祈りの唄 1
3周年企画 オリジナル
 スコールのような激しい雨が降っていた。大気から汚れを吸い込み、それを舞い上げた地上に戻そうと、今日も大粒の雨が大地を濡らす。建物は蔦に絡め取られ、多くの物が自然に還るのを待っていた。崩れて剥き出された鉄骨がその長い道程にセピアの涙を流し、朽ちて土に身を沈め始めた生活用品の欠片に流れ落ちている。数十年前、此処には人間が生息していたが、今はその痕跡が残骸となって残るだけだ。滅びの道を辿った人間は自ら数をを激減させ、今は絶滅危惧種として管理保護区で生活している。
 毒を含んだ雨がやんだ頃、緑の触手が伸びる濡れた廃墟を、一人の青年が歩いていた。深い緑のローブを纏う細い長身、中性的だが意志の強そうな顔立ち。後ろで高く結んだ青く煌めく長髪が歩く度にサラサラと揺れている。彼の名はアルフェスラ。水を司る女天使アナーヒターの血を引く、セイレーン保護区の責任者だ。
 朽ちた船が板の塊となって漂う港に着くと、アルフェスラの体全体がぼんやり光り、その背に二枚の白い翼が現れた。それを大きく羽ばたかせて飛び立ち、夕日に染まる沖へ向かう。彼は同じ役割を持つ仲間と、セイレーン居住区に浮かぶ小さな島の一つに住んでいた。
 時折会う慣れ親しんだセイレーン達に手を振り返しながら帰る途中、アルフェスラは島の入り江に建つ石の祠に立ち寄った。満潮時には沈んでしまう事もあるそこは、今は違う世界を生きる旧友とコンタクトをとれる場所になっている。祠を開けると、中には大きな白い貝が置いてあった。貝を開いたアルフェスラの顔に満面の笑みが広がる。脳裏に浮かぶ人懐こい笑顔の旧友に感謝を呟き、その幸せを願う。貝を閉じて大切そうに懐にしまい、アルフェスラは再び空を飛んだ。

 用事を済ませ、翼を消したアルフェスラが夏の花が最後の盛りを見せるなだらかな丘を歩く。赤く鮮やかな花を一つ手に取り香りを嗅いでいると、幾つかの小さな家が並ぶ小さな集落から一人の青年が走ってきた。決して背は低くないが、その様子は何処か子犬を連想させる。
「お帰りなさい、アルフェスラ!」
「ただいま、アシュティ。」
 師とも呼べる先輩に金色の頭を撫でられ、アシュティは嬉しそうに頬を染める。彼は此処に配属されて数年目の下級天使だが、アルフェスラに素質を認められ直接指導を受けていた。二人で住む家に向かい並んで歩きながら、アシュティは夕日に染まる美しいアルフェスラをちらちらと見ながら、髪に飾られたばかりの赤い花が風に揺れる感覚にほほ笑んでいた。
「さっきあの居住区跡を見てきた。大分緑が増えてきたな。」
緑の蔦が這う廃墟は、浄化の能力を持つアシュティが他の仲間と共に再生を目指している区域である。人間による汚染は土壌深くに浸み込み、まだ動物が住める程では無い。それでも暇を見付けては力を合わせるアシュティ達の働きによって緑が根付き、虫の姿は見られるようになった。
「はい。明日も皆で集まる予定なんです。教会跡はやっぱり他より清いから、そこから花を咲かせようって。」
「あの教会跡か…。明日は少し時間があるから俺も行こう。」
「えっ、ホントですか?! 有難う御座います!」
花が咲けば実がなる。実がなれば虫や動物達が姿を現すようになる。責務に追われる大天使達に代わった地道な努力が、壊された自然をあるべき姿に戻していた。
「…こら、アシュティ? 今の俺は何だ?」
 嬉しそうにニコニコと笑うアシュティに、アルフェスラが優しく笑って彼の頬を軽く摘む。役目を果たしている時以外の敬語は使わない事になっていた。だがアルフェスラに憧れてセイレーン保護区に配属願いを出したアシュティは、晴れて恋人になった今も反射的によく敬語を使う。
「あっ! えっと…、あ、有難う、アルフェスラ。嬉しい。」
 アルフェスラはアシュティの頬を指先で撫でると肩を抱いて家に入った。キッチンでは既に料理が出来上がっている。同居し始めた頃から比べると、アシュティは随分料理の腕を上げた。同居が同棲に変わって三年、既に嫁になったようだとアルフェスラは小さく笑った。










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