十三夜
鏡花水月
 明々と燃える幾つもの篝火と、遠い門番の所にまで聞こえる賑やかな音楽。都中が夜に染められている中で、その広い屋敷だけは昼間のように明るかった。

 宴は始まったばかりだ。


 甘さを纏う凛とした面立ち。日に当たると優しい茶色に光る、何処か色素の薄い髪と瞳。多数の女性と浮き名を流せる、言葉巧みな歌。苦手だと言いながらも弓を引けば的は外さない。才色兼備に加えて地位ある家柄の次男ともなれば、意味は違えど、性別を問わず熱い眼差しを一身に受ける。

 そんな彼、泰幸は今、御簾越しの女性を口説いていた。この宴を開いた屋敷当主に縁のある者だ。

 その側に座っているのは泰幸の幼馴染であり、どちらかと言うと歌より弓や乗馬の得意な青年、光彰。家柄の地位は高くないものの、光彰自身の将来は有望視されており、剣の腕前は常に上位を確保している。濃くはないが精悍な顔付きと、無邪気な印象を与える爽やかな笑顔との差に落ちる女性は多い。


 この二人が想いを交わしたのは、ほんの数日前の事。泰幸に想いを告げられた光彰は、戸惑い、悩んだ末に、それを受け入れた。その間、泰幸は宮廷内で会った時や光彰の家など、人が居ない隙を突いては意味無く肌に触れ、耳元で好きだと囁いてきた。


 それが今、自分の目の前で女を口説いている。光彰は胸に広がる不安と怒りを隠して平常心を努めていたが、そろそろ限界だった。毎日飽きもせず、どんなに拒んでも自分の耳元に散々愛を囁いてきたのは何処の誰か。


 光彰は静かに息をつき、席を立った。広い室内から廊下に出て少し歩き、そこに座るとぼんやり空を見上げた。賑やかな声が少しだけ遠くなる。

 宴は嫌いではないが、酔って権力を誇る上司の相手など疲れるだけだ。仲間同士ならば最後まで酔い潰れる事無く残っている光彰だが、こういった場は早々に姿を消す事にしている。今夜も様子を見て引き上げるつもりでいた。

 中秋の名月と言われるだけあって、空に浮かぶ月が美しい。よく手入れをされた庭が月に栄え、感性の無い屋敷の主には勿体無いように思われた。泰幸ならきっと美しい歌を詠むだろう。


「光彰。」

 静かな衣擦れと足音がし、名前を呼ばれた。見なくても、涼しげなその声の主が泰幸だと分かる。出来れば、気持ちが落ち着く迄は顔を合わせたくなかった。嫉妬に気付かれるのは悔しい。もし泰幸に、告白はからかっていただけだと言われても、あからさまに傷付いた顔などしたくはない。

「もう帰りたくなったのだろう?」

 自分を見ようともしない光彰の隣に座り、何時もと変わらない調子で泰幸が尋ねた。

「そうだな。家で名月観賞したい気分だ。」

 同じように、光彰も何時もの調子で返す。

「では私も行こうかな。」

「……俺はどこぞの姫君と夜を明かしてる方が楽しいけどな。」

「光彰……。」

「ま、ご自由に。」

「……嫉妬している?」

「何故?」

「どうして私の顔を見ない?」

 質問に質問で返し、泰幸は光彰を見据えた。嫉妬されている事など、最初から気付いている。

「庭が綺麗だからな。何だ、見てほしいのか?」

 光彰がそれを簡単に認めようとしない事も分かっている。それが可愛くて、ついからかいたくなるのだが、あまり機嫌を損ねる前にやめた方が良さそうだ。

 泰幸は、相変わらず庭を向いたままの光彰の耳に顔を寄せた。

「想い人の瞳に映りたいと思うのは、当然だろう? それに…今夜の月明かりならば、少しは私を美しく見せてくれるかもしれないからね。光彰の瞳を奪うこの庭のように。」

 恥ずかしげも無く言ってのける泰幸に、光彰は苦笑を漏らした。

 泰幸は、嫉妬されている事に気付いている。そのうえで、まるで余裕を見せつけるように楽しんでいる。


 家柄の事で、幼い頃からくだらない嫌がらせや陰口を受ける事が日常茶飯事だった泰幸は、心理戦で対抗する術を覚えた。つまり性格が悪い。それでも幼馴染みとして付き合ってきたのは、本気で人を傷付ける程、泰幸は無分別ではないからだ。

 恐らく、自分が心配したような事は何も無い。質の悪い冗談ではないと信じられたからこそ、光彰は想いに応えた。あの時の泰幸の、頬を染めた少女のような笑顔は、ずっと忘れないだろう。


 名月の光など無くても、光彰は何時も泰幸に魅せられている。瞳を向けていない今も尚、心は魅了され続けているのだ。

「見てやるから、来いよ。」

 光彰は泰幸を見ないまま立ち上がり、適当に部屋に入った。襖を閉め、泰幸の腕を引いて衝立の奥に行き、抱きしめる。

「理由は?」

 問いながら耳朶をはむ光彰の首に腕を回し、泰幸は面白そうに笑って答えた。

「嫉妬していないなら、どうでもいいだろう?」

「言えよ。」

 笑いを含んだ低い声で返される。耳朶に甘く歯をたてられ、泰幸の背がやや反り返った。

「単純な……事だよ。あの姫君が、光彰を気に掛けて……ッ…何かと同席していると聞いたから……。」

「だから?」

 無意識に顔を逸らせようとする泰幸の反対側の耳を指で遊びながら押さえ、光彰は甘噛みしていた方の耳に舌を差し込んだ。耳の形を確認するような舌の動きは快感となって流れ、泰幸の手や肩を震わせる。濡れた音は耳に直接響き、冷静さを奪っていく。

「……光彰に色気を、ッ……使うなん、て、許さない。光彰は私のものだ。」

 吐息混じりの答えに満足し、光彰は唇を離した。漸く泰幸を見つめ、笑う。

「ああ、泰幸が俺のものなのと同じでな。」

「光彰……。」

 『どこぞの姫君と夜を明かしてる方が楽しい』

 光彰のその言葉が、今は本心ではなくても、何時かそう思う時がくるのかもしれない。知られたくはないが、捕まえていなければ心配で仕方がないのだ。こんな些細な事にさえ嫉妬する程に。

「可愛いな、泰幸は。」

「光彰は可愛くないな。さっき迄は嫉妬していたのに。」

「嫉妬してたのは、泰幸だろ?」

 声を潜めながら、くすくすと笑い合う。本当はそんな事など、もうどうでも良かった。想いは確かに通じ合っていると、確認出来たのだから。

「好きだよ、光彰。」

 そう言って誘うように泰幸が目を閉じる。薄く開かれた柔らかな唇に、光彰は己のそれを熱く重ねる事で答えた。










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