視線
3
「よ。おはよう、一之瀬」
通学路。
先を歩く司を発見して足早に駆け寄ると、今まで逃げていた人間とも思えない笑顔で声をかけた。
「・・・なに?」
訝しそうに眉を寄せる。
「なにって挨拶じゃん」
上機嫌に言えば司は不機嫌そうに顔をしかめさせて口を噤んでしまった。
「おかしな事じゃないだろ? 通学中に見知った顔がいたから挨拶をするって」
違うか? と問うが司は何も答えない。
「しっかしさー、今日はいい天気だな。もうすぐ梅雨に入るなんて思えないよな」
周囲の生徒たちも珍しいものを見るようにこちらを見ているのが分かったが、かまわずに続けた。
「あ、もうすぐといえば期末もだな。なぁ一緒に勉強しねぇ? 一之瀬頭いいじゃん。俺に教えてよ」
な! と顔を覗き込むと僅かに視線が勇孝を捕らえるがすぐにそらされる。
「だめ? 俺、自慢じゃないけど勉強駄目なんだよね。どちらかというと運動系でさ。っていっても、何か部活に入っているわけじゃないんだけど」
「・・・・・・・・・・」
「放課後さ、図書室でやろうぜ」
ぴたり。
司が足を止めた。
「一之瀬?」
「あんたさ、オレが迷惑してるの気がつかない訳?」
きつい眼差しに息を呑む。
「だめなのか?」
怯まずに言えば司はあからさまにため息をついた。
「この間で懲りたんじゃないの?」
じっと見上げてくるその視線にホテルでの出来事を思い出す。
「懲りてない」
しっかりと見つめ返しながら言えば、司は驚いたように目を見開いた。
「懲りるわけがないだろ。俺はっ」
「ストップ。ここ、どこなのか分かってる?」
「あ・・・。わりい」
うっかり通学時間の通学路である事を忘れるところだった。
ただでさえ司がいるだけで目立つというのに、その司につっかかりその上反応を返しているのを見れば誰もが注目するだろう。
そんな中で色恋沙汰の話なんてしたら瞬く間に学校中に知られてしまう。
そうなれば教師の耳にも入って勇孝も司も良いとは言えない状況に追い込まれるだろう。
それだけは避けたい。
「ほら、行くよ」
すたすたと再び歩き出した司はそれ以降、何かを発する事もなく、めげずに話しかけ続けた勇孝に時折視線を寄こすだけだった。
放課後、勇孝は滅多に訪れない図書室に向かった。
確かな約束はしていないが、司がよく図書室に訪れているのを知っていたので一緒にテスト勉強ができなくても会えると思ったのだ。
図書室の利用者はもともと少なく、今日に限っては司書の他には司しかいないようだった。
司書も奥の司書室に引っ込んでいるようで、実質図書室にいるのは司だけ。
「なんでここにいるんだよ」
むっすりと、予想にたがわぬ不機嫌さで勇孝を睨み付ける司に笑顔で近づく。
「朝言ったじゃん。期末の勉強をしようって」
「オレは了承した覚えはない」
「・・・そうだけどさ。図書室を使うのは自由なんだし、俺がいてもいいだろ」
「・・・そうだね。じゃ、オレにかまわず勝手にどうぞ」
そう言い放つと背を向けてしまった司に小さく息をついた。
ちらりともこちらを見ようともしない。
仕方なく勇孝は静かに読書を始めた司を離れた席で眺めた。
伏せられた睫の影が頬に落ちる。
筋の通った鼻梁。
薄く色づいた唇。
片肘をついてその手に頬をのせると淡い色の髪が頬にかかった。
それをはらいもせずに視線は机に置かれた文庫本に注がれていて。
ああ。
やっぱり綺麗だ。
とくとくと早い鼓動を感じる。
あんなにそっけなくて勇孝のことなどまともに見ようともしないのに、そこにいるだけでこんなにも胸が騒ぐ。
「・・・あんたさ、いったいなんなんだよ」
ふいに司がこちらを見た。
「気がついてないと思っているのか」
「え?」
「あんたの視線、強すぎなんだよ」
険の混じった眼差しはきつく勇孝を見つめていた。
ああ。
この目も好きなのかもしれない。
この鮮烈な印象を残す眼差しが。
始業式に見た柔らかい微笑みも良かったが、それとは別に引き寄せられるものがある。
「聞いてんの?」
「あっ・・・。わりい」
「わりい、じゃないよ。あんたさ、オレが男だって分かったんだろ? なんで今さらオレに引っ付いて来るんだよ」
「なんでって・・・言っただろ」
今度はこちらがむっとする番だった。
「・・・言ったって、あれはあんたの勘違いだろ?」
小さく息をついて視線をそらしてしまう。
「違う! 勘違いじゃない!」
「!」
びくりと司の肩が震えた。
「俺は、一之瀬が好きだ! それは勘違いなんかじゃないっ」
はっきりと言い切る。
今度こそ、勘違いされないように。
司は何も言わなかった。
視線をそらせたまま二人の間に沈黙が落ちる。
「・・・じゃあ、なんで」
その静寂を破ったのは司だった。
「なんで、あの時逃げたんだよ」
痛いところをつかれてたじろぐ。
「・・・確かに、逃げた。でもそれは! お前が男だからとか、体見て嫌悪したわけじゃない! ただ・・・」
そこからは言いづらくて口ごもる。
しかし、真っ直ぐに見つめてくる司の眼差しを受けて観念した。
「俺、今までああいうシチュエーションになったことなかったから・・・びっくりしたというか。怖気つきました」
「は?」
「だから! 俺、誰とも付き合ったことないんだよ! 好きな奴とあんな状況になって、普通でいられるはずがないだろ! どうしたらいいのか分からなかったんだよっ!」
「・・・・・・・・・・」
無言の司の視線が痛い。
なぜこんなことを暴露しなければならないのか。
恥ずかしくてならない。
「あ〜、一之瀬?」
ぴくりと動かなくなった司を不思議に思って声をかければ、彼の肩がぴくりと震えた。
と、見る間にまろみのある頬が朱色に染まっていく。
「い、一之瀬?」
驚いて声をかければ、司は両手で顔を覆ってしまった。
「み、見るな!」
「え? なに?」
突然の事に事態が把握できない。
「一之瀬?」
「見るなっ」
「え?」
なにがどうなっているのだろうか。
なぜ司が赤くなるのだろう。
「・・・あんた、本当にオレのことが好きなのかよ」
どれくらいの時間がたったのか。
ようやく顔を上げた司の表情を見て息を呑んだ。
「どうなんだよ」
そこにあったのは、今まで見たこともないような不安げな顔だったのだ。
目を吊り上げてはいたが、瞳がどこか揺れているように見えた。
勇孝はその眼差しに引き寄せられるように自然と口を開く。
「・・・好きだ」
静かに司の元に歩み寄る。
怒るかもしれないと思いながらも、その頬に触れた。
「一之瀬が好きだ。はじめて見たときからずっと好きだったよ。あの時だって、裸のお前見て・・・興奮、してたし」
最後はもごもごと口ごもってしまったが、しっかりと真実を告げる。
「・・・・・・そう、なんだ」
小さく息をついて頷いた。
その表情がどこかほっとしたように見えるのは気のせいか。
「一之瀬は?」
「・・・・・・」
「俺のこと、どう思ってるの?」
どくどくと呼吸困難になりそうなほど心臓が胸を叩く。
しばしの沈黙。
勇孝は辛抱強く司が答えてくれるのを待った。
「オレ、知ってたんだ。ずっと、あんたがオレを見てたこと」
「え!」
やがて口を開いた司の言葉に驚く。
「だって、あんに強い視線で見られたら誰だって気がつくだろ?」
小さく笑われて、恥ずかしくなる。
そんなにじっと見ていたつもりはなかったのだが。
「毎日のように視線を感じて最初は鬱陶しいとか思ってたんだけど、でも、いつの間にかオレもその視線の主を探すようになった」
目元をうっすらと赤く染めた。
「すぐに見つけたよ。森下の事。挙動不審で、一歩間違えればストーカーになるんじゃないかと思うぐらいオレのことじろじろ見ててさ。ほんと笑っちゃう」
「わ、わりい」
思わず謝る。
「オレさ、男に告白されるのって森下が初めてじゃないんだ。自慢にもならないけど、これまで何人もいた訳。でも、そいつらってオレが女みたいな顔だからって好きになった奴がほとんど。男だって頭でわかっていても、心のどこかでは女と同じだって思っているやつばっかりだったんだ。中には本当に女だって思っている奴もいたしね。・・・オレは男なんだって証明して、男と付き合う覚悟はあるのかって言えば大抵は去って行ったよ。だから・・・」
ふいに顔をそらされる。
「森下も、同じなんじゃないかって思ったんだよ。信じたかったけど、信じ切れなくて」
「・・・だから、試したんだ」
こくりと頷く。
「あのさ、誰にでも・・・あんなふうに試してるのか?」
「違う! あれは、あんただったから」
司の肌を見た人間が、自分の他にも五万と居るのではないかと思うとムカムカと胸が焼けたが、即座に否定されてほっとする。
同時に、続けられた言葉に期待が胸をもたげた。
「俺、だったから?」
ちゃんと言って欲しい。
勇孝は司の顔を覗き込んだ。
催促されているのが分かったのか、司は一瞬憮然とした顔つきになったがやがて諦めたように小さく微笑む。
「!」
それは、ずっと見たいと願っていたあの柔らかい微笑み。
「・・・オレも、あんたが好きだ。オレを見てる森下がいつの間にか気になって仕方が無くて、オレもあんたを見てるうちに・・・」
「本当に?」
その微笑みが、彼の心が自分に向けられているのが信じられなくて思わず問いかける。
「今さら嘘ついてどうするんだよ、バカ」
むっと眉を寄せる司が可愛く見えた。
「一之瀬っ」
たまらなくなってその体を引き上げて力いっぱい抱き締める。
「う、わっ。ちょっ、森下!」
勇孝よりも頭一つ分小さい司の髪に頬を摺り寄せた。
「っ!」
びくりと司の肩が揺れて戸惑っているのが分かった。
「嬉しいっ。マジで嬉しいっ」
「・・・森下」
気持ちいっぱい込めて呟けば、司はようやく体の力を抜いて勇孝の肩に頭を乗せた。
「・・・ほんと、あんたバカだ」
そう囁かれた声は今まで聞いたどんな声よりも優しく胸に響いた。
「しょうがないじゃん! 夢みたいだっ」
「・・・夢じゃないだろ」
ぐいっと腕を突っぱねられて二人の間に距離ができる。
少し怒ったような顔つきだが、今なら分かる。
それは、司が照れた時の誤魔化しなのだ。
もちろん。本当に怒っている時もあるだろうが。
「夢じゃない」
そう、もう一度はっきりというと、司がくすりと笑う。
そうして気がついたときには、視界いっぱいに司の綺麗な顔。
伏せられた瞼。
頬に落ちる睫を見つめているうちに唇に触れた柔らかい感触。
「!」
キスをされたのだと理解したのはすでに離れて互いの顔が見える距離になってからだった。
「なんて顔してるんだよ」
変な顔、と笑われてはっと我に返る。
「い、今!」
「なに? 文句あるのかよ」
「な、ない!」
ぶんぶんと顔を横に振って否定を示す。
「実感した?」
余裕のある司の表情に悔しいと思いながらも勇孝は頷いた。
「した。だから・・・」
もう一度。
声には出さず、顔を寄せる事で求めるとなぜか司は勇孝の口を押さえつけてしまった。
「なんだよ」
「・・・こっち」
拒否をされてむっと顔をしかめれば、司は勇孝の手を引いて書棚の奥へと導く。
「人の足音が聞こえた。見られるのはお互いにいい事にならないだろ?」
「・・・俺は見られてもいい」
「オレはごめんだ」
意見が合わず、睨み合う事数秒。
だが、互いに噴出して小さく笑いあった。
「ほら。キスしよう?」
「ああ・・・」
唇を寄せられて、誘われるように自分のそれを重ねた。
こうして、勇孝は念願かなって司を手に入れる事ができたのだが・・・。
「ね。口あけて」
何度となく唇を重ねたところで司に乞われ、言われるままに開ければ熱の塊が忍び込んできて勇孝の舌をねっとりと絡み取る。
「!!!」
それが司の舌であると理解するのに数秒。
どうやら、主導権を握る事ができるのはまだ先のようだった。
プラウザを閉じてお戻り下さい。