眼差し
1
ある日、なんとなく目についたクラスメートがいた。
その人はただ野球部の練習を眺めているだけの、容姿が際立っている訳でも成績が特別いい訳でもない、ごく普通の男子高校生だった。
用があれば一言二言話す程度のそんな浅い仲。
そんなクラスメートの何に引かれたのかは分からないけれど、とにかく目に付いた。
きっかけは野球部員たちの掛け声が響くグラウンドを、フェンス越しにただ見ている姿。
理由は定かではないけれど、それから毎日のように彼が同じ場所に立っていることに気がついてからは、なんとなく観察するように自分もまた彼を見ていることが多くなった。
そうして気がついたのは、野球部員の中に彼の友人がいる事。
その友人をただ一心に見つめている事。
それがどういう類のものなのかは分からないけれど、彼はその友人の事が好きなのだろう。
そんなことをぼんやりと思った高校一年の秋。
「里若って、いつも野球部を見てるよな」
「え? あ、うん」
今日も飽きずにフェンス越しに野球部の練習を眺めているクラスメート・里若哲司に秀一は思い切って声をかけてみた。
案の定、たいして親しくもないクラスメートに声をかけられた事を驚いている様子だった哲司は、その表情のまま頷く。
「野球、好きなの?」
「・・・野球が好きというか、練習しているのを見ているのが好き?なのかな」
自分の事なのに首を傾げながら言う哲司に笑ってしまう。
「おかしな事言った?」
きょとんと首を傾げる。
「いーや。別におかしくないけど」
「じゃあ、なんで笑っているんだよ」
「里若がオレの笑いのツボを刺激したから」
「おかしくないって言わなかったっけ?」
「おかしくないと思うぞー。一般的にはね」
「なんだよ、それ」
呆れ混じりのため息をつく哲司は思っていたよりも話しやすい人物のようだ。
秀一はわずかにほっとする。
だからだろうか。
「・・・誰か、好きな奴でもいんの?」
思わず聞いてしまったのは。
「は?」
哲司は突然の問いかけに目を丸くしていた。
秀一の言葉の裏側にあるものを探るようにじっと見つめられて苦笑してしまう。
「ごめん。いきなりびっくりするよな、こんなこと聞いてさ」
「うん。かなりびっくりしてる。っていうか、なにがどうなってそんな質問になるのか理解できない」
少し表情が硬いのは気のせいか。
「いや、なんだ。里若がずっと野球部見ているから好きな奴でもいるのかなーって思っただけなんだけど。定番じゃん。好きな奴をずっと見つめちゃう。とか」
おちゃらけるように言えば、哲司も表情を和らげて笑った。
「おれ男。野球部員も男。それで好きもなにもないじゃないの?」
「マネージャーとか?」
「男子校なんですけど」
「あれ? そうだっけ?」
「坂野もうちの学生のはずだけど」
「おっかしいなぁ。オレの見立てでは里若、湯田の事が好きなんだと思っていたけど」
哲司の表情から笑みが消えた。
「郁は昔からの友達だよ」
「そうなの?」
「そうだよ。男同士で好きだなんて、そんな事ある訳ないだろ」
固い口調。
それだけで彼が湯田を特別に見ていることなんて明白だった。
「別にいいんじゃないの? そりゃ、いろいろと障害は多いだろうけど。好きになっちゃったらしょうがないじゃん」
「違う。おれは郁の事なんて・・・」
そらしたその表情が辛そうに歪んでいるというのに、それでも違うと言い張るのはなぜか。
「テツ」
ふいに横から声がかかり秀一が振り返ると、そこにいたのは今まさに話題になっていた湯田郁だった。
「テツ、どうした?」
秀一の存在などないかのように哲司に声をかける郁の登場に驚く。
「テツ?」
「大丈夫だよ、郁。こんな所で油を売ってないで練習に戻りなよ」
郁の登場に哲司もまた驚いていたようで、すぐには反応できなかったようだ。
一瞬慌てた様子を見せたが、すぐに落ち着いた笑みを浮かべてグランドを指差す。
「コイツと何かあったのか?」
コイツとは自分を指すのかと郁に視線を寄越すが彼は全く気がついていないそぶりを通した。
「なにもないよ」
首を振り、否定をした哲司に不満げな表情を浮かべる。
「でも、今・・・」
「大丈夫だから」
強い口調で言い切られ、郁は口を噤んで秀一に視線を寄越した。
へらりと笑えばきつく睨まれて苦笑がこぼれる。
なんだ。
秀一は二人の様子を見て納得する。
二人とも好き合っているんじゃないか。
方や素直になれない男と、方や嫉妬心を隠そうともしない男。
あんまりにも一心に一人を見つめつづけるから、なにか手助けはできないかと珍しくお節介をしようと思っていたのだが、その必要はなさそうだ。
「んじゃ、お邪魔虫は立ち去ろうかね」
「な! なに言ってるんだよっ。おっ、お邪魔虫って・・・!」
わざとらしく言えば過剰に反応する哲司とさっさと行けと言わんばかりの露骨に視線で物申す郁の反応が面白くて笑える。
「おまえらさ、好き合ってるなら素直になった方がいいぞー」
ヤキモキさせられた腹いせとばかりに爆弾を落とせば、案の定二人は絶句していたが、やがて互いを見つめ、夕焼けの中でも分かるほど頬を染めながら照れ笑いを浮かべているのを遠目から見守った。
「・・・・・・・・」
なぜだろう。
少し胸が苦しかった。
一瞬その理由を探ろうとして、けれど頭を振ってその考えを打ち消した。
知らないままの方がいい事だってある。
きっと、このままの方がいいのだ。
秀一は胸の奥に生まれかけた感情を覆い隠し、友達とは違う関係を築き始めた二人に笑みを浮かべた。
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