MAPLE KISS
3周年企画 九龍妖魔學園紀 取主
スペイン サパテロ首相の演説より
「これは、法律用語でできた無味乾燥な一節を単に法典に加えた、という話ではない。言葉の上では小さな変化かもしれないが、何千もの市民の生活にかかわる計り知れない変化をもたらすものだ。私たちは、遠くにいるよく知らない人たちのために法律を制定しているのではない。私たちの隣人や、同僚や、友人や、親族が幸福になる機会を拡大しようとしているのだ」




12月13日
件名:いい香りがするけど
――――――
こんにちは。
って、メールで挨拶するのは変なのかな…。
ところで、今日は朝から妙にいい匂いがしているけど。
いい匂いなだけではないよね。
うまくいえないけれど、なんだか不安にさせられるような…。
急にこんな、わけの分からないメールを送ってしまってごめん。
君なら聞いてくれそうな気がして…。つい我がままになってしまったみたいだ。
それじゃあまた。
今度はもっと明るい話題にしてみるよ。


 昼休みに入って直ぐ、かっちゃんからメールを貰った。それを三回も読み直しながら、思わず口がニヤける。
『君なら聞いてくれそうな気がして…。つい我がままになってしまったみたいだ 。』
 何時も誰に対しても控えめで、我儘なんて絶対言わないかっちゃん。意志が無いわけじゃないのに、自己主張はあまりしない。そんなかっちゃんが言ってくれる我儘は可愛くて嬉しくて、本当に頭を撫でてあげたくなる。
 どんな時も、不安がっているなら尚更、かっちゃんの傍に居たい。その足で音楽室に 向かうとかっちゃんの姿はなくて、準備室から人の気配がした。
「かっちゃ〜ん。」
 ノックもなく開けると、かっちゃんが棚の古そうな楽譜に手を伸ばしているところだった。
「いらっしゃい、はっちゃん。今、君が来た時に弾く曲を探していたところなんだ。」
 ふわりとした笑顔は少し儚いけど優しくて、胸があったかくなる。俺はにっこり笑い返すと隣に立って、かっちゃんが手にした本を見た。ずっと仕舞われていたらしいそれは角が少しよれて薄く埃を被ってはいるけど、大事に使われていた事を感じさせる一冊だった。かっちゃんってこういう、少し古いけど愛されてる物が自然に似合うよね。だから遺跡の中に居てもあんなに格好良いのかな。
「クラシックは指揮者によって印象が変わるけど、それと似てるね。かっちゃんが弾くと、聞いた事がある曲でも全然違く聴こえる。かっちゃんにしかない音色があるんだ。だから何を弾いて貰っても新鮮に聴こえる。この間聴かせてくれた幻想即興曲、あの後何かで聞いたけど最初気付かなかったよ、違いすぎて。」
「……はっちゃん、クラシックの勉強をしたのかい?」
 転校当時、僕の音楽評価がCだったのをかっちゃんは知ってる。仕事に影響が無い事は後回しだったのに、今じゃSSだよ。何でだろ。
「楽しんでたから勉強って程でもないよ。それを言ったら、かっちゃんによく教えて貰ってる国語とかの方が頑張ってる。古語も現代語も、日本語の読み書きはいとムツカシイネ!」
 俺がわざと肩を竦めると、かっちゃんは面白そうに笑った。うん、やっぱりかっちゃんは笑顔が一番だ。笑ってくれるとそれだけで嬉しい。
 音楽室に戻ると、ピアノの椅子に座ったかっちゃんは人差し指で白い鍵盤を叩いた。隣に座った俺も、何気無く鍵盤を叩く。かっちゃんの声みたいな低い一音が響いた。かっちゃんはこんなに可愛いのに、こんなに背が高くて低く優しい声で、時々凄く男らしい事を言ったりする。そのギャップはちょっと反則。
「僕はバスケとピアノ、両方好きだ。はっちゃんは、将来の夢がある?」
「うん、あるよ! 小さい時からずっと、それだけを目指してきたんだ。今も半分叶ってるようなものだけど。」
「はっちゃんの夢はきっと凄いんだろうね。只宝を探すだけじゃなくて……きっともっと大きな何かを見付けて人に与えられる様な……。」
 そうかな。そうだといいな。かっちゃんにも何かを与えられるかな。
 俺はもう宝探し屋で、夢が叶ったと言えば叶ったのかもしれない。でも宝は世界中に散らばっていて、今までゲットしたものはほんの一握りだ。それにまだ大事な宝を手にしていないような、何処か物足りない感じがしていた。
「俺はかっちゃんの夢も応援してるよ。好きな事に打ち込んで生き生きしてるかっちゃんが大好きだ。」
「………………、え……?」
 少しフリーズしたかっちゃんが、口許に手を当ててカァッと頬を赤くした。………ん?
「あ……、言われ慣れていなくて恥ずかしいけれど……有難う、はっちゃん。僕もはっちゃんを応援しているし、特に遺跡で生き生きしているところが一番の魅力だと思うよ。」
 不思議そうにした俺にはにかむかっちゃんは誰より可愛いくて何時もならテンション上がるのに、何でだろう、赤面したのが言われ慣れていないからだと知って少しがっかりした自分がいた。

 気付いてなかったけど、その頃にはもう、かっちゃんに惹かれてたんだ。

 それから一週間以上が経った。全てを終えた夜、俺は音楽室に居た。
 皆から貰ったコレクションも他の荷物も送って、数日前には大分身軽になっていた俺は、リサイクルに出してなかった沢山の物を最後に返して回った。教室の黒板消し、テニスラケットやバット、緑ネットといろんなボールと、カーテンとパイプ椅子と本と雑巾……。色んな事があった場所を、楽しかった思い出を、一つずつ辿 りながら。今はザックを床に下ろして、何時もかっちゃんが座った椅子に座りながら、月明かりが差す外を見ていた。
 かっちゃんが佇んだ窓辺。作曲家の生涯について説明してくれた時の穏やかな顔。男にしては細めの長い指から生まれる繊細な音色。
 バスケの時の的確なパス、長身でボールカットする姿、鮮やかなシュート。一見頼り無いのにしっかり筋肉があってしなやかな体。
 一緒に勉強して、一緒に遺跡潜って、一緒にご飯食べて、一緒にお風呂入って、それから……沢山、沢山笑った。
 鼻がツンとして、僕はそっと目を閉じた。かっちゃんの事は全部覚えてる。白くて綺麗で、優しくて強い。かっちゃんは月みたいだ。
 音楽室の鍵と大事な楽譜をピアノの上に置いた。これが最後の預かり物。
 次は何時会えるんだろう。解ってたけど、離れるのはやっぱり辛い。本当は告白したかった。でもかっちゃんは男で……大和撫子みたいにオクユカシイ。同性愛って、どう思うだろう。日本はその辺りオープンじゃないし、やっぱり……ちょっと躊躇う。人が人を愛する気持ちを、嫌な捉え方するようなかっちゃんじゃないけど。
 ピアノの蓋を開けて、俺は鍵盤の表面を撫でた。月みたいな白と、あの砂の様な黒。一度は闇に捕えられたかっちゃんだから、この二つを想いに共鳴させられるんだろうな、きっと。
 不意に、廊下を歩く静かな足音が聞こえた。近付いた足音は扉の前で止まって、人影を曇りガラスに映しながら扉を開く。現れたかっちゃんは、僕が中に居る事を知ってたみたいに小さく笑った。
「最後にもう少しだけ、一緒に居ても良いかな……?」
「うん、勿論だよ!」
 会えた嬉しさに声が震えそうになるのを抑えて笑うと、かっちゃんは静かに笑って隣に座った。
「はっちゃん。」
 鍵盤でかっちゃんの声音を探していた指先が、少し冷たい指先に絡め取られた。真剣な眼差しに緊張しながら、俺もかっちゃんを見つめ返す。
「僕が未来に夢を持てたのは、はっちゃんがいたからだよ。僕はこれからどんな闇が迫っても絶対に負けない。それが僕の中にはっちゃんが居る証。」
「かっちゃん……。」
「君が見せてくれた強さも、心にくれた優しさも、ずっと抱きしめているよ。誰よりも君を大切に想ってる。だから……逢えなくても忘れないで。君自身を大切にする事を。」
 かっちゃんの言葉と切なそうな微笑に胸が苦しくなった。やっぱり、これからもずっと一緒に居たい。離れたくない。……どうしたら一緒に居られる?
「俺の中にもかっちゃんが居る。誰よりも大事に想ってる。だけど……それだけじゃ、足りない。触れられる場所にいたい。特別扱いしても、いい?」
「はっちゃん……?」
 言外の何かを感じたのか、かっちゃんはそれを探る様に俺を見た。すがる様な目にも見えるのは気の所為?
「俺……かっちゃんと離れたくない。難しいのは分かってるけど、これからも一番一緒に居たい。」
 かっちゃんは緊張した様子で目を閉じた。何を言われるのか、絡めた指に力を込められて、期待と不安で俺も緊張する。
「……僕は将来、ピアニストになる。それは譲れない。だから……はっちゃんの後を追いたいけど、追わない。」
「うん。俺もそれは望んでないよ。」
「でも、はっちゃんと何時逢えるか分からない侭なんて耐えられない。我儘な事を言うようだけれど、……約束が欲しい。」
「約束?」
「僕がピアニストになった時、もし……まだ君の気持ちが変わっていなければ……、僕は君と世界を繋げたい。輝き続ける君に相応しくなって、一番傍で抱きしめたい……。」
 かっちゃんは誰よりも強く優しい瞳で、綺麗に笑った。それは俺の心に一番強く焼き付いて、かっちゃんとならきっと大丈夫だって俺を安心させてくれた。そうなったらもう、俺の笑顔は止まらない。全身が震えるくらい嬉しくて、ぎゅうぎゅう抱きついた。何処か物足りなかったあの感じが消えていく。
「変わらない! 絶対変わらない! かっちゃんだけが一生で一番の宝物だよッ!」
 かっちゃんも嬉しそうに、でも照れた様にはにかんだ。この可愛い表情もやっぱり大好きだ。見られなくなるなんて絶対嫌だ。
「有難う……。約束するよ、はっちゃん。僕はどんな困難にも負けない。君の隣で、君との日々を音に変えて……ずっと一緒に生きていく。」
「うん、約束だよ。」
「だから……宝探屋を天職にする為にも、怪我には気を付けて。」
「勿論! 遺跡の中では必ずかっちゃんを守れる男にならなきゃね。」
「僕も、君を守れる男になりたいな……。」
 ああ、かっちゃんは気付いてないのかな? 俺はとっくにかっちゃんに癒されてるんだって事。かっちゃんはそんな風に何時も俺の心を守ってくれてるんだって事。それは化人に勝つより凄い事なんだよ?
「一緒に頑張ろう、はっちゃん。」
 かっちゃんが、俺の顔の側で軽く小指を立てる。片腕でかっちゃんに抱きついたまま小指を絡めると、かっちゃんがそこに静かにキスをした。月明かりだけが照らすそれは何だか神聖な儀式みたいで、俺はドキドキしながら神々しくも見えるかっちゃんの綺麗な白い顔にただ見とれていた。

 お互いきちんとした告白はしなかった。一緒に居られるような状況を作れるのはまだまだ先で、只好きだと言うだけじゃ前には進めない。でも気持ちの確認は出来た。二人で一歩を踏み出せたから、一緒に居る為の道をつくっていける筈だ。
 新しい希望と勇気と、一気に甘く染まった恋を胸に、俺は學園を後にした。




 紅葉が残りつつも朝は薄氷が張る秋の夕方、僕ははっちゃんと逢う為に空港の側のカフェに居た。公演先からシカゴ経由で昨日のうちに着いていて、これから着くはっちゃんを待っている。
 はっちゃんが旅立つ時に交わした約束の為に、僕はひたすらピアニストを目指した。在学中に教授から応援された事もあって良いプロデューサーに出会えたり、親切な支援者の人達のおかげで海外公演も幾つか経験出来た。デビュー公演に来てくれたはっちゃんに初めてきちんと告白した時以外、涙は見せなかった。はっちゃんの隣に並んでも恥ずかしくないよう、僕なりに頑張ってきた。
 恋人になって三年。それでも今日は、やっぱり心臓が壊れそうで。……今からこんなで大丈夫かな、僕。

 紅葉が美しい事で知られるこの国で、はっちゃんと甘い時間を過ごそう。メールや電話だけでは伝えきれない想いを伝えよう。一緒に居られる時間は限られているけれど、少しでもはっちゃんを独占出来るなら、それだけで嬉しい。
 現地のラジオが流行りの歌を流し、ティータイムを楽しむ人達のざわめきをのせて耳をすり抜ける。それは僕の緊張や喜びと重なって別の響きを残し、エチュードを生んでいく。のんびりカフェオレを飲みながら今綴っている曲のメロディラインをなぞっていると、ポケットの携帯が震えた。このリズムははっちゃんだ。曲作りに熱中して時間を忘れてしまったらしい。ディスプレイが示す時間に慌てて携帯に出ながら急いで空港に向かう。電話の向こうではっちゃんは笑って走らなくていいと言ったけれど、一分一秒でも早くはっちゃんを抱きしめたくて。
 空港では髪を切ってさっぱりしたはっちゃんが笑っていて、人目も憚らず僕ははっちゃんを抱きしめた。
 別れの時は笑えるのに、数ヵ月ぶりの再会は何時も視界が揺れてしまう。悲しみを堪える事には慣れているけれど、嬉しさを我慢する事は出来ないみたいだ。

 少し観光して市街に出た頃はすっかり暗くなっていて、昨日から僕が泊っている小さなホテルに大きな荷物を置いた後、地元の人達が集まっている店で鹿料理を堪能した。鹿と水牛料理が此処ならではの食べ物らしい。各国を行くはっちゃんはグルメで、明日はスモークミートやプッチンを食べると言っていた。プッチンはモッツァレラチーズとグレビィーソースというものがフライドポテトにかかったファーストフードで、これとスモークミートはこの地ならではのものらしい。僕は初めての国だから、食事に関しては大体はっちゃんに任せるつもりでいる。頑なにフランス語しか話さない人もいる中で、英語とフランス語の両方に対応出来るはっちゃんはとても頼もしい。
 ホテルに戻って入浴を済ませた僕達は、ソファに座ってお互いの髪を拭きあって、色々な話をした。バスローブを緩く着た白い肌にさっき付けたキスマークが見え隠れして、後ろからはっちゃんを抱きしめる。あまり見ているとまた欲しくなりそうで。
 窓の外にはフランス情緒の残る町並み。18世紀の城壁都市の佇まいが残る街は世界遺産にも登録されている。此処に来る途中にも、南フランスやイタリアの田舎を思わせる様な、オレンジの屋根で白みがかった建物の村が幾つかあった。1〜2日あれば全て見れてしまう様な小さな街は、観光都市の様な華やかな物は少ないだろうけれど、雰囲気はとても良い。
「かっちゃん、明日の予定はもう聞いていい?」
 抱きしめる僕の腕に手を添え、はっちゃんが顔だけ振り返る。明日一日はプランを立てずに僕に付き合ってほしいと頼んでいたけど、理由は秘密にしていた。僕は緊張しながら腕を解いて前に回ると、不思議そうなはっちゃんの左手をとった。
「はっちゃん。音楽室での約束を覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。俺の隣で、俺との日々を音に変えて、ずっと一緒に生きていくって。大事な約束だから、忘れた事ないよ。」
「有難う……僕もだよ。どんなに年をとっても傍に居たい。……だからその約束を、形にしたいんだ。」
 物凄い緊張と少しの不安で手が震える。何時かはっちゃんに教えて貰った様に一度深呼吸して、僕ははっちゃんを見上げた。きちんと真剣に僕を見てくれる瞳を見つめ返す。僕がどれだけ愛しているか伝わるように。
「……結婚しよう、はっちゃん。仕事の都合があるから直ぐじゃなくていい……でも、あの時より成長した僕達の……新しいスタートにしたい。」
 驚きに目を大きくしたはっちゃんが、じっと僕を見つめた。
「………本当に……?」
 頭が真っ白になりそうで、もう声も出なくて、僕は只頷く。するとはっちゃんは涙目で僕の手を強く握りしめて、何度も頷きながら、片手でゴシゴシと目を拭いた。
「かっちゃん大好き! ああもう嬉しすぎて泣けてきた。有難うかっちゃん。しよう、結婚! ずっとずっと一緒だよ。」
 良かった……安心と嬉しさで僕も泣けてきた。涙を拭いたはっちゃんが、それでも涙目になりながら、嬉しそうに笑って僕の目元を拭ってくれた。
「明日……、明日は教会を見て回りたいんだ。候補だけでも見付けられたらと思って。」
「えッ、式を挙げられる所があるの?!」
「此処の州は、住民じゃなくても同性間の結婚を認めてるんだよ。だから教会で結婚する事も出来る。結婚証明書は……他の国では無効だけれど……約束の証にはなるだろう?」
「充分だよ。かっちゃんのその想いだけでも俺、凄く幸せ。言いきれないくらい幸せ。頭おかしくなりそうなくらい幸せ。俺もかっちゃんの事たっくさん幸せにするからねッ!!」
 キラキラした満面の笑みが嬉しくて、かっちゃんをこんな笑顔に出来た僕は幸せ者だと思った。
「僕も、今よりもっと強い男になって、君をもっと幸せにするよ。」
「かっちゃん大好き! ずっとずっと大好き、愛してる。」
 髪形が変わっても、遺跡での鋭さが増しても、嬉しそうにぎゅうぎゅう抱きついてくるのはあの頃と変わらないね。変わっていく君を、変わらないままの君を、一生抱きしめて生きていきたい。その為なら僕は強くなれる。
「結婚式の前には、かっちゃんのお姉さんにも報告に行こうね。」
 そう言って笑うはっちゃんを、僕は一生大事にしたいと改めて思った。
 絡めた小指では無くて今度ははっちゃんの薬指に、約束のキスをした。病める時も健やかなる時も、その全てを愛し、守り、一生を掛けて愛しぬく事を誓うよ。だからずっと、僕の隣で笑っていて。










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