友情と恋情と過ちと
短編
 朝起きて、飯食って、大学行って、勉強して、バイトして、帰って、飯食って、夜寝て。

 二年したら就職して、さらに三年たったら結婚して、一年たったら子供が生まれて、暮らして、暮らして、年を取って・・・。

 ずっと平々凡々と月日はたっていくのかと思っていた。

 だが人生とは、何がきっかけで道を踏み外すのか分かったものではない!

 と、思い知ったあの日・・・・・・。




















 夜の帳が落ちて、深い闇の中に沈んでいた意識が光の気配を感じて上昇していくのがわかった。


(――――・・・ああ、目が覚めるんだ)


 武流はうっすらと瞼を上げてカーテンの隙間から覗く光に目を細めた。

「朝か・・・」

 片腕を上げて目を覆い、まどろみの中に身を任せる。

 この瞬間がたまらなく心地いい。

 このままもう一眠りしてしまおうかと思ったとき、隣で何かがもぞりと動いた。肩口に擦り寄るように寄せられたのは人の頭。

 そこで初めてベッドの中にいるのは自分ひとりではないことに気が付いた。

 驚いて身を起こせば晒される己の素肌。

「なっ・・・!」

 なんじゃこりゃぁ!

 と、叫びそうになるのを手のひらで口を押さえて必死に耐えた。

 シーツにくるまれて隣の人物の頭部、しかも髪の毛しか見ることができない。

 なんで? どうして? 誰、こいつ? 何があった? って、こんな状況でなにがあったもないだろう。そんなもん決まってるやっちゃったんだやっちゃったんだヤバイやバイよ、俺彼女いるって、バラたらヤバイ。どーするよ! っていうか昨日なにがあった? なにがあった!

「うおーっ、覚えてねーっ!」

 なんて頭を抱えて混乱する自分に自問自答を繰り返した。


「なにやってんの?」


「うおぉっ!」

 ふいにかかった声に驚いて壁に寄り縋って相手を見れば、今度こそ武流は体を硬直してしまった。

「タケル?」

 抑揚のない静かな声音。

 それは武流にとっても聞き覚えのある声で、そして、シーツから覗く顔は当然のことながらよく知った人物の顔だった。

「ケ、ケイ・・・・・・」

「なに?」

 今だ体を起こすことなく枕に頭をゆだねたままこちらを見返すその顔。それは、武流の十五年来の幼馴染兼親友、景一の顔だった。

 その名の通り景一は男。

 と、言うことはなんだ、男とやったのか? 俺は親友とやったのか? いやいやいやいや、もしかしたら上半身だけ裸なだけで、下半身は普通に見につけているかもしれないじゃないか。それにケイも今はシーツに隠れているけれどその下はきっと服を着ているはず。そう、絶対そうだ。うん、そうだ。

 と、いうことで・・・。

 ぺらり、自分の下半身に掛けられているシーツをわずかに浮かせばそこに見えるは見慣れた自分のモノ。

「ぎゃーっ」

 勢いよくシーツをかぶせ直した。

「・・・さっきからなにやってんのさ?」

 真っ白な頭のまま景一に視線を移せば妙に冷静なその表情。その静かな瞳を見つめているうちにだんだんと、理不尽な怒りがこみ上げてきて思わず声を荒げてしまった。

「なっ、なにやってるっておまえ、なんで冷静なんだよ!」

「・・・騒いだってしょうがないじゃないか」

「しょうがないってっ・・・・・・」

 こんな状況なのになんでそんなに落ち着いていられるのかわからなくて、思わず彼の肩を揺さぶれば、

「ちょっ、動かすなよっ」

 切羽詰ったような声に遮られた。それと同時にシーツがわずかにずれて彼の裸の肩が姿を現す。

「いっ…つ・・・・・・」

 肩をすくめて眉をしかめるその姿に眩暈を感じた。

「バカ。動かすなよ」

 にらめ付けるその瞳。だがその頬はほのかに赤く染まり痛みのせいか少し潤んだ瞳で見上げられて・・・・・・。

(なんなんだ・・・。その色気は・・・・・・)

「う、動かすなって・・・」

「そうだよ。下手に動くと出そうなんだよ」

 うろたえる武流に呆れたようにため息をつく景一。

「で、出そうって・・・・・・」

「お前の精・・・・・・」

「ぎゃーっ」

 最後まで聞いていられなくて武流は耳を押さえて大声を上げた。

 やっぱり、やっぱりそうなのかっ! やったのかやっちまったのか! しかも俺が突っ込む方かよ。いや突っ込まれるよりましだけど、でもだけどやるか普通!? 幼馴染だぞおいっ! っていうか男相手に勃つのかよ俺はっ!

「そもそもなんでこんな展開になっているんだ!」

「・・・知らない」

「知らないって、じゃあなんでお前そんなに冷静なんだよ」

「お前が裸で、僕も裸で、しかもありえないところがすこぶる痛い上に、中に何かがあるのを感じたらそりゃやったんだろうってすぐわかるじゃないか」

「わかるじゃないかって・・・。わかったら尚更慌てるだろうが! 俺たち男同士だぞ!!」

「慌ててなにかが変わるなら僕だって慌てるけど、なにも変わらないだろ?」

 声を荒げる武流と違ってダルそうに目を伏せて呟く景一。額に腕を乗せればシーツが肌蹴て晒される胸元。

 その首筋にはいくつモノ赤い鬱血痕があって情事の激しさを物語っていた。

「・・・・・・・・・なに?」

 見つめる視線に気が付いたのか、景一はわずかに眠そうな瞼を押し上げてこちらを見つめ返した。

「あ・・・いや・・・その・・・・・・」

 まさか、キスマークをみて一気に現実感が湧き上がってきて腰が引けていますとは言えず、ただどもるばかりで言葉を返せない情けない武流。

「・・・昨日は大学の連中と飲み行ったんだよ。それは覚えているだろ?」

「え、ああ、うん」

 そんな武流にため息をつきながらもポツリと景一は口を開いた。

「お前、飲みすぎて先に酔いつぶれたんだよ。で、この部屋、お前の部屋まで送り届けたんだけど、お前、まだ飲み足りないって無理やり僕に酒を飲ませた」

「・・・・・・・・・・・・」

「で、僕も記憶が飛ぶくらい飲んだみたいで目が覚めたらこの状態だった」

 ちなみに目が覚めたのはお前の奇声だけど。なんて、付け加えられるのを聞きながら、冷静に戻りつつあった武流はダラダラと冷や汗をかいて押し黙った。

(って、ことはなんだ。この状態を作り上げたのはほぼ俺のせいなのか?)

「ねぇ、もういい?」

「え?」

「も、眠い・・・」

「お、おい」

「ごめ・・・。体・・・ダル・・・て・・・。も・・・目、開け・・・て・・・ら・・・ない・・・・・・・・・」

 言い終わるとまるで吸い込まれるように眠りへと落ちていく景一に、もはや武流の言葉が聞こえるはずもなく、事の内容が内容の為に状況を把握しきれない男が一人、部屋で呆然とその寝顔を見つめていたのだった。








 ―――それから数時間後。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 恐ろしいぐらいの沈黙が二人の間に流れていた。

 景一は寝入ってから二時間後に目が覚め、そうそうに風呂場を拝借すると昨夜の名残をすべて洗い流した。が、いかんせん無理をした体は言うことを聞かず、仕方なく武流の力を借りてベッドに逆戻り。

 武流は景一が風呂に入っている間にひどい有様になっているベッドを整えていた。明らかに乱れたその様子は、彼を落ち込ませるに十分な原因となりただでさえ下降気味の気分がさらに落ちていくのを感じていた。

 で、今に至るのだが・・・。

(こ、言葉が出てこない・・・)

 ダルそうにベッドに横になる景一から視線をわずかに視線をずらす。それでもこのままではなにも始まらないと意を決して顔を上げればじっとこちらを見つめる一対の瞳。

「な、なんだよ」

 その静かなまなざしにとたんにしぼむ決意。

「タケルはなにをそんなに動揺してるのさ。やっちゃったもんはしょうがないじゃん」

「そういうお前はなんでそんなに落ち着いてるんだよ。しょうがないなんて言葉ですむことなのか?」

 さらりと告げられた言葉にむっとして返しても景一の表情は変わることはなかった。

「飲んだ勢いとか、そんな簡単じゃないだろ? 俺たち男なんだぞ。酒飲んだくらいでソノ気になる方がおかしいじゃないか」

「じゃあ、おかしいんじゃないの? 実際こうなっているんだから」

「ケイっ」

「セックスしたからってなにかがかわるのか? 違うだろ? 第一なんでそんなに真剣なんだよ、お前。笑って終わればいいじゃないか。タケルも僕も彼女以外の女とこうなったんならともかく、知らない男でもあるわけじゃないし、たいしたことはないだろ」

 今までたいした表情の変化を見せなかった景一は不機嫌そうに眉をひそめて言い放つ。

「違うだろ! 知らない男じゃないから真剣になるんじゃないか! お互いに彼女がいて、ずっとガキの頃から一緒にいて、そんなお前だから考えるんじゃないか!」

「考える必要なんてない。覚えてないんだ。そんなに思いつめる必要もない」

「だけどお前、体が・・・」

「大丈夫だよ。大したことじゃない」

 記憶にないからといって忘れられるものではない。おそらく、彼のそんな姿を見なかったら自分は簡単に気持ちの処理をつけてなにかの冗談だろうとその一言で済ませていただろう。だが現に景一の体には昨夜の負担が色濃く出ているのだ。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・なにがしたいんだよ、タケル」

 納得いかないとばかりに黙り込んだ武流に、景一はため息をつきながら独り言のように呟く。

「なにが、いいたいの?」

「俺は・・・・・・謝りたい」

 そう、謝りたい。

「なんで? どっちから仕掛けたのかわからないのに?」

「それでも、お前をそんな風にしたのが俺だから」

「あのさぁ・・・・・・」

 呆れたように声を上げて、景一は体を起こした。そして色素の抜けた長めの前髪をかき上げると「もういいや」と笑った。

 いったいなにが「もういいや」なのかわからずに首を傾げれば、今度はこちらをみて苦笑する。

「お前、ほんとバカ」

「は?」

「お前は、悪くない。そんなに思いつめる必要もないんだ。悪いのは、僕だから」

「へ?」

「僕が誘ったんだ、お前を」

「え?」

「お前、べろんべろんに酔ってるし、こうなったらもう明日には記憶がないだろうと思って誘った」

 なにを言われているのか、まったく理解ができなかった。

「ど・・・して?」

「試してみたかったんだ。今までいろんなセックスをしてきたけど、そういえば男としたことないよな〜って。で、どうせ試すならお前がいいと思ったんだ。ま、ちょっとした興味本位」

 にしては、けっこう代償は大きかったけど。

 そう言ってふらりと立ち上がる景一を思わず支える。景一はそんな無意識の行動にわずかに笑みを浮かべて上着を取った。

「お前が、そんなに気にするとは思ってなかった」

 ごめん。

 小さく呟かれた声は武流の心を通り過ぎていく。

 立ち去る景一を引き止めることもできず、武流にできたことといえば、ただ呆然とその後ろ姿を見送ることだけだった。











 秋山景一とはまだ幼稚園に通っていた頃、母親同士が友人であることがきっかけで友人関係となった。家も近いことから一緒に遊ぶことも多く、いつの頃から隣にいることが当たり前になっていた。

 幼い頃からどこかクールでつかみ所のない性格をしていたのだが、暴走しがちな武流には良いストッパーであった。

 思春期に入って、異性を好きになりお付き合いというものを互いにするようになってきた頃から、ほとんど一緒にいなくなった。だが、バカなことをするときはいつも一緒で、これから先もなんだかんだ言いながら一生付き合っていく友人なんだろうと思っていた。

 それが・・・。

(なんで、こんなことになった?)

 景一が去ってからもうずいぶんとたち、衝撃的な朝から程遠い夕闇の中に武流はいた。

(あいつが変な性癖の持ち主なのは知っていたけど・・・・・・)

 忘れもしない半年前。

『僕、SMの女王さまと付き合っているんだ。けっこう刺激的で楽しいよ』

 セックスの時にSMごっこするんだよね。

 なんてさらりと言われたときの衝撃を武流は一生忘れられないと思う。

 それ以前にも、景一と付き合っていた彼女からたびたび「景一くん、えっちのとき変な道具を使うの・・・」などと、とんでもない相談を受けることもしばしばだった。

 だがまさか、男とセックスをしようと思いつくなんて思いもしなかった。

(しかもその対象がなんで俺なんだ・・・・・・)

 友情が壊れるとか思っていなかったのか。

 冷静な思考を取り戻した今も、なぜ景一があのようなことをしたのか理解することはできなかったのだった。













 あれからさらに十日以上がたった。

「このところずっとぼーっとしてるよね」

 大学の食堂で恋人の冬海と向かい合って昼食をしていた武流は、彼女の声で迷い込んでいた思考の迷宮から我に返った。

 具合悪いの?と、こちらを覗き込むようにしてきたその顔は心配げだ。

「なんでもない。ちょっと考え事」

 安心させるように笑ってとまっていた食事を再開させる。

「私にできることがあったらいってね。タケルくんのためならなんでもするよ、私」

「そんなに心配しなくたって大丈夫だって」

「そうかなー」

「そうだよ」

 笑いながら返しながらも、武流の頭はあの日の出来事がこびりついて離れることがなく、ふと気を抜けばすぐさま景一のことで思考がいっぱいになる有様だった。

 彼が妙な性癖を持っていて、男とすることに興味を持った。

 それはわかった。

 だが、なぜ景一はその対象に武流を選んだ?

 そればかりが頭の中を占める。

 聞きたくて、でも顔を合わせづらくて、その上自分から呼び出す勇気もなく、同じ大学の学生だから近いうちに顔を合わせるだろうと偶然に任せようとした。

 しかし、不思議なことにその機会は一向に訪れる気配はなかった。武流は今さらになって景一に避けられているのではないかと思い至った。そうなってくると会わなかった時間も追い討ちをかけてますます会いづらくなっていくというもの。

 だが、そんなことを言っていては先には進めない。もともと待っているのは性に合わない性格をしているのだ。行くしかない。

「よしっ」

 小さく気合を入れて携帯を取り出すと食事も中途半端に景一を呼び出すメールを打ち込む。



『話がある。今日の夜、何時でもいいから俺の部屋に来てくれ』



 少し考えて、でもそれ以上にいえることはなく、短いその一文のみを送った。



 程なくして聞きなれた着信メロディ。

 送り主を確認すればそれは景一からだった。


『OK。8時頃に行く』


 武流以上に短い彼の返信。

 学内で避けられているかもしれないという疑惑もあって、もしかしたら返ってこないかも知れないと思っていただけにすぐに返ってきた返事にほっと息をついた。








 そしてやってきた夜8時。

 武流は約束の時間前にはやってきていた景一と向かい合って座っていた。

 なにを改まっているのだろうと、妙に真剣な空気に視線をさまよわせる。

「で、話しってなに?」

 そんな空気すら気にも留めていない風にいつもの調子で景一は話しかけてきた。

「ああ、うん・・・・・・」

「呼び出しておいて実は話すことはありませんなんて言わないよね」

「・・・言わねぇよ」

 からかうような物言いにわずかに苦笑してしまう。

「まぁなんだ、アレだ」

「あれだじゃないよ。はっきりしなよね、気持ち悪い」

 本当に気持ち悪げに眉をしかめられた。

(はっきり言えたらわざわざ呼び出したりしないで電話で済ませるわ!)

 こちらの気も知らないでそんなことを言う景一に思わず叫びそうになるがかろうじて食い縛った。

「ああ、もしかして・・・」

 そんな武流にくすりと笑う。

「話しってこの間のこと?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 なんでこう、こいつは言いにくいことをさらっと言うんだろう・・・。

「その話はもう終わったじゃん」

「終わってないだろ・・・」

「これ以上なにを話すのさ。僕は話すことはないよ」

「・・・俺はある」

 唸るように告げれば「あ、そう」と興味なさ気に頷いて、

「で、なんなの?」

 と、またしてもさらりと言い返された。

 確かに言い出しにくかった自分に話すきっかけを与えてくれるのはいいのだが、なぜ彼はこんなにも平気でいられるのか。

 わからない。わからない、が。

 このままでいられないのだ。ここは思い切って切り出すしかない。

 元から景一は素直ではない性格をしている。そう、どちらかといえば捻くれているといえよう。だが捻くれてはいるが、きちんと話せば必ず彼なりの答えを律儀に教えてくれるのだ。ここは腰をすえて、短気を起こさずに聞こう。

(よしっ!)

 呼び出しのメールを送ったときのように心の中で気合を入れて景一を見つめて単刀直入に切り出した。

「なんで、俺だったんだ?」

「は? ・・・・・・ああ」

 あまりにも単刀直入だったからか、一瞬疑問符を投げかけたがすぐに理解したらしい。わずかに頷いて同じようにこちらを見つめ返してきた。

「お前だからだよ」

 いったじゃん。なんて無邪気に返されて武流はわずかに眩暈を感じた。

「・・・・・・・・・や、だから、なんで俺?」

「お前だったら笑って終わるかと思ったんだよ」

「笑ってって・・・」

「僕のことを知ってるお前ならお遊びだって、終わるかと思ったんだ」

 終わらないだろ。

 突っ込みそうになって、口をつぐむ。

「まあ、でも。僕もあれから考えたんだよね」

「なにを?」

「なんで、タケルだったのか」

 ふと、視線を伏せる景一。その表情はさきほどからさほど変化はない。だが、声音がいつもと違う響きを含んできたような気がして武流は景一を見つめた。

「で、試してみたんだ。他の男はどうだろうって」

「はぁ?」

「不思議なことに最初のキスでもうだめだった」

「・・・・・・・・・」

「二人目には強引に押し倒されてあちこち触られたけど感じるどころか気持ち悪くてしょうがないし、三人目はじゃあ僕が押し倒そうかと思ったけどとてもそんな気にならなかったんだよね」

 ほんと不思議。と、なんでもないことのように言うものだから、武流は空いた口が塞がらなくなった。

「おまえ、なにやってるんだよ・・・」

 挙句にでた言葉に景一は苦笑して、

「なんでタケルは大丈夫だったんだろうね」

 自問のように静かに呟いた。

 その問いに当然のことながら答えを見つけ出すことができず、武流はなんとか違う話題をと頭をフル回転させたのだが、苦し紛れに出た言葉は、

「お前、俺として気持ちよかったの?」

 なんてとんでもない質問だった。

(うおぉぉっ! なにを聞いているんだ俺はーっ!)

 自己嫌悪に頭を抱え込む。

 そんな武流を景一はしばらくこちらを見つめていた。やがてつむがれた言葉は予想外の台詞。

「どうだったと思う?」

 疑問に疑問で返されて、武流の顔は不満げなものへと変わる。

(覚えてないんだ。分かる訳ないじゃないか)

 不機嫌が顔に出ていたのか、彼は最後に「じゃあ、思い出してみて」と残して部屋を後にした。

 景一を見送って、武流は大きなため息を一つついて頭を抱える。

 他の男で試してみた。と言われた時、実は言い知れぬ暗い気持ちが胸に広がった。それは一瞬のことで、その後に続いた話にあきれ果ててしまったのだが、なにもなかったことにほっとしていたのも事実だった。

(どうしたんだよ、俺・・・・・・)

 あの日から、なにかが変わり始めている。

 記憶のない出来事。だが確実にこの心には変化が訪れていようとしている。

 それは抗いようもない事実のようだった。
















『あ・・・』

 触れられるたび、身の内に溜まる熱量が理性を崩壊へと導いていく。

 信じられない快感。

 まさかこんなにも気持ちが良いだなんて思わなかった。

 男とするとクセになるとは聞いたことがあったが、確かにこれはクセになりそうだ。

 男同士だからというのもあるからか、ほとんど外れずに性感帯をついてくるし。

『んあっ・・・はっ・・・』

 しかも・・・自分に覆いかぶさる相手も上手い上に顔がエロい。

 これは煽られてもしょうがないんじゃないだろうか。

『ふ・・・んっ。・・・・・・・・・ああっ』

 こんな、幼馴染の顔なんて知らない。

 凶悪に笑いながらこちらの反応を面白がっているそんな顔なんて知らない。

 絡まる舌も、吐息も、身体も、すべてが熱い。

 彼女は、いつもコレを受け入れているのだろうか。

 受け入れて、いるのだろう・・・・・・。

(・・・・・・嫉妬、しちゃい・・・そ・・・・・・)

 茹る頭で思う。

『あ、ちょ・・・。まだ、するの?』

『なんだよ。誘ってきたのはそっちだろ。やらせろって。・・・・・・まだ、足りない』

『んっ・・・』

『・・・・・・お前、いいよ。すげぇ、気持ちいい・・・・・・』

 そうして、また始まる。

 唇に口付けられ、耳朶を噛まれ、首筋を舐められ、鎖骨の中心にチクリとした痛み。

 所有印を残されるのはいったいもう何個目になるのだろう。

 熱心に身体をたどり始めた彼の背を抱きしめ返しながら、今は夢の中にいるだろう幼馴染の彼女の顔を思い出してくすりと笑う。

 優越感が胸の中に占めていたのは自分だけの秘密。

 これが終わって、眠りについて、次に目覚めたとき、彼が何も覚えていなくとも、おそらく自分は一生覚えているんだろうな、なんて思いながら、幼馴染から与えられる快楽に身を任せた。



(本当は、こっちから聞きたいんだからね)

「なんで、僕の誘いにのったの?」

 呟きは深い闇の中に吸い込まれて、景一はわずかに目を伏せたのだった。
















 一ヵ月後、武流は偶然にも景一とキャンパスで顔を合わせ、校門へと続く並木道に設置されたベンチに、二人並んで座った。

 自販機で買ったコーヒーをちびちびと飲みながら他愛のない話に花を咲かせる。話題が近状報告に至った時、景一は手元のコーヒーを弄びながらポツリと呟いた。

「僕、夏希と別れたんだ」

「え?」

 突然の告白に目を見開き、そして思わず笑った。

 そんな彼に当然景一は眉根を寄せる。

「笑うところ?」

「だって、なんでこんなタイミング・・・・・・」

「なにそれ」

 彼の疑問はごもっともで、武流は笑いを治めて言った。

「俺も、冬海と別れた」

 武流と同じように目を見開いたのはしょうがのないことだったろう。

「なんで? すごい仲が良かったじゃん」

「うん。まぁ、そうだったんだけど・・・」

 武流は少し笑った。

 あれから・・・あの日から武流の心には彼女の存在が日に日に薄れていくのを感じていた。

 けして嫌いになっていったわけではない。大切なのは今でも変わらない。けれど、想いの方向が変わってしまったのは変わりようのない事実だった。

 そして代わりに胸を占め始めたのは幼馴染の男。

 困惑はまだ消えてはいないし、あの出来事に関しての答えはまだ出せていないけれど、彼女に対しての恋情が消えた今、このままずるずると関係を続けていくのはお互いのためにも良くないと、一週間ほど前に別れを切り出したのだった。

 さすがに泣きながら別れないでと言った彼女を思い出すと胸は苦しくなるけれど・・・。

「特別には思えなくなったから」

 言えば、景一はじっとこちらを見つめた後。

「そう」

 と、一言のみ言葉を発した。

「お前は? どうして別れた?」

「・・・・・・・・・同じ。特別には思えなくなったから」

「そっか」

 静かなまなざしを受けて、武流もまた彼を見つめ返す。

 そのときの感覚をなんと表現したら良いのだろうか。

 どこか、お互いが繋がっているようなそんな感じ。その感覚の先になんと言う感情が存在しているのかなんて、まだ二人にはわからなかった。

 まだそれは激しいものではなく、水面の波紋のように穏やかなものだったけれども。

 だが、なんとなく幼い頃のように、いやそれ以上にまた一緒にいるようになるのではないかという予感があったのはお互いの顔を見れば一目瞭然。

 二人は、静かに笑みを交し合ったのだった。















 朝起きて、飯食って、大学行って、勉強して、バイトして、帰って、飯食って、夜寝て。

 二年したら就職して、さらに三年たったら結婚して、一年たったら子供が生まれて、暮らして、暮らして、年を取って・・・。

 ずっと平々凡々と月日はたっていくのかと思っていた。

 だが人生とは、何がきっかけで道を踏み外すのか分かったものではない!

 と、思い知ったあの日。

 あの日から、武流の心の中には確かに変化が起きていて。そして最近いつも隣にいるのが幼馴染の存在だったりする。

 まだ、二人の間にどんなやり取りがあってあんな朝を迎えたのか思い出せないけれど、以前とは確実に違う関係を築き始めていると武流は感じていた。










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