願花 その後
鏡花水月
 静かな寝息に上下する、貴夜の肩。その穏やかな寝顔が、朝希の目の前にある。親の懐で眠る子供の様に、朝希の布団で横になる貴夜に警戒の色は無い。まだ時々眠れないようだが、大分夜型ではなくなった。何の抵抗も無く朝希と同じ布団で眠り、触れる事に反応はするが、嫌がる事は無い。背を向け合っていた以前と違い、今は朝希の方を向いて眠っている。

 思えば随分懐かれたものだと、朝希は嬉しげに笑みを浮かべた。出会ったばかりの頃はまともな会話など殆ど無く、只拒絶ばかりを感じていた。当時は貴夜の外見から推測される過去を思えば仕方の無い事だと受け止めていたが、傷付いた事も無かったわけではない。だが今は具体的な事実を話して貰えるまでになった。偶然でも触れると距離を空けられていたが、今は意図的に触れる事をも自然に受け入れてくれている。きっと無自覚だろうが、心地良さそうに薄く笑む事さえある。時間をかけて得た貴夜との距離は、あとどれだけ縮める事が出来るだろう。

 貴夜の過去、趣味、好み、性格、癖。全てでは無いが、出会った頃より格段に貴夜の事を知っている。それをもっと知りたいと思うのは我儘だろうか。

 朝希は貴夜を起こさない様、そっと頭を撫でた。出会った頃の短髪も似合っていたが、肩まで伸びた髪は貴夜をより一層美しく見せている。貴夜ほど美しい黒を身に纏う者はいない。

 『光の加護が無い不吉な者』とされ、尚且つ微力ながら常人には無い力を持つ事を示す黒髪と黒い瞳。人々が貴夜に畏怖するのは当然だが、それだけで攻撃するなど間違っている。彼が類を見ない程の力を持ちながら静かに生きている事に、何故人は気付かないのだろう。

 朝希は貴夜と対等である事を望んでいた。だが実際は、少なくとも朝希にとっては、あまり対等であるとは言い切れなかった。肝心な事をまだ何一つ言えていない所為だ。これでは近付いたとは言い切れ無い。秘密を多々抱えながら一方的に貴夜の事を知りたいなど、やはり我儘かもしれないと、朝希は思わず苦笑した。

 出会った頃から貴夜の事を知りたいと思ってきた。その気持ちは変わらない侭、只理由だけが変化している事に気付き始めている。

 だが気付いたところで、どうなるものでもない。この距離を壊す危険を犯してまで手に入れたい関係でもない。貴夜の中での己の位置を確認しながらでしか、明かす事の出来ない自分。それを片付ける方が先だろう。

 朝希はそっと貴夜の手を取り、指先にくちづけた。まだ誰も知らない、密かな願いを込めて。










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旧ブログからの転載。