比翼の鳥
Episode.1
 幾つかの部族から成り立つ大国ゼルディアは、各部族の自由を尊重した制度の下、比較的平和な日々が続いていた。海に続く大河と資源豊かな山を持つこの国は過去幾度となく狙われたが、隣国と同盟を結んでいる今は、平和とは言えないまでも、戦の無い日常を保っている。
 実権を握るのは河沿いの東と南を拠点にしていた二つの部族であり、その繋がりは古く、今では融合して一つの部族になっていると言っても過言ではない。今ではアスケラ族と言う一つの名称で呼ばれている。それに従うのは主に北と西に居を構える三つの部族で、うち二つは戦で圧倒的な力の差を見せ付けられ、残る一つは平和主義の為戦わずして降り、それぞれが結んだ条約の下に従っている。
『ゼルディアの配下にある限り、隣国又は反逆部族の攻めから守られる。また、ゼルディア配下の他部族がそれらから侵略行為を受けた際は、ゼルディアの王と共に仲間を守るものとする。ゼルディアは各部族の思想と宗教に自由を与えるが、他を排除しようとした時はこの限りではない。』
 それがゼルディアへの降伏の前提であり、絶対不可侵の条約である。王はどの時代も民への誠実さと勇猛果敢さを求められ、それに応えてきた。歴代の中でも特に素晴らしいとされる初代王の再来、と誉れ高い現王レオニス。代々王を支えている大臣達と、王族の中から選ばれる賢者、そして負け知らずの正規軍。周囲の国さえ同盟を守っていれば、文句無しに平和と言えただろう。だがそう上手くいかないのが世の常である。
西に位置する隣国アウリーガェは、レオニスが生まれて間も無く好戦的な王に代替わりした。既に同盟を反故されて侵略された国もある。ゼルディアとも国境沿いで小競り合いを始めていた。裏切りを許さないゼルディアは、何時でも戦を始められる体勢をとっていた。
 そんなアウリーガェについて詳しく書かれた密書が届いたのは数ヶ月前の事だ。抜け道が記された城の見取り図等と共に、送り主からの手紙があった。名と役所を明かす事は出来無いが、自分は過去アウリーガェに裏切られた国のものであり、その復讐を望んでいる、と。国力、王の力量から考えて、アウリーガェに確実に勝利出来るのはゼルディアだけだと書かれていた。
 密書は不定期だが度々送られ、狙われる国、そのやり方、時期はことごとく当たった。何かの罠かとも思えたが、密偵が王の側近である事に間違いは無かった。そして、次はゼルディアの国境近くのシェマリー族が襲われる、という密書が届いた。アウリーガェが小競り合いを仕掛けてくる領地である。其処に駐屯する正規軍から応援要請が届いたのは、その日の夜の事だった。


 光のヴェールを失った肌寒い夜風が闇をすり抜け、青年の剥き出しの白い肩に触れては体温を持ち去っていく。待ち合わせの時間など、今は有って無いようなものだ。戦を前提とした西への出陣用意に城が湧いている。誰よりもその中心にいる相手の多忙さを心配こそすれ、他の感情など持つ筈が無い。極端に物が少ない室内に置かれた小さめのソファに座る美貌の青年は、思いつめた顔で窓の外を眺め続けていた。
 どれ程の時間が過ぎただろう。やがてカチリと小さな音を立て、扉が開いた。星空を切り取っただけの窓では、暗い室内を照らす事も出来無い。まして、フードを被った愛しい者の顔など。
「ミケーレ・・・・・・。」
 闇の中でなお透き通る中性的な声。名を呼んで出迎えた青年は、後手で扉を閉める影より一回り小さい。手を伸ばし、やっと姿を現した恋人のフードを取れば、闇に慣れた目に優しい笑みが見えた。
「待たせてすまない。」
 低く穏やかな声で、ミケーレと呼ばれた彼は青年の頬に触れた。だいぶ冷えてしまっている肌に待ち時間を悟り、簡易衣装に露出した肩を引き寄せる。
「いや・・・・・・今は仕方無いさ。」
「オレはクルキスに許されてばかりだな。」
 無駄の無い筋肉だけが張り付いた、見た目以上に広い胸。安心感を生み出す力強い腕の中で囁かれる優しい声。それは、王族の中でも限られた者だけが知る部屋で行われる、週に一度の密やかな逢瀬。
 だがクルキスは、これを今日で最後にするつもりでいた。
「ミケーレ・・・・・・。詳しい事は明日、通達がある筈だが・・・・・・アウリーガェとの戦は避けられない。」
「そうか・・・・・・。」
「狂王を止める為に、血が流れる事になる。僕はそれを止められない・・・・・・お前が、死ぬかもしれないのに。」
「そうなったところで、それは俺の所為だ。クルキスが責任を感じる事じゃない。」
「だとしても、僕は・・・・・・耐えられない。・・・・・・何時か失うなら、もうこれ以上、愛したくない。」
「・・・・・・どういう事だ?」
 ミケーレはクルキスの両肩を掴んで体を離し、険しい表情でその瞳を見つめた。いきなり何を言い出しているのか分からない。クルキスの悲しげな瞳が閉じられた。
「俺を見ろ、クルキス!」
 嫌な予感に、ミケーレの胸がざわめく。今迄にも遠征は何度かあった。だが、クルキスのこんな様子は初めてだった。クルキスは柳眉を潜めたまま、苦痛を移した瞳で言葉を続けた。
「・・・・・・婚約が、決まったんだ。まだ内定だから、一部の者しか知らないけど・・・・・・隣国と決着が付けば・・・・・・・・・。普通の幸せを、手にした方が、良いと思うんだ。ミケーレ・・・・・・終わりにしよう・・・・・・。」
 震えそうな声を必死に抑え、クルキスが告げる。その瞳はミケーレに向いていながら、何処か遠くを見ていた。
「俺が生きて帰ってくる事が信じられないのか?」
「違う・・・・・・。」
「俺とでは幸せになれないと?」
「違う・・・・・・。」
「では何故だ! 言ってくれなければ何も分からないだろう?!」
 声を荒げて問いただすミケーレに、クルキスは静かに首を振った。苦渋に満ちたその表情がミケーレを余計に苛立たせた。酷い事を言う側が何故そんな顔をするのか。傷付いているのは己の方だ。
「・・・・・・・・・ごめん。終わりに、しよう。・・・・・・ごめん。」
クルキスの瞳から、涙が零れる。ミケーレは彼の体を床に放り出した。その青ざめた顔色は見えないが、ミケーレを鋭く睨む瞳は闇によく映えている。
「一方的に別れを切り出しておいて、納得いく理由一つ言えないのか。確かに俺は普通の幸せなど与えてやれない。だが・・・・・・お前がそんなヤツだとは思わなかった。・・・・・・こんな事なら、初めから付き合わなければ良かったな。」
 震える手を握り締め、怒りを押し殺した低い声で言い放つと、ミケーレは部屋を出て行った。
「・・・・・・っ、・・・・・・ミケーレ・・・・・・ミケー・・・・・・ッ。」
 声を殺して泣き、クルキスは床に伏したまま蹲った。ミケーレを追い掛けて、本当は別れたくないと縋り付いてしまいたかった。愛していると泣き叫び、許しを請いたかった。
 けれど、出来無かった。誰より愛しい者を傷付けたのに。こんなにも胸が痛みを訴えるのに。それでもこうする事が彼の為だと考え、行動した。どんなに後悔しても、それが間違いだとは思えなかった。

 翌日、早朝。小競り合い鎮圧ではなく、アウリーガェ陥落を目的に西へ行くよう、正規軍将軍ロンベルクと副将軍ミケーレは王から直々に命を受けた。一部の軍を率いたミケーレが西へ旅立ったのは、それから数刻後の事である。










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