秋色葉
鏡花水月
 山で一人暮らしをしていた貴夜が、朝希と同居を始めて二ヶ月が過ぎた頃。太陽は漸く落ち着きを取り戻し、風に目覚めた秋の眼差しは琥珀の煌めきで大地を染め始めていた。

 朝日を艶やかに反射させる黒髪をかきあげ、貴夜は軽く溜息をつく。明るい日差しを取り込む窓からは秋晴れの空が見えたが、出来れば朝希との朝食を終えた今から寝てしまいたかった。

 殆ど眠れずに朝を迎え、眠気を昼間のうたた寝で抑える。そして夜に布団に入るが、寝付けない。ここ十数日それを繰り返している貴夜は、体調を崩しながら、基本の体質と長年の習慣はそう簡単には変えられないのだと思い知らされていた。

 だが、朝食を夕飯代わりに食べて寝ていた貴夜が、初めて昼食にも顔を出すと伝えた時の朝希の笑顔を思うと、この努力をやめる気にはなれなかった。





 そういった事を貴夜は何も言えずにいたが、朝希は気付いていた。夜型だった生活を自分に合わせようとしてくれている事も、貴夜の目の下にうっすらと隈が出来ている事も。

 体調が気になり、昼前に貴夜の部屋を訪ねてみたが、返事が無い。戸を開けてみると、壁に寄り掛かって目を閉じる貴夜がいた。気配に気付いたのか、眠そうに目を開ける。

 軽く頭を振り目覚めようとする貴夜の隣に座り、朝希は優しく言った。

「眠り過ぎないよう起こすから、少しは寝た方が良い。体が辛いだろう?」

 貴夜は無言で肯定するように再び目を閉じた。

「おやすみ、貴夜。」

「・・・・・・ん・・・・・・。」

 こつりと頭を朝希の肩に預け、貴夜が微睡む。普段、滅多に自ら触れてくる事の無い貴夜のそれに、朝希は余計に心配になった。

 只眠いだけなら良いが、無意識にそうする程具合が悪いのだろうか。

 それでも、接する時間が増えるよう生活を合わせて欲しいと思う自分に苦笑し、貴夜の髪を梳いた。親が子を慈しむような表情と手つき。貴夜に持つ感情は、身内への愛情に似ていた。

「・・・・・・朝希・・・・・・。」

 眠そうな声で名を呼ばれ、髪に触れた事が気に障ったかと手を引いた。逃げはしないが、触れると何時も体を硬くする。だが貴夜は、朝希の肩に頬を擦り寄せ、また動かなくなった。

「貴夜・・・・・・?」

 呼び掛けてみるが、返事は無い。静かな呼吸が貴夜の眠りを告げる。

 無意識に甘えられていると・・・・・・思って良いのだろうか。

 貴夜は薬草や木の実に詳しい。当然、睡眠効果のある物も知っているが、生まれつき耐性がある為あまり効かないと言っていた。だが、人並みに敏感な香りなら少しは聞くかもしれない。

「おやすみ、貴夜・・・・・・。」

 今夜も眠れないようなら、何か心身を安定させる香を焚いて流してみようかと考えながら、朝希はもう一度貴夜の髪を撫でた。





 それから数刻後。

「貴夜。」

 自分を呼ぶ優しい声。それは記憶に眠る母のようで、貴夜はそのぬくもりに手を伸ばした。

「貴夜?」

 抱きついてくる貴夜に驚きながらも朝希が呼び掛ける。見返すのは眠そうに細めた、だが穏やかな瞳。

「・・・・・・。」

 微笑のように緩んだ口元が何かを言い掛け、貴夜の瞳が焦点を合わせていく。そして、抱き止めながらも反応に困っているような朝希と目が合った。

 状況が分からず、不思議そうな顔をしていたのは、数秒。

「・・・・・・!」

 ビクッとあからさまに肩を揺らし、貴夜は慌てて朝希から体を離した。どう見ても自分から抱きついていたという衝撃に戸惑い、視線を泳がせる。

「・・・・・・具合はどうだ? 少しは楽になったか?」

 何時もと同じ口調で尋ねられ、貴夜は目を逸らせたまま頷いた。

「そうか、それなら良かった。そろそろ昼食が出来ると思うから、後で呼びに来るよ。」

 朝希は穏やかに頬笑み、子供を落ち着かせるように貴夜の頭を一撫ですると、使用人が居る台所へ行くべく立ち上がる。その後姿を見送り、貴夜は緊張を解くように小さな溜息をついた。





 生きていくのに不便な外見の自分を、最期まで大切にしてくれた母。それと同じような、何処か違うような居心地の良さを、夢現に感じていた。自分の名を呼ぶ朝希の声の優しさを、そこにある感情が常にあたたかである事を、信じているからだろうか。

 羞恥に動揺していた心は、朝希の態度に冷静さを取り戻してきていた。

 何時か自分も、朝希を自然に気遣えるだろうか。そういった事は相変わらず下手だが、せめて気持ちを伝えられるようにはなりたかった。結局それも出来ずに、行動で示そうとしているのだが。

 何時か伝えよう。感謝と信頼を。

 そう心に決めて、貴夜は朝希が呼びに来るのを待った。










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