幼馴染みな僕ら -after-
短編
 仕事が終わり、ちょうど同じ頃に仕事が終わったという夫と落ち合って、買い物を済ませて。

 やっと自宅だぁ。と、可愛い息子と一緒の食事にわくわくしながらドアを開いた己の耳に聞こえてきたのは、


『あっ。あぁっ!』


 ギシリ、ギシリと何かがきしむ音とあきらかな嬌声だった。


『んんっ』


 しかもあろう事か、この艶に滲んだ声の方が我が愛しの息子の声のような気がするのは気のせいか。


『トモっ』


 その上、もう一人の男の声も聞き覚えがあった。

 そう。息子の幼馴染みの少年の声ではあるまいか。


 これがなにをしている最中に発せられるものなのか、分からないなどとかまととぶる年齢でもない。

 だからこそ衝撃が大きく、その場から動くこともできずに思考が停止してしまっていた。


「潤。おい。しっかりしろー」


 先に我に返ったらしい夫は、ぽんぽんと肩を叩くが、潤はいまだに固まったまま。現実感がやってこなかった。


 幼い頃に引き取って、この年まで育てた10年余り。

 ああ。ついにこの時が来たのか。と思うのと同時になんでよりにもよって相手は男なのか。

 そんなことを言ったら男同士で事実上の婚姻関係を結んでいるお前はどうなんだと言い返されそうだか、そんなことは関係ないのだ!

 大事な大事な息子、正確には甥にあたるのだが、彼には姉と同じようにまっとうに女性と恋愛をして結婚をしてほしかった。

 同姓との恋愛がどれほど辛いか・・・自分たちがしてきた思いを智之にしてほしくなかったというのに。


 ガラガラと音を立てて夢が崩れ落ちてゆく。同時に停止した思考はなかなか再起動してくれなかった。

 そんな潤をため苦笑混じりで見つめた夫・保典は、今だ続く艶めかしい声にもため息をついた。


『いやぁっ・・・あぅ んっ』


 ずいぶんと快楽に溺れているようだなぁ。なんて、冷静な思考でいられたのは潤とは違い血縁関係がないからなのか。

 いや。血のつながりはなくとも、実の息子と思って大事に育ててきたのだ。智之を愛する気持ちは潤にも負けないつもりだ。

 ならば、息子の逢引現場に居合わせてこんなに落ち着いられたのはもともとの性格によるものなのだろう。

 考えてみれば潤が喜怒哀楽がはっきりしているが、保典はあまり感情の波は激しくない。

 きっと感受性が豊かな潤の方が立ち直るのが大変なのだろうと頷く。


 だがしかし、分析をするだけで精一杯の時点で保典自身もそうとう混乱している事に本人は気がついていないかった。


 やがてひときわ高い嬌声が上がり、次いで訪れた静寂に『終わった』事を知った二人はようやく思考が動き出した。

 互いに顔を見合わせて、バカみたいに玄関に立ち尽くしていたことに気がついてどちらともなくため息をつく。

 のろのろと靴を脱いでリビングに行くと、非常に疲れた思いで座り込んだ。


「・・・どうする?」

 保典はちらりとうなだれたままの潤を見やる。

「どうするって・・・なにが・・・?」

「智之の部屋に行くのか?」

「・・・・・・裸で抱き合ってるのを見たら頭に血が上りすぎて気を失いそうだから行かない」

「・・・なるほど」

 聴覚でこれほど衝撃が大きいというのに、視覚までプラスされたら本当に自分が何をするのか分からない。

「どちらにしてもアイツはコロスがな!」

 大事な大事な息子に手を出したあの少年。

 いや、たとえ誰であろうとただではすまさない。

 ギリリと音がするのではないかと思うほど歯を噛み締める潤に苦笑をこぼした所でキィとドアの開く音がかすかに聞こえて保典は顔を上げた。

 同時に潤は勢いよく立ち上がり、いとしい息子の部屋から出てきた少年の元に走りよった。

「てめぇ! やっぱりお前か、このクソ坊主!」

「げぇっ、な・・・」

 なんでいるのか。そう言いたかったに違いない。しかし、胸倉を掴まれ喉を詰まらせた少年は言葉を紡ぐことができなかった。

 振り上げられた右腕を見た瞬間、首を竦めて目を摘むって衝撃に備えるのを横目で見つつ、保典は慌てて潤の腕を掴んで止める。

「なんで止めるんだよ!」

「本当に殺しかねない顔をしているからだよ」

「殺そうと思ってるんだよ!」

「オレは潤を犯罪者にしたくないし、智之も悲しむよ」

「うっ・・・」

「ほら。手を離して。まずは話し合い」

「・・・・・・・・・・」

 とても不満げに眉を寄せ、それでもしぶしぶと手を離す。

 すると少年・縁はわずかに咳き込んでそれでもまっすぐに二人を見上げた。

「とりあえず二人とも座って。・・・智之は?」

「まだ寝てます」

「そうか・・・。じゃあ、まずは君から話を聞こうか。それでいいよな、潤」

 言葉なく頷くと、どすりと床に座り込み腕を組む。

 縁もまた床に座ったがこちらは正座だ。

 保典は潤の隣に座って、改めて目の前の少年を見やった。

 張り詰めた沈黙。

「何か言うことはないのか?」

 それを破ったのはむっすりとしかめっ面をした潤だった。

「・・・・・・・・・・」

「俺たちに謝ることがあるだろ!」

「オレたちは、謝らなくちゃいけないようなことはしてない」

「なっ! お前っ、人の息子寝取っておいてなんだその言い草は!」

「寝取ってない! 同意でしたことだよ。オレはトモが好きで、トモもオレを好きだからセックスしたんだよ。これのなにが悪いのさ」

「好きだからって気軽にセックスするな! 責任も取れないようなガキが!」

「なっ!」

「ちょっ、ストップ!」

 互いに興奮し、身を乗り出して今にも掴み合いの喧嘩に発展しそうになった瞬間、保典は二人の間に腕を割り込ませる。

「二人とも落ち着いて」

「落ち着けるか! 保典だって言いたいことがあるだろう! なんでそんなに落ち着いてるんだよっ!」

「興奮してもいい事はないからだよ」

「うっ・・・」

 静かなまなざしで潤を諌めると、彼は少し不満げに唸って黙り込んだ。

 そんな潤に小さくため息をついて、保典は縁を見ると、縁もまた深く息をついて落ち着こうとしているようだった。

「縁くん」

「あ、はい」

「まず聞いておきたいんだけど・・・君たちは付き合ってるのか?」

「付き合ってます」

「本気なのか?」

「本気です。・・・オレはずっと小さな頃からトモが好きだった」

「気の迷いとかは思わなかった?」

「思いましたよそりゃ。でも、あなた達の関係もずっと見てきたから、こういうのもありなんだっていうのは分
かってたし、それに何よりただ友達として好きならトモを抱きたいだなんで思わないよ」

 まっすぐにそらされることなく語る縁に偽りは見えなかった。

 なにより、自分たちの関係を出されると、二人の仲を否定することができないなと苦笑してしまう。

 それは潤も同じで、いざそう言われてしまうと反論することができなかった。


 かつて自分も縁と同じように悩んだのを思い出す。

 潤と保典の場合は周囲に同性で恋人関係を結んでいる人たちがいなかったから余計に足踏みしていたけれど。


 男同士だからっていう理由で二人を反対することはできない。もしそれを理由に反対してしまったら、自分たちの関係をも認めないことになってしまうから。

 冷静な思考が戻ってきてようやく潤は二人が本気で真剣に付き合っていこうというのなら、認めたほうがいいのだろうかと思い至った。

 反対して無茶な事をされるよりは認めて目の届くところにいてもらった方がいいような気がしてきた。と、小さくため息をつけば、保典も同じ事を考えたのか潤を見てわずかに笑みを浮かべた。

「二人が本気ならオレたちは君たちの関係について何もいわないけど、気軽にセックスするなって言う潤の意見にはオレも賛成かな」

「え?」

「好きだからセックスする。それは本能に忠実で正しいように思えるけど、実際には間違いな時もあるんだ。分かっているかもしれないけど、いろいろとリスクも抱えるんだって事をちゃんと理解して欲しい」

「・・・はぁ」

 少し戸惑うように頷く縁を見ながら、保典も少し気まずいような複雑な心境だった。

 まさか息子以外の男にこんな事をいう日がこようとは思いもしなかった。

 これは智之にも言っておかないといけない事だな。と、改めてため息をつく。

「おい。縁」

 保典の話が一息つくと、今度は潤が口を開いた。

「お前たちの仲はとりあえず認めてやる。けどないくつか約束は守ってもらうぞ。それが守れないなら即別れてもらう」

「ええっ」

「まずはセックス禁止。俺たちの目の前でいちゃつくの禁止。学校内外でも同じく。というか、成人するまでは清い関係を築け。成人まで待てないならお前のトモへの気持ちはそんな程度のものだと認識する。すなわち付き合う資格はない!」

「な! そんな横暴な! あんただって好きな人に手が出せないのがどれだけ辛いかわかってるんでしょー!?」

「ふん! 俺たちは耐えたぞ」

「潤・・・」

 呆れたような保典の声は聞こえないふりをする。

「守るのか? 守らないのか? さーっ、どっちだ!」

「オニ!」

「オニで結構! 大事な智之を守れるのなら何と言われようとも痛くも痒くもないわ!」

 開き直って高笑いをすれば縁はしばらく唸った後、「分かったよ!」とはき捨てるように頷いた。

「よし! 守れよ! 絶対に!!」

 満足そうに笑って潤は立ち上がると、キッチンに向かう。

 そんな潤を憎らしそうに睨む縁を哀れむように見つめた。

「縁くん、そういえば何か用があって部屋から出てきたんじゃないのか?」

「あ・・・。えっと、シャワーを借りようかと思って」

「ああ。そうか・・・」

 なぜシャワーをする必要があるのか。その理由を瞬時に理解してしまった。

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

 互いの間に気まずい空気が流れる。

「や、まぁ。入ってくるといいよ」

「・・・ありがとうございます」

 そうして去っていく縁の背中を見送って、保典もキッチンへと向かった。





「・・・この、ウソツキ」

 鼻歌でも歌いそうな勢いでコーヒーを入れていた潤の頭を軽く小突く。

「誰が成人まで我慢したって?」

「あははははー」

 誤魔化す様に笑って潤は保典に擦り寄った。

「だってさ、ただでトモをやるには悔しいんだもん」

「『もん』じゃないだろ・・・。可哀そうに・・・・・・」

 哀れな若い恋人たちを思う。

 一度知った快楽を抑えるのは辛いだろうにと思いながら、あの時訂正しなかった自分も同罪なのかと潤を抱きしめた。








 この一時間後、起きてきた智之が事の顛末を知って顔を青ざめさせたが、とりあえず縁との仲を認められてひどく嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 その顔を見て初めて子離れの時期が来たのだなと実感した潤と保典なのであった。










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