優しい腕
九龍妖魔學園紀 取主
その日、かっちゃんの様子がいつもと違った。この間もいつもと違うなって感じた事があったけど、それはほんの少しの違和感で、敢えて聞かなかった。かっちゃんはもう弱くないし、何かあれば言ってくれる。
「ねぇ、はっちゃん。」
昼休み、音楽室の窓辺に居たかっちゃんが俺を振り返る。でたらめに鍵盤を押していた俺は手を止めて、心配そうなかっちゃんを見た。
「どうしたの、かっちゃん。」
「……その、何でもないならいいんだけれど……はっちゃん、何か心配事でもあるのかい?」
「え? 俺?」
俺は心配事という言葉に内心ギクリとしてかっちゃんを見た。甲ちゃんの姿が胸に浮かんで、じわりと仄暗い気持ちが広がる。
甲ちゃんと戦う事になるかもしれない。それならそれでいい。何もかもを諦めたあの瞳から、闇を消せるなら。
でもそう思う度、その闇の深さに焦燥感が生まれる。
ピアノの椅子に座る俺に近付いて、かっちゃんはそっと俺の頬を撫でた。少しひんやりした遠慮がちな手。確証もない事を聞くなんて、かっちゃんにはきっと凄く勇気がいる筈だ。その勇気に応えられたらいいけど……ごめんね、かっちゃん。
「何も無いよ?」
明るく言うと、かっちゃんは少しだけ悲しそうに笑った。
「そう……。それならいいんだ。」
そんな顔をさせた事に、胸が痛む。ごめんね。でもどうして気付いたんだろう? 誰にも悟られてない自信があったのに。
「どうしてそう思ったの?」
顔から離れていきそうになるかっちゃんの大きな手を掴まえて、軽く引っ張った。促されるままかっちゃんが隣に座る。躊躇ったり遠慮されそうになった時は、ちゃんと体を近くに寄せて安心させてあげないと、かっちゃんはそのまま言うのをやめちゃうから。
「………、この間から時々、皆守君を見ている時の君の眼が、……何だか必死に見えて。……上手く言えないけれど。何かあるのかなって。……ごめんね、僕の勘違いだったみたいだ。」
静かに笑うかっちゃんは何時もと同じようで、やっぱり少し違う。きっと本当は、俺が甲ちゃんに何か感じてる事に気付いてる。でも、言わない俺を尊重してくれてるんだ。
甲ちゃんの事で、不安や心配が無いと言えば嘘。気負い過ぎて、逆に焦りや不安が生まれる。分かってても珍しく自信に欠ける自分を奮い立たせたくて、そんな気持ちが知らずに出てたのかもしれない。
かっちゃんが、自分でも無意識だった些細な変化に気付いてくれた事は、本当に嬉しい。でも甲ちゃんが隠している事を、俺が勝手には言えない。だから……ごめんね、かっちゃん。
「……かっちゃんは、本当に俺をよく見てくれてるね。」
繋いだままの手をぎゅっと握って、いつも俺を包んでくれる腕に擦り寄った。見下ろすかっちゃんが照れたように目を細めた。
「そ、そうかな? クラスが違うし、皆守君のようにはいかないけれど……そう言って貰えると嬉しい。」
かっちゃんは空いていた手で俺の髪を撫でて、はにかみながら言葉を続けた。
「はっちゃんには誰にも負けない光がある。僕や周りの人達を、その光で包んでくれる……。君ならきっと……、あの遺跡の底だって照らせるよ。僕はそう信じてる。だから……何があっても君が迷わず進める様に、僕も強くなるからね。」
きっとかっちゃんは、かっちゃんの言葉を否定も肯定もしなかった事にも気付いてる。だからこその言葉なんだよね? かっちゃんはどこまでも優しい。優しくて、広い。
かっちゃんが傍に居てくれるから、きっと大丈夫。かっちゃんが信じてくれてるから、頑張れる。俺はあの遺跡から、絶対に甲ちゃんの秘宝を見付けだすんだ。
「俺もかっちゃんを信じてるよ。一緒に頑張ろッ!」
繋いだ手に力を込めて、俺は笑って目を閉じた。少しして、遠慮がちに唇が重なる。それを舐めると、ピクリと肩を揺らして、でも必ずその舌で絡め取ってくれる。必ず俺を受け止めてくれる。
「有難う。かっちゃん大好き。」
色んな想いを込めて、キスの合間にそう囁く。薄く目を開けると、真っ赤な顔のかっちゃんが嬉しそうに笑った。
「僕も、はっちゃんが大好きだよ。」
想いが伝わる瞳と色付いた低音ボイスに、心も体も震える。抱きしめあってもう一度想いを重ねた俺達に、予鈴なんて聞こえなかった。
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