眼差し
2
夕闇に染まり始めたグランド脇の道を二人はゆっくりと歩く。
互いの距離は近い。
いや。二人の関係を知らなければ、それは友達の距離なのかもしれない。けれど、友達ではない事を知っている秀一の目から見れば二人の距離は恋人の距離に見えた。
つかず離れず、いつでも手が届くその距離。
「坂野? どうしたよ、ってさむっ」
ガラリと教室のドアが開く音。
「窓全開にして寒くないのか、おまえ」
「ん〜〜〜〜」
姿を見なくても分かる。
「おーい。先輩に挨拶もなしか?」
入ってきたのは秀一の一つ年上の先輩・浅木希理だ。
「んー」
「なに呆けてるんだよ」
「・・・別に。呆けてないっすよ」
心配するような声音に気がついて秀一はとりあえずまともな返事を返してみた。
この寒空に、しかも日が暮れた今の時刻では日の光などあるわけもない状況で窓辺に寄り掛かってぼーっとしていれば、誰でも気にはなるだろう。
だから秀一は振り返って希理にニヤリと笑った。
「ねー。センパイ聞いてよ」
「ん?」
「俺ね。恋のキューピット、しちゃったんだよね」
「はぁ?」
この窓から見えるのは、あのグラウンド。
「あの二人、お互いに好きなのにさー。奥手みたいだから、つい。って、本当は結果的にそうなっただけなんだけど」
「いいことしたじゃん」
「うん。俺ってすごいっしょ」
ふふん。と得意げに鼻を鳴らす。
「そのわりには最近元気ないように見えるけど?」
「! んなわけないじゃん!」
がばりと体を起こして隣に立つ希理を見上げた。
「俺のどこをみたら元気がないように見えるんすか?」
「そうやって必死になっているところ」
「うっ・・・」
確かに今のはムキになり過ぎた。
「ま。いいんじゃないの? そうやって落ち込むのもさ」
「・・・落ち込んでないっす」
見透かされている事が気まずくてわざと不機嫌な顔を作る。
「なんでそんなに意地になるんだよ」
吐息交じりの笑み。
「知ってるよ、オレは」
「え?」
驚きに目を見開く。
「ずっと見てただろ」
「!」
視線がグランドに向けられる。
その台詞と仕草で秀一は瞬時に彼が全てを悟っている事を知る。
考えてみれば当然だ。
秀一はいつだってこの教室からグラウンドを、いや、哲司を見ていたのだから。
そして希理はその時いつも一緒にいた。
「・・・そっか」
小さく笑って秀一もまた再びグランドに目をやった。
「二人がさー。俺を見るたんびに笑うんだよね。俺のおかげだ。ありがとうって」
「うん」
「それがさー。なんかキツくて。二人がまとまってよかったって思っているのはホントなんだけど」
あの時、胸によぎった切なさ。
その理由を今も知りたいとは思わないけれど。
「だったらおまえも見せ付けてやりゃいいじゃん」
「へ?」
ふいに視界が暗くなる。
目を瞬いているうちに額に触れたぬくもりにびくりと肩が揺れた。
「え?」
もう一度訳もわからず声を上げると、至近距離で笑われてカッと頬が熱くなった。
「なっ」
ようやくなにをされたのかを理解した秀一は転げ落ちるかのようにイスから立ち上がって希理と距離をとった。
「なんでそうなるんすか!」
「別に変なことじゃないだろ」
「そうじゃなくて! なんでそれで俺にキ、キスになるんだよ」
希理が言いたい事は分かったが、それがなぜ彼が自分にキスをすることに繋がるのかさっぱり分からない。
「なんだ。けっこう鈍いんだな」
「は?」
「おまえが誰かを見ていたように、誰かがお前を見てるって事を考えないのか?」
「え?」
笑みを浮かべながらも、どこか真剣な眼差しにたじろぐ。
「オレにしろよ」
真っ直ぐな眼差し。
戸惑って、なにを言われたのか分からなくて、秀一は言葉を発する事が出来なかった。
けれど、心臓だけは息苦しくなるほど早い。
パタリと、窓が閉まる音がした。
「あ・・・」
隔たれたグラウンドと教室。
「オレを見ろ」
その一言に、秀一は希理から目が離せなくなる。
ガラス窓一枚。たったそれだけの事なのになぜか心の中で区切りがついたようなそんな気がした。
「坂野って、いつもこの時間になると外を見てるよね」
ふいに背後から声をかけられる。
「誰か、好きな人でもいるの?」
今では聞きなれた声に苦笑を零した。
「どっかで聞いた台詞のような気が」
「気のせいじゃない?」
同じく笑みを浮かべるのは以前何気なく見つめていた里若哲司だった。
「・・・否定、しないんだね」
「んー?」
視線の先にいるのは、グラウンドでだるそうにサッカーをする希理の姿。
「好きとか、そんなんわかんないけどなー。見てろって言われたし」
「ふうん」
意味ありげな声音に哲司を見る。
「なに?」
「ううん。なんでも」
なぜだか嬉しそうに見える哲司を訝しげにしばし見つめるが、秀一は再びグラウンドの希理に視線を戻す。
そんな秀一の視線に気がついたのか、希理の視線が秀一を捕らえた。
「!」
とくりと心臓がなる。
少しばかり顔が熱くなったが、それに気がつかないふりをしたまま尚も見つめ続けた。
それはあの時交わした二人の約束だったから。
今、この胸にあるのは高揚感と早い鼓動のみ。
それがなにを意味しているのか、今度はその理由を探るのもいいかもしれない。
再びだるそうにサッカーを始めた希理の姿に秀一は小さく笑みを浮かべた。
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