恋するオ××
九龍妖魔學園紀 取主

 遠くなった空が涙を誘う秋空。細くたなびく雲は、アタシの心の様に簡単に千切れてしまいそう。

 ああ、誰かこの切ない心を抱きしめて。

 アタシは小さな溜息をついて、潤みそうな瞳を手元に移した。手首に結んだ一輪のコスモスだけが、美しく哀愁を放つ今のアタシを慰めてくれる唯一のぬくもり。

 校舎前、コスモスに囲まれて座るアタシの耳に、優しいピアノの旋律が届いた。この時間なら、弾いているのは取手君ね……ああ、アタシの為に。嬉しくて泣きそうよ。なんて控えめな心遣いなの。

 こんな時アタシの心に寄り添えるのは、やっぱり取手君の優しさだけよ。ピアノをひくアナタの隣にはきっと九龍クンがいるのね。でも、今はそれでいいの。アタシは、この音色に寄り添えるだけで幸せなの。大丈夫よ取手クン、今夜は体も寄り添いに行くわ。

 ごめんなさいね、ダーリン。アナタの心も分かっているけれど、今は……。

「コンナ所、ドウシマシタカ? 風邪ヒクデスヨ?」

 ふと顔を上げるとトトクンが心配そうにアタシを見ていた。影を帯びたアタシの瞳と、黒曜石の輝きを放つトトクンの瞳が重なる。ああ、エキゾチックなアナタに吸い込まれてしまいそう……。

 トトクンはいつも、アタシと目が合うと照れて伏せてしまう純情ボーイ。……いえ、違うわね。このアタシの魅力を直視出来ないのは、トトクンに限った事じゃないわ。なんて罪深いア・タ・シ。

 でもそんなトトクンが、心配のあまり遠慮がちにアタシを見ている。今こそその気持ちに応えなくちゃ。奥手なトトクンには何時も飛びついてばかりだから、今日はしおらしくいこうかしら。追われると逃げたくなっちゃうものなのよ、ぐふふ。

「有難う、トトクン。優しいのね。秋は意味もなく悲しくなるから、すどりん困っちゃうわ。」

 そっと涙を拭いて綺麗に笑ってみせると、トトクンは安心した顔で頷いた。

「分カリマス。日本ノ秋、イイ季節。哀シク美シク……アタタカ、デス。初メテノ季節、チョット人恋シクナルデスネ。」

 そうよ! そうなのよ! トトクン、アナタはアタシをこんなに理解してくれていたのね! ああ、煌めく秋の僅かなあたたかさを、身も心も唇も寄せ合ってアナタと共有したい。

 胸に手を当てて静かに笑うトトクン。押し倒したいわ、なんて美味しそうなの。食べちゃいたいッッ。でもアタシはその衝動をぐっと堪え、儚く笑って片手を差し伸べた。

「トトクン、アタシをここから連れ出してくれるかしら?」

 ピシリと緊張したトトクンが、憂いを帯びたアタシの瞳を見つめ返してきた。そよ風に揺れるコスモスの香り。時間が止まった様に見つめ合うアタシ達。なんてロマンチック。

「…………ハイ。ドゾ。」

 褐色の肌の王子様はぎくしゃくと頷いて、アタシの手を取った。ああ! これぞロマンス! アタシは今、秋という憂いから救い出されたお姫様なのよッ。

 王子様の手をしっかりがっちり握ったアタシは、引っ張られるまま立ち上がり、一歩進むとよろけたふりで細い腰に抱きついた。無防備な男の制服をはだけるなんて、瞬きと同じくらい簡単よ。こうしてシャツの上から頬を擦り寄せると、トトクンはどことなく異国の香りがするの。たまらないわ。これってトトクンとアタシだけの秘密よねッ。鼻血出ちゃううッ。

「アノッ、待ツデス、朱堂サンッ!」

「あ〜らなぁにぃ、王子さま! これ以上焦らしちゃ、イ・ヤ・よ?」

 直ぐに押し倒さなかったアタシを褒めてほしいくらいなんだから。ご褒美にその引き締まったお尻を触っちゃおっと。ギャーッ、すどりん超積極的ッ!!

 身をくねらせるアタシのセクシーさに痺れて動かない、シャイで奥手な王子様。ああ、今魅せてあげるわッ! 可憐な姫から美しき夜の女王に変貌する魅惑的なアタシをッ!!

「うらぁッ!!!」

「ごふぅッ!!」

「ウワッ」

 突然背中を貫いた痛みに、アタシはトトクンに抱きついたまま吹っ飛んだ。側に生えていた木に受け止められたのもつかの間、誰かに襟首をぐいっと掴まれてトトクンから引き剥がされる。ボールが転がる音に嫌な予感がして振り向くと、いつもアタシに嫉妬してやまない八千穂が炎を背に立っていた。

「な、何よッ、アタシとトトクンの熱ぅ〜い夜を邪魔するつもり?! 女の嫉妬は醜いわッ!」

「まだ夕方にもなってないわよッ! っていうか大人しく花壇に座ってると思ったら何やってんのッ!」

「王子様とラブロマンスしてただけじゃないッ!」

「セクハラの間違いでしょッ!! 大丈夫? トトクン!」

「ア、ハイ……。アリガトウ。」

 ああもう何よこの馬鹿力! 逃げられないじゃない!

「逃がさないわよ。」

 心を読んだような迫力のある声に、思わず固まった。だ、だってアタシ、か弱い乙女だもの。

 叩きつけられるように投げ出され、這うように逃げるアタシの背中に声が飛んだ。

「八千穂スマッシュ!!」

「ぎゃぁぁぁッッ!!!」



 ………寒い……寒いわ……。何て心に沁みる木枯らしなの。身も心も痛くてたまらないわ。きぃ〜! 今に見てなさい八千穂! いつかアタシの美しさを認めさせてあげるんだからッ。

 白いレースのハンカチを噛みしめ、暮れ始めた空を見上げるアタシは今まさに悲劇のヒロイン。傷付いてヨロヨロと歩くアタシは何時の間にか、弓道部の側に来ていた。日が良く当たる壁際に咲く色とりどりのペチュニア。気高い薔薇が似合うアタシも、この愛らしさには親近感を感じるのよ。季節的にもう枯れるけど、優しいアタシが最後まで見届けてあげるわ。

「何やってんだアンタ。」

 壁に向かってしゃがんでいると、そのか弱い背中に男心を擽られた夷澤クンが声を掛けてきた。静かに花を見ていられないのは仕方ないのよ、だってこのすどりんを放っておいたら男がすたるもの。だからアタシは精一杯明るくふるまうの。それが薔薇を背負って生まれたこのアタシのさだめ。

「花を見ていたのよ。一生懸命に咲く花はいつ見てもいいものね。」

「それ枯れかけてるけど。」

「アタシも今、アナタの愛に飢えて枯れそうなのよ。さァ、すどりんを抱きしめてッ。」

 しゃがみこんだ体制からジャンピング・ラブアタックで愛を確認しようと、宙に浮いたその瞬間。

「凍拳!!」

「立ち引き……ッ」

「がふぉぅッッ!!!」

 壁にめり込むアタシの視界の隅で、青ざめて肩で息をする夷澤クンの腰を神鳳クンが抱き寄せた。

「誰に触らせる気ですか? 僕以外は許しませんよ。」

「ばっ、馬鹿じゃないすか。センパイにも触らせる気なんてないっすよ。」

 そう言いながらも照れたように神鳳クンの服の裾を掴む夷澤クン。

 ああ、きたわ、きたわ……ッ! アタシのキュンキュンタイム! さり気ないスキンシップをするこの二人に気付いてるのはきっとアタシだけ。誰もいない部室で二人だけの時、夷澤クンがどんなに可愛いかもアタシは知ってるのよ。だってばっちり覗いてるもの、ふふふ。いつかその可愛い顔をアタシに向けてみせるわ。ああ、アタシって悪いオカマ。略奪愛に目覚めるなんて。

 寮に帰っていく二人を女豹の笑みで見送りながら、刺さった矢を抜いて乱れた髪を整えて、ついでに軽くメイク直し。いついかなる時もアタシは美しくないといけないの。

「あ、すどりん。」

 ほらね、アタシは人気者なのよ。美しくないアタシで幻滅させちゃいけないわ。振り返ると、アタシの大好きな二人。

「ダーリン、取手クン。今帰り?」

「うん。すどりんは、いつもの水やり?」

「……え?」

「朱堂君、夏から……ずっと、このペチュニアに、水をあげているよね……?」

「え、ええ、良く知ってるのね。だって、花壇に咲いてない花に水をあげる人なんて、園芸部にもいないもの。」

「かっちゃんから聞いたよ。この花、突然ここに咲いて、すどりんが世話してるんだって。本当は、別の場所に咲いてたんじゃないの?」

「あ〜ら、さすがねぇマイダーリン。弓道部の部室裏に咲いてたのよ。でもあそこは日当たりが悪いから、植え変えたの。」

 そう、あれは……太陽までもがアタシに嫉妬して燃えた夏のある日。あまりの暑さに目がくらんで、思わず響チャンの白い肌で冷やして貰おうとした時の事よ。ほら、よくあるじゃない。か弱い乙女同士の戯れ……男子禁制の秘密の花園の様な、あれよ。

 恥ずかしさに声も出ない可愛い響チャンに吸い付こうとした瞬間、夷澤クンの声と共に空を飛んだアタシは、気が付くと弓道部の部室裏に居たの。痛みに頬を押さえて顔をあげたアタシの前に、このペチュニアが咲いてたわ。

 日陰で、哀しそうに揺れて……まるで、アタシと響チャンの仲を誤解して嫉妬した夷澤クンの様に。だからアタシ放っておけなくて、いつも日が当たるここに植え変えたのよ。毎日アタシの愛情をたっぷり注いだら、元気に株いっぱいの花を咲かせたわ。

「日陰の花をわざわざ植え変えて面倒見るなんて、すどりん優しいな。」

「うん。僕もそう思うよ……。枯れかけても……毎日きちんと、水をあげているんだね。」

 アタシを見つめる二人の笑顔にときめく。どうすればいいの……、アタシ、一人だけなんて選べないわ……。

「ぃやぁねッ、乙女なら当然の事よッ。おーほっほっほッ!」

 二人の間で揺れる切ない心を隠して笑うと、ダーリンがにっこり笑ってアタシの手を取った。

「すどりんの愛情があるから、この花はこんなに長く咲いてるんだね。」

 そう言って乗せられたのは、ちょっと熱いココアの缶。

「……朱堂さんの気持ち、きっと花にも届いているよ……。」

 汚れたアタシの制服を軽くはたいて小さく笑う取手クン。

 全てを包んでくれる様な二人に、思わず涙が滲んじゃう。アタシの愛は、ちゃんと皆に届いているのね。二人はそれを伝えてくれたんだわ。嬉しい……。アタシ頑張るわ、アタシ達の愛の為に!

「じゃぁすどりん、また明日ね! いこ、かっちゃん。」

「じゃあ、また……。」

「有難う、ダーリン、取手クン! んちゅッ。」

 アタシはココアの缶を胸に、手を繋いで帰る二人を投げキッスで見送った。二人の天使に愛されるなんて、やっぱりアタシったら、罪なオカマ。

 大丈夫よ、アタシ、二人からの愛を受け止めるわ。明日からは三人で愛し合いましょッ!

 わざわざ遠回りでアタシの横を通り過ぎる皆守クンの冷やかな目なんて、めくるめく愛に身悶えるアタシは全く気にならないわッ。



「ごめんね、折角かっちゃんが奢ってくれたのに。」

「いいんだよ。とても……君らしかった。」

「有難うかっちゃん。お礼とお詫びに、今度は俺が奢るよ。そこに自販機あるし。」

「気にしなくていいのに……。」

「いいから、ね? ほら、どれにする? もうお金入れちゃったよ。」

「……じゃぁ、これを。」

 ピッ。ガタン。

「ココア?」

「うん……。そ、それで、ね……。」

 プシュッ。こくり。

 くいっ。

「え? んッ……ン、………。」

 ちゅっ。

「一緒に飲もう……?」

「うん! ふふ、甘いね、ココア。ねぇ、もっと飲ませて。」

 ぎゅっ。

「……うん、でも、そんな何回もは……恥ずかしいよ。」

「かっちゃん可愛いなぁもう。じゃぁ次は、俺が飲ませてあげる。」

「お前ら、部屋でやれ!」

「あ、こーちゃん。今帰り? っていうかヤキモチ?」

「誰がだッ。」

「……そ、その、ごめんね。」

「謝る事ないよかっちゃん。部屋ならいいって。早く行こ! ココア冷めちゃう。」

 ぐいぐい。

「あ、うん、……またね、皆守君。」

 そうして遠くなった二つの影に漏れた、呟きと溜息。

「………お前らにココアの温度なんか関係ないだろ……。」





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