視線
 森下勇孝がその人を始めて見たのはまだ桜の花が咲き誇る4月。

 高校の二年の始業式の日だった。

 遅刻すれすれに校門をくぐった先。見事な桜の木の下に立つ人物が目に入った。

 特に意味があったわけではない。見慣れない濃紺の制服の色が嫌に目立っていて、自然と目が彼を追ったのだ。

 次いで、それよりも目を奪われたのはその容姿の麗しさ。


 日の光に透かされた色素の薄い髪。透き通るような白い肌。そして、パッチリと大きい瞳。

 柔らかな微笑みに心臓がどくりと高鳴る。

 まるで女の子のようなその顔は、一瞬にして勇孝の心を奪い取ってしまった。


 制服からして男だと分かっているのに、持って行かれたと感じた勇孝はさしたる抵抗感もなくその感情を受け入れてしまった。

 それは彼の顔立ちが少女めいていたからかもしれない。

 まるで女の子に恋をするように、彼に恋をした。




 彼の名前は一之瀬 司。

 勇孝と同じ高校二年生で、一学期の始業式のその日に転校してきたのだった。






 司は勇孝の隣のクラスに編入された。

 当然の事ながらその容姿の麗しさが噂となり瞬く間にその存在は知られ、休み時間のたびに彼を見に行く生徒は後を絶たなかった。


 最初に見つけたのは俺なのに。


 そんな気持ちを抱えながらその姿を追い続けること約3ヵ月。

 そうして見つめているうちに、彼がいつも1人でいる事に気がついた。

 誰とも親しくしようともせず、1人ひっそりと過す。

 周りが騒いでも眉一つ動かす事もせずに無反応を貫き通して。


 あの始業式の日、垣間見た微笑みは幻だったのか。

 そう思わずにはいられないほどに。


 そんな周囲に関心を持たない司にクラスメイトたちは遠巻きにするようになり、休み時間事に彼を見に来ていた者もしだいに足が遠のいていった。


 やがて彼を「スカしている」、「愛想がない」「つまらない」といった感想を持つようになり、誰もが彼に好印象を持たなくなった。


 けれど、勇孝の心は揺るがなかった。

 その姿をみればときめくし、少しでも視線がこちらを向けば嬉しくてしょうがなかった。

 人を寄せ付けないその様子ですら、魅力的に見えてしまったのだ。


 だからこそ、ライバルが減って嬉しかった。

 もっと、見ていたい。

 もっと、近づきたい。

 俺に気がついて欲しい。

 俺という人間が見つめている事を知って欲しい。

 そういった感情がどんどん肥大していって、ついには堪えきれなくなった。

 だから、決めた。






「俺、お前が好きだ!」






 季節も夏に移り変わろうとしていた梅雨も間近なある日、ついに勇孝は学校帰りの司を捉まえて告白をした。


 どくどくと強く胸を叩く鼓動。

 僅かに見開かれた司の眼差し。


「俺。一之瀬が、好きだ」

 もう一度、告げる。

「・・・本気で言っているの?」

 やがて瞬きと同時にその驚いた表情が消えた。

 感情のない表情と声に勇孝は思わずごくりと喉を鳴らす。


「本気でオレが好きなの?」

 答えない勇孝に僅かに眉を寄せた司に慌てて首を縦に振った。

「は、初めて見たときから好きだったんだ」

「オレ、男だよ?」

「分かってる!」

 間髪入れずに言えば、司は「ふうん」と意味ありげに頷いた。


「じゃあさ、ホテル行こうか。ラブホ」

「・・・は?」


 今度は、こちらが目を見開く番だった。


「は? じゃないよ。行くの? 行かないの?」

 不機嫌そうに眼差しを鋭くさせた司に思わず頷く。

「行く。行きます! 行かせてください!」


 ホテル。しかもラブホなんてつまりはそういうことで。

 勇孝の気持ちを司は受け入れたという事だろうか。

 逸る気持ちと鼓動。

 これから起こるだろう事に期待と同時にひどく緊張していた。



「そういえば、名前なんていうの?」

「へ?」

「へ? じゃなくて、名前だよ。名前。何度も同じ事言わせるなよ」

 不機嫌を隠そうともしない声音に慌てて告げる。

「森下だよ。森下勇孝! 隣のクラスだぜ。何度か体育で一緒になったんだけど」

 見覚えない?

 そう問いかけてみたが司は特に興味を引かれた様子もなく「へえ、そうなんだ」と頷いただけだった。

 がくりと肩を落とす。

 何度か視線が交わった記憶はあるのに、彼は覚えていないらしい。

 けっこうショックだった。



 それにしても、告白してその日にラブホテルなんてどういうことなのだろうか。

 勇孝には展開が速すぎてどうしてこうなっているのかまったく分からなかった。

 勢いで頷いてしまったものの、司はなにを考えているのか。

 彼の口からは、明確な答えは返ってこなかったというのに。

 そんな司と今、自分は『そういう事』をするのが目的の場所に行く事になるなんて。


 ちらりと司を見る。

 長い横髪に遮られて表情は見えない。

 けれど、楽しそうにも見えない。


 本当に、このまま行ってしまってもいいのだろうか。


 そんな事を考える。


 会話らしい会話は交わされる事なく、二人はただもくもくと歩き続けた。

 そしてたどり着いたホテル。

 薄暗い路地にひっそりとあった入り口を司はなんの躊躇もなく潜る。適当に部屋を決めてエレベータへと向かうその慣れた様子に驚きつつ、勇孝は落ち着きなく後に続いた。






「森下」

 その部屋はラブホテルというにはいかがわしい雰囲気があまりしない質素な部屋だった。

 ものめずらしさにきょろきょろと周囲を見回していた勇孝は、その静かな声にびくりと肩を震わせた。

「なに怖がってんの?」

 くすりと小さく笑われて、瞬間的にむっと眉を寄せる。

「怖がってない!」

「ふうん。そのわりにはずいぶんと落ち着きがないようだけど?」

「・・・そういう一之瀬は落ち着いてるよな」

 そもそも高校生の身の上でこんな場所に慣れているほうがおかしいのではないのか。

 そう思いつつも言う勇気もなく押し黙る。

 また小さく笑われて、自分の経験のなさを笑われたような気がした。

「なんだよ」

 思わず、苛立ちのこもった声を上げてしまう。

「・・・笑ったぐらいで怒るなよ。深い意味はないからさ」

「・・・・・・・・・・」

「で? ここに来たらやる事は一つだろ?」

 しゅるりと、司が制服のネクタイを緩めた動作をみてどきりと忘れかけていた鼓動が鳴り始める。

 サマーニットのベストを脱ぎ捨て、ズボンのベルトを解き、そこから引き出したシャツのボタンに一つ、また一つとはずしていく。


「・・・・・・! ちょ、ちょっと待った!」


 顔に熱が集まっていくのを感じる。

 そもそもこんな状況で赤くならない方がおかしい。

 正視できなくてぎゅっと目を閉じた。


「なに?」

「お前はそれでいいのかよっ」

「・・・・・・誰がここに誘ったと思ってる訳?」

「そ、そうだけど」

 うっすらと目を開ける。

 真っ直ぐにこちらを見ていた司と目が合うとくすりと笑われた。

 またバカにされたような気がして憮然としたが、衣擦れの音にどくりと心臓が鳴る。


 伏せた目が艶やかに見えた。

 白い素肌がしだいに顕わになる。

 息苦しく感じるほど脈が速い。

 ごくりと唾液を飲み込みながらその動作を見つめ続ける。


「・・・・・・ねぇ」


 最後のボタンに手をかけた時、司が静かな眼差しをこちらに向けた。


「分かってるよね?」

 問われた意味を量りかねてその目を見つめ返す。

 何の事を言っているのかと視線で問いかければ、司はゆっくりと最後のボタンをはずすとなぜかこちらに背を向けてしまった。

 そのままズボンに手をかけて躊躇いなく脱ぎ捨てると、下着もまた取り払ってしまう。


「っ」

 鼓動がまた一つ大きな音を立てる。


 シャツ一枚のみを羽織ったままの司は、しばらく勇孝に背を向けたままだった。

「い、一之瀬?」

 呼びかけると、ちらりとこちらを振り返った司が一度小さくため息をついてゆっくりと体を正面に向けた。

 そうして肩からシャツが滑り落ち、晒された体を見た瞬間、勇孝は思わず言葉を失った。

 その時の衝撃をなんとあらわしたらいいのだろう。




 勇孝はただ無言のまま司の体を見つめた。

 自分と同じ性。

 明らかに女のものではないその体。


 分かっていたはずなのに、いざ目の前にするとその事実に思考が固まった。




「やっぱり・・・」

 そんな勇孝の様子に司は苦笑を零す。

「森下。オレは女じゃない。顔が女みたいだから勘違いや思い違いをする奴が多いけど」

 つい今しがた脱ぎ捨てた下着や制服を着込み始めた。

「あ・・・」

「これで分かっただろ? あんたはただオレのこの顔に惑わされただけだよ。分かっていたつもりだっただけだ。分かったらさっさと帰れ」

「!」

 冷たく言い放たれ、何も言い返せなかった。


「・・・帰れって言ってるだろ。それとも、あんたがここに残る? それでもいいけどね」

 そのまま背を向けられ、全身で拒絶する雰囲気に逆らえず、勇孝はしばし戸惑った後にドアへと向かった。


「・・・・・・・・・」

 最後に振り返ったとき、垣間見えた横顔。

 自嘲気味に浮かんでいるその笑みがなぜかとても哀しそうに見えたのは気のせいだったのか。

 けれど、引き返すこともできず、勇孝はその場から逃げるように立ち去るしかなかった。












 すでに日の落ちた街中を走りながら考える。


 司はなぜあんな事をしたのか。

 勇孝の気持ちを試すにしても他に方法があっただろうに。


 あんな風に一糸も纏わぬ姿を晒して。





 なんでそこまでしたのだろう。


 いくら考えても勇孝には答えを出す事ができなかった。










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