凄いと思う。取手のピアノの音、取手の声みたいで好きだなぁ。」

 あの時、墓守として罪を犯した僕のこの汚れた手は、君を柔らかな笑顔に出来るのだと知った。

 それからも毎日ピアノを弾きながら、気付けば君の事ばかり想うようになった。


 事実を受け止める強さを持つ事が出来たから、今では天国の姉さんにも胸を張れる。僕はもう大丈夫。守りたい存在を手にしたんだ。まだ弱い部分もあるけれど、もう逃げたりしないよ。

 風がどんな音で、そよいでいたのか。水がどんな音で、せせらいでいたのか。姉さんがどんな風に笑っていたのか。

 逃げる代償に忘れていた旋律は、今はこの指に染み込んでいる。はっちゃん…君の感触と同じように。


 逢いたいよ、はっちゃん。その願いが叶う明日の事を思うと、どうせ眠れないんだから…今日だけ夜なんて無くなればいいのに。その分、明日が長ければいいのに。

 毎日のようにメールをしていても……声は聞けない。抱きしめられない。だから、逢いたい。危険な仕事をしている君の無事を確かめたい。逢って、抱きしめて、キスをして……体に負担でなければ…君を奏でたい。

 明日の朝まで待ちきれないよ。何時も伝えていたいから。ステージが終わったら、メールを送ろう。

“記憶の中の笑顔だけじゃ、我慢出来無くなってきたよ。早く君を抱きしめたい。君も同じ気持ちだったら嬉しいな。”






H-SIDE


 何日も強行軍で遺跡に潜り、何とか秘宝を入手したのは、自分で決めた期限ギリギリの最終日。合間にこなしたクエストもそこそこに遺跡から出ると、沈み始めた太陽が空をオレンジに染めていた。優しい、何処か懐かしい色合い。服についた汚れを叩きながら、何時か窓から見た夕日を思い出した。一番の宝物を見付けた、あの學園で見た空を。


 テントに戻って、ラジオをつけた。わざわざこの時間に戻ってきたのには理由がある。異国語のニュースを聞きながら、銃の手入れや荷物の整理に時間を費やした。


 やがてニュースが終わり、アナウンスが告げたのは、ピアノリサイタルの生放送開始と、Kamachi=Torideの名。俺は手を止めて、寝袋の上に転がった。

 柔らかで優しい、鎌治の笑顔を連想させる音色が始まる。目を閉じるとあの頃の昼休みに帰ったようで、口元が緩んだ。欲しいぬくもりが隣には無くても、今日は滑らかな旋律が自分を抱きしめてくれる。


 口下手な鎌治はその分、音に正直だ。想いを込めて奏でられたそれは人を魅了する。學園を卒業後、音大に通いながら異例な早さでプロ入りした鎌治は、あっと言う間に世界進出を果たした。それでも謙虚な性格は変わらず、あまり社交場にも出ない。…その本当の理由は、自分のバディをしてたりするからだけど。


「かっちゃん…。」

 遺跡と街が融合したこの国で今、同じ空の下にいる。だからこそラジオで聴ける、鎌治の音。

『逢いたい』

 小さな機械から溢れ出す、鎌治の声。

「俺も逢いたいよ…。」

 幾つ目かのこの曲は、鎌治の処女作。昼休み、照れた顔で聴かせてくれた。


 明日になれば、逢える。声が聞ける。抱きしめあえる。音楽室から夕日を見た時のように、寄り添いあって…キスも出来る。

 でも、待ちきれない。

 メールを送ろう。抱きしめてくるこの声の返事を送ろう。明日には叶う願いを。明日には言える想いを。今日も、伝えたいから。

“早く逢いたいよ。逢って俺を抱きしめて。かっちゃん…大好きだよ。”










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