星逢瀬
鏡花水月
真剣な眼差しに

嘘は無くて

此処に居ても良いと

今なら思える

静かに繋いだ手は

あたたかくて

お前の側に居たいと

漸く気付いた







 月にかしづく星達に彩られ、夜の闇は壮麗な光に柔らかく溶けていた。昼の火照りを和らげる様に、風は優しく山の木々を撫で、夏の一日に安息をもたらす。夏虫と葉音の囁きに包まれた明るい月夜の神社は、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 その鳥居に佇む、一つの影。漆黒の闇を集めたしなやかな獣のように、静かな瞳で空を見つめている。空には、満天に輝く星。眼下には、山裾に広がる村々の小さな明かり。それを一望出来るこの古い神社は、彼の気に入りの場所だった。一人でゆっくりと時間を過ごし、必要があれば薬草を採って夜明け前に帰る。それが変わらない日常の一つだった。だが今は、夜の山道を、只自分に会う為だけに登って来る者がいる。それは今日も例外では無く、近付く気配に彼は僅かに目を細めた。

 気付けばそれを待って帰る自分がいる。

「貴夜。」

 耳に馴染んだ声が闇に通り、清らかな光を集めた様な長い銀髪と、雅な風貌を持つ青年が姿を現した。邪を払う神々しい空気を纏う彼は、まるで天から降りて来たかの様だ。

 不吉だと言われ、人の中での生活がまともに出来ない、黒い髪と瞳。誰もが恐れる程それを色濃く持つ自分の隣に居るには不自然な青年、朝希。彼はそれを気にした事は無く、気にする必要も無いと言っていた。

 黙って見つめるだけの自分の隣に並び、返事が無い事を気にするでもなく空を見つめる朝希の横顔は、思わず見とれてしまう程に綺麗で、貴夜は慌てて視線を空に向けた。

「そういえば、今日は星の逢瀬の日だって知ってるか?」

「あぁ・・・・・・それで村の灯りが多かったのか。」

 人から離れて暮らしている貴夜にとっては、俗世の祭などどうでも良い事でしかなかった。そうした場に行った事も一度も無い。

「年に一度、夜の間しか逢えないなんて、俺には耐えられないな。」

「……ならば、どうする?」

「何か手を考えるさ。・・・・・・他の人に目を向けられないのならな。どんな事をしてでも、必ず逢いに行って離さない。」

「・・・・・・そうか。情熱的だな。」

 微かに笑ったともとれる瞳で短く答える貴夜に、朝希も微笑を浮かべた。

「そこ迄想える相手だったら、の話だけどな。生憎そんな相手には出会えていないし、今のところ俺は・・・・・・」

 言葉を区切った朝希が、貴夜を見つめた。視線に気付いた貴夜が顔を向けると、真面目な顔で言葉を続けた。

「・・・・・・貴夜と居る時間が大事だ。一緒に暮らさないか?」

「?!」

 思いもかけない言葉を言われ、貴夜は目を開いて朝希を見つめた侭、黙り込んでしまった。

 訪れた沈黙。

 何かの聞き間違いか、冗談かと思ったが、朝希の表情を見れば、それが本音だと解る。

「・・・・・・貴夜?」

「・・・・・・何故・・・・・・?」

 珍しく何処か頼りない声の朝希に問い返した声は掠れていた。

「一人で生活出来ているのは分かっているけど・・・・・・心配だからね。知っての通り一人では余る家だから、家賃もいらない。」

 朝希は一人で広い家に住んでいた。不思議に思う部分は幾つかあるが、素姓は問わなかった。人として信頼していけるならそれで良い。別の部屋でだが、泊まった事も何度もある。

「・・・・・・だが、俺は・・・・・・。」

 隣に並ぶには、自分は余りに異端すぎる。

「嫌か?」

 自分と居る時間が大事だと・・・・・・確かにそう言った。だから彼は、ほぼ毎日の様に自分の元へ来るのだろう。その居心地の良さは、貴夜を拒めなくさせた。だが、戸惑いは消えない。人に近付いた事は無い。近付かれた事も無い。嫌か嫌ではないかではなく、考えた事が無い。

「俺は・・・・・・。・・・・・・俺が居ると生活に支障を来す。あの家の周りには何も無いが、もし万が一、誰かに見られたら・・・・・・・・・。」

 自分と関わりのある者に、物を買わせない者もいる。自分を恐れて逃げ出す者もいる。集団で襲われ、村を追い出された事もある。自分と居るだけで、相手の平穏は壊れてしまうのだ。

 暗い瞳で見つめてくる貴夜の頭を撫で、朝希は子供に言い聞かせるように優しい微笑を浮かべた。

「・・・・・・前にも言っただろう? 力を悪用しない、人を傷付ける事もしない貴夜は、人間と何も変わらない。それに俺は、この髪も瞳も、綺麗だと思うよ。闇を宝石にした様な・・・・・・魅入られる色だ。」

 綺麗だと言われて喜ぶのは女の様で恥ずかしくはあったが、貴夜は自然に表情が柔らかくなるのを感じた。

「それにあの家は・・・・・・元々少し変わった認識をされているから、誰かが貴夜を見たとしても、大丈夫だよ。」

 確かに朝希の家には、ある種の結界の様なものが張られていた。はっきりとした事は分からないが、自分に害のあるものではない。世間に疎い貴夜にはどういった認識をされているのかもよく分からないが、力を持たない人間の中にも、漠然とそれを感じる者もいるのだろう。

「・・・・・・束縛は、されたくない。小屋は調薬に便利な場でもあるから・・・・・・必要な時は、何時帰っても自由なら。」

「ああ、必要な時なら構わないよ。束縛は俺も嫌いだから、するつもりはないさ。」

 “だから・・・・・・”

 瞳でそう問われ、貴夜は気持ちを落ち着かせる様に息を吐き、ゆっくり頷いた。

「迷惑だと感じたら、直ぐに言ってくれ。」

 仕方の無い事とは言え、何処までも自身の外見を気にする貴夜に苦笑しながら、朝希も頷いた。

「分かった。そう感じる事は無いだろうけどな。これからも宜しく。」

 そっと差し出された手に気恥ずかしげに触れれば、しっかりと握り返される。夏でも決して温かくはない自分の手に重なる、あたたかな手の平。伝わる、あたたかな気持ち。それらは出会ってから今迄、ごく自然に心を開かせてきた。無条件に自分の居場所をくれる、不思議な男。その満面の笑みに、貴夜は何時に無く柔らかな光を瞳に湛えて口許を綻ばせた。

「・・・・・・宜しく、朝希。」

 表情に目立つ変化の無い貴夜の、はっきりとした微笑。一年以上経ってなお、滅多に見る事が無い。朝希の驚きは、直ぐに喜びに変わった。不器用な貴夜の、この自然な表情を、もっと引き出したいと思わずにはいられなかった。










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