Prism
セクレードの森の魔法使い
 結界に阻まれ俗世から隔離されたセクレードの森は、人がめったに立ち入らない代わりにとても豊かな自然を育んでいた。

 そのセクレードの森に住む唯一の住人であるカイリは、渋るウォルスを半ば強引に連れ出して気分転換に散歩に出かけていた。

 気ままに歩き、たどり着いたのは森に囲まれた静かな湖。水面は暖かな太陽の光を受けて美しく煌めいていた。

(きれいだ・・・)

 きらきらと光をちりばめて踊る精霊たち。

 カイリは瞳を細めて笑みを浮かべた。

 昔はこの景色を見ても何の感慨も浮かばなかったのが嘘のようだ。

 過去の自分を思い出し、苦く笑う。

 幼い頃のカイリは、己の中の力が強すぎて暴走させる事がよくあった。制御する術を持たぬ彼は生きた凶器。

 そのため、生まれて間もなく実の両親に捨てられ、孤児院で育てられたがそこでも何度も力を暴走させたために誰一人としてカイリに近づくものはいなかった。

 唯一、自分を好いてくれたのは精霊たち。

 けれど見えぬ者たちからすれば、カイリが一人でおかしな言動をしているようにしか見えず、奇異な目で見られたものだった。

 誰にも必要とされず孤独に暮らす彼を早々に魔法院に放り込む事で厄介払いをした孤児院のシスターたち。

 言われるままに魔法院で魔法を習い、力を制御する術を身に着けた。

 するとどうだろうか。

 今まで遠巻きに見るばかりで近寄りもしなかった者たちがたちまちカイリの才能に群がり始めた。

 国もまたカイリの才能を認めたが、強大すぎる力は逆に畏怖の念を抱かせ、裏切りを危惧した国王は有無も言わさず彼を国属とし、自由を奪い去った。

 そんなことが積み重なり、しだいに心は冷えていつの間にか何事にも動じなくなっていた。

(ああ、でも彼がいた)

 ただ言われるままに力をふるう毎日の中で、一時期、彼の心を救い上げてくれた人がいた。

 けれどその人はもう、この世にはいない。

 失意の中、再び世界の色を失ったカイリは自分からこの閉ざされた世界へと来たのだ。

 年を重ねて上辺だけは取り繕う術は学んだけれども、心から笑顔を浮かべることはなくなった。

 毎日家に閉じこもり、触れ合うのは精霊たちだけ。

 それで満足だった。

 満足、のはずだった。



 あの日、一人の少年の来訪がなければ。



「先生?」

 はっと、我に返り、カイリは隣に立つ青年を見上げた。

「なに?」

「なに? じゃないですよ。先生から誘ったのにぼーっとしないでください」

 慌てて顔を笑みの形に変えれば、ウォルスは呆れたようにため息をつく。

「あはは。ごめん、ごめん」

 まったく。と呟かれた声。

 けれどその表情はどこか優しくて、いつの間にそんなに大人びた表情を浮かべるようになったんだろうと考える。

「先生?」

 もう一度呼びかけられて、カイリは笑みを浮かべた。

「なんですか?」

 しばらくこちらを見つめたウォルスはそらすように湖に視線を向ける。

「・・・いえ」

 大した表情は浮かんでいないけれど穏やかで静かな眼差し。

「・・・気持ちがいいですね、ここは」

「うん。そうだね」

「湖も綺麗だ・・・」

 ほう、と息をつくように呟かれる声。

 おそらくひとり言であろうそれを耳にしてカイリは目を細める。

 今でこそウォルスは照れ屋でなかなか本心を言ってくれないが、まだ自分の元に来たばかりの頃は何でも素直に感じたままに思いを口にしていた。

 カイリはその素直さに驚き、同時に憧れた。

 自分にはないものを持つウォルスが羨ましくてならなかった。彼のように美しいものを美しいと言えるようになりたいといつの間にか思うようになっていた。

 失った心を取り戻したいと、思った。

「・・・ありがとう、ウォルス君」

 つい自然と口をついて出た言葉にウォルスが怪訝な表情を浮かべる。

「なんですか、急に」

「あ、うん。えっと、今日ここまで付き合ってくれて」

 本当は大切な事を思い出させてくれた事にお礼を言ったのだけれども、それを知られるのが照れくさくて思わず誤魔化してしまった。

 上手く誤魔化されてくれた彼は僅かに頬を染める。

「べ、べつにたいしたことはないでしょうこんな事っ。いきなり変なこと言わないでくださいっ」

 照れてそっぽを向いてしまった弟子にくすりと笑みをこぼした。

(本当にありがとう)

 凍った心を溶かしたのは照れ隠しに不機嫌な顔をしてしまう素直でないこの青年。

 闇に沈んだカイリを光の下まで引き上げたのもまた彼。

 ウォルスは自分には魔法の才はないのではないかと懸念しているようだけれど、本当はその逆。

 才能に溢れているからこそカイリはウォルスに必要最低限の力の使い方しか教えず、気づかれないよう密かにその才を御する術を学ばせた。

 それもいつかは限界が来る。

 いずれ、ウォルスの才能に目をつけた王国の魔術師たちが彼を奪いに来るだろう。

 ありとあらゆる人の醜さの中に置き去りにしてウォルスの心を奪うのだ。

(・・・そんな事、させない)

 閉ざされた世界に差し込んだウォルスという名の光を、今度こそ失う訳にはいかない。



(ウォルスだけはなにがあっても守ってみせる・・・)



 カイリは再び穏やかな表情で水面を見つめるウォルスを見上げ、心の中で誓いを立てたのだった。










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