Sweet Breeze
セクレードの森の魔法使い
 さわさわと、風が通り過ぎる。

 ふうわりと風をじゃれ合い含んだカーテンが光のさす室内を泳いだ。

 風を運ぶ精霊たちが自分の周りを飛び回っているのを感じた。

「先生?」

 ぼんやりとそれを眺めて、彼はまどろみに身を任せようと目を閉じる。

「カイリ先生?」

 暖かい日差し、柔らかい風。すべてが優しい。

「カイリ・ヴァルナー先生!」

「うわぁっ」

 いい加減にしてください!などと耳元で騒がれ、彼ことカイリ・ヴァルナーは椅子から転げ落ちそうになった。

「いたた・・・」

 かろうじて転落は避けたものの、驚きに振り回した腕は背もたれの枠、しかも角に肘をヒット。瞬間的な鋭い痛みは通り過ぎたもののその後からやってきた鈍痛に肘を抱えてうずくまってしまった。

「・・・大丈夫ですか?」

 愁傷な言葉に顔を上げればそこには心配げな表情の中に、どこか笑いを含んだ眼差しを向ける弟子の姿。

「ウォルス君・・・」

 咎める様に名を呼べば、今度こそ堪えきれないというように笑い出してしまった。

「ぷっ、くくっ・・・あはははっ」

「こらっ!」

 羞恥に紅潮する頬を自覚してはいたが、それを止められず誤魔化すために声を荒げる。そんなカイリの心情を察してか、ウォルスはこみ上げる笑いをおさめようと努めているようだが、時折ヒクリと動く喉元がそれを裏切っていた。

 ゴホンっ。

 咳払いをして、師匠としての威厳を取り戻そうと乱れた着衣を整えて、改めて自分よりも背の高い青年を見上げた。

 彼の名はウォルス・ウォン・ジルナス。

 貴族の生まれでありながらその地位を捨て、変わり者として有名な魔法使いであるカイリの元にやって来た、やはり変わり者の青年だった。

『で、弟子入りさせて下さいっ!』

 当時の彼の幼い声を思い出す。

 まだ少年だったウォルスは一目で貴族と分かる質の良い服に身を包み、けれど深い森の中にある我が家に辿り着くまでにずいぶんと長い間彷徨っていたのか靴は泥だらけだった。

 その一生懸命さに心を動かされなくもなかったが貴族の生まれである彼を受け入れるわけにもいかず、家に帰れと言ったのだがウォルスは頑として首を縦に振らなかった。

 困り果て、このまま立ち話では埒が明かないと家に入れてしまったのだが、これが結果的に敗因に繋がったのではないかと今では思う。

『なぜ、僕のところに?』と尋ねたカイリに、ウォルスはこう言ったのだ。

『あなたが魔法を操る姿が、きれいだったから・・・・・』

 驚き、振り返ったカイリを迎えたのは妙に熱っぽい眼差し。

 少年の身にはそぐわない視線に戸惑いながらも、その後に語られた魔法への情熱にほだされて、弟子になる事をしぶしぶではあるが了承してしまった。

 両親の了解を得て、の約束であったのにもかかわらず、三日後に姿を見せた少年は頬に大きな青あざをつくっていた。

『勘当されました』

 その一言に大きなため息をついたのは仕方のないことだろう。

 あれから数年。

 可愛かった面差しはどこへやら。今ではどこをどう育て間違えたのか彼はたぶんに捻くれた青年へと姿を変えた。家事全般を難なくこなせる様になったのは良い事なのだが。

 彼曰く、「あなたに生活力がなく、その上、情に流されて人に騙されやすいから、俺が苦労をするんです。おかげで警戒心の強い人間に育ちましたよ」とのこと。

 大きなお世話である。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 当時を思い出して思わず眉をしかめたが、気を取り直して笑みを浮かべた。

「ところで、なにか御用かな?」

「先生・・・。お忘れなんですか?」

 呆れたように目を細められ、カイリはわずかに浮かべていた笑みがそのまま強張った。

「今日は、王都に向かわれるのでしょう? 宮廷魔術師のジール様に呼ばれているから正午になる前に呼びに来てくれと言っていたではないですか!」

「あ・・・。あーっ!」

 がたんと、と椅子から勢いよく立ち上がり、カイリは慌てて着ている服を脱ぎ捨てて外出着に袖を通す。

 ばたばたと資料を集め、鞄に詰めているとくすりと笑みを浮かべるウォルスが視界に入った。

「相変わらず、子供のような方ですね、あなたは」

「人間、そう簡単に性格は変わらないものだよ」

 む、と眉を寄せるも、それが子供っぽいと言われるしぐさである事に気が付かない。

「ほら、髪の毛もぐちゃぐちゃだ」

 髪に触れた手で柔らかく整えられて、その優しいしぐさに思わず目を細めた。

「頭って、撫でられると気持ちがいいよね」

「・・・・・・そうですか?」

 苦笑を浮かべたウォルスは、さらにもう一度頭を撫でる。

「うん。気持ちがいい。―――君と、一緒に暮らすようになるまでは、知らなかったな」

 小さく笑みを浮かべて、さて、と資料を詰め込んだ鞄を抱えると、カイリは玄関に向かって歩き出した。

「じゃ、ちょっと行ってくるから。留守は頼んだよ、ウォルス」

「はい。先生こそ、食べ物に釣られて変な人について行かないように、気をつけてくださいね」

「付いていくわけがないでしょう! 僕を何歳だと思っているんですか!」

「はいはい」

 笑いながら、ウォルスはわめくカイリの背中を押して家の外に出すと一歩離れて手を振る。

「いってらっしゃい。お気をつけて」

 上手くからかわれ、あしらわれてカイリは悔しく思いながらも彼に背を向けて歩き出した。

 これでは一体どちらが保護者なのか分からない。

 大きくため息を付き、カイリは再び過去を振り返る。

 この大きくもない、小さくもない屋敷に一人。研究に没頭し暮らしていた日々。そこにやって来た一人の少年は、自分の生活を大きく変えた。

 閉めきりになっていた窓もカーテンも開け放たれ、日中も闇に包まれていた屋敷に日差しが入る。

 風が通り、空気が動く事で、人の心もまた動く事を知った。

 弟子にした当時は厄介な子供だったけれども、今ではかけがえのない存在へと姿を変えた。

「よし! さっさと仕事を終わらせてお土産を持って帰ろうっと」

 カイリは、「また余計なものを買ってきた」と、ウォルスの呆れる顔が目に浮かんで思わず笑みがこぼれたのだった。










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