比翼の鳥
Episode.2
 ゼルディアに於ける賢者は実に多忙だ。医学、戦法、他国や部族の歴史・習慣・宗教など、ありとあらゆる知識を求められる。政治に意欲的なレオニスの下では、それを最大限に活かし、共に平和を築いていく事を必須とされた。クルキスとレオニスは幼い頃から仲が良く、共に平和の為に今の地位を望んだ仲である。王の望みに否などあろう筈も無く、どんなに過密スケジュールになろうとクルキスは助力を惜しまなかった。
 その決意の根源は、幼い日のミケーレとの出会いにある。クルキスは泣き続けた目の腫れを薬で抑え、変わらないその決意の元、仕事に励んだ。
 レオニスと正規軍の老大将ロンベルク、大臣達とクルキスが朝から始めた会議は、休憩を兼た遅い昼食を挟み、日暮れになって漸く終わった。若い頃から猛者として知られる将軍は、明日夜明け前、正規軍の残り半数を連れて西に旅立つ事になっている。小規模の小競り合いを鎮圧しに行ったミケーレと合流し、今回襲われた部族から有志で集まった戦士達と共に城に攻め込む為だ。西の密偵も幾つかの仕掛けをする手筈になっているが、全てと上手く連携を取らなくては最小限の犠牲で勝利する事は出来無い。今日はその為の最後の打ち合わせをしていたのである。
 溜息と共に疲れを吐き出し、クルキスは時計代わりに空を見上げた。この後も、正規軍各隊長と彼等に看護班として着いて行く者達に緊急で役立つ薬草について教え、その後は民からの書簡に目を通すレオニスの手伝いをする事になっている。恐らくそれは夜中まで続くだろう。アウリーガェとの戦が始まるからと言って、それ以外の事を疎かには出来無い。三分の二の正規軍が都市からいなくなる事を考えれば尚の事、油断出来無い状況になるのだ。
 疲れている暇など無い。全ては自分の望みの為。クルキスは正規軍宿舎に足を向けた。

 緩く走らせた馬に跨ったクルキスは、澄んだ夜明りに佇む教会に辿り着いた。先程、宿舎での講習を終えたばかりだ。あまり長居は出来無いが、此処に来ないという選択肢は、クルキスには無かった。扉を押し開け、数少ない蝋燭の明りだけが灯った中に入る。本来は王族の為に建てられたものであり、前王が解放する迄、一般人が踏み込む事は許されなかった教会だ。一見して分かる派手さは無いが、細部の彫りにまで拘る職人の手で造られ、中央奥に奉られた立派な像は壮麗な輝きで己が神である事を主張している。
 その前に跪き、クルキスは目を閉じて祈りを捧げた。ミケーレが旅立ってから一日も欠かさず通う此処は、幼い日、彼と再会した場所だった。
 願う事は、唯一つ。副将軍として戦いの場にいる愛しい者の、無事の帰還。


 西の部族シェマリーがゼルディアの統治下に置かれたのは比較的最近の話である。アウリーガェとゼルディアの間で自分達の土地を守り抜こうとしていた彼等は、アウリーガェによる虐殺から救われ、その際に正規軍の圧倒的強さを見せられた事で、ゼルディアを受け入れた。レオニス八歳、クルキス六歳の時の事だ。時の王と賢者サダルメリクに連れられ、レオニスと共にクルキスはその現場を見に行った。戦の恐ろしさ、悲惨さ、そしてこれから民となる者達の現状を知り、彼等を守る方法を得る為に。集落の見学は、レオニスが自ら望んだ事だ。だが惨状を見るにはまだ早いのでは、と言う意見もあり、正規軍とシェマリー族の協力の下で行われている死者の埋葬風景を、少し離れた所から見るに留める事になっていた。
 サダルメリクは密かに、クルキスには誰よりも国付き賢者の資質があると考えていた。血族のレベルから考えれば彼の頭脳は特別ではないが、それだけで国付きの賢者に成るわけではないのだ。だがクルキスは、半ば決められている道に素直に納得出来ていないようだった。まだ幼いとはいえ、早熟である。言われるがままに従う性格である事の方が、この家系では珍しいのだ。子供心にも色々と考えた上で受け入れ、決めていく。かつてサダルメリクもそうであったように。
 クルキスとレオニスにとって、戦というのは遠い国の話ではなかったが、あまり現実味が湧いていなかったのも確かだった。戦場ではないが、その傷跡をいざ目の前にすると、歴代の王や賢者が何故平和を重視するのかが解ってくる。現場を取り仕切るのは、着任したばかりのロンベルク将軍だ。副将軍や側近達と難しい話をするサダルメリクや王の代わりに、分かりやすい言葉でレオニスとクルキスの質問に答えていた。
 そんな彼の元に、一つの報告が入った。兵士として戦に参加した男と、その死を嘆いて戦場まで駆けつけ、男の隣で自ら命を絶った女がいるという。クルキスは、一人そっとその場を抜け出し、火葬場に走った。
 疲れ果てた顔に悲しみだけを浮かべた女達、それすら出来ずに無表情に作業をこなす男達。死者への悼みを表現しても偽善と受取られかねない事を知っている正規軍兵士は、黙々と埋葬に励む事でそれを表している。その部族の埋葬法に習い、白い布を纏い顔だけ出した遺体が、煉瓦造りの高炉の中に消えていく。入れ替わりに出てきた骨は墓地に運ばれ、埋められる。
 涙を流しながら死者が焼かれるのを待つ人々の中に、二つの遺体の間で俯く少年の姿が見えた。小さな背中はクルキスよりも幾分幼く見える。近くの兵士に聞き、それが例の二人の遺体だと知った。二人には、子供がいたのだ。遺体の布を片手ずつ掴む両手は、強く握り締めるあまり震えている。クルキスには、掛ける言葉が見付からなかった。
 少しして、夫婦の遺体が高炉に運ばれる。少年は縋る様に布を離さない。大人達に慰められる様に手を解かれ、遺体は高炉に消える。喜怒哀楽を表現していた筈の生き物が、全てを失って焼かれようとしている。扉が閉められた瞬間、少年は高炉に向かって叫んだ。
「お前らなんか、親しっかくだ!!」
 何故置いて逝ったのだ、と。言葉に出来無い悲しみを、小さな背中が訴えていた。全てを拒絶するように高炉に背を向け、走り出す。
 クルキスは後を追った。自分ではどうにも出来無い事など分かっている。それでも放って置けなかったのだ。
 人から離れた林の中で、子供が足を止めた。ついてくる小さな足音に気付いたからだ。振り返り、ゼルディアの子だと知ると、敵意を剥き出して睨みつけた。
「自分の国がどれだけ強いか、いばりにでも来たのかよ。死んだやつら笑いに来たんなら、帰れ! お前らなんかだいっきらいだ!」
 薄らと涙が滲んだ青い瞳には、深い怒りと悲しみの暗い焔が見えた。両親に置いて逝かれてしまった、金の髪の小さな男の子。全身で痛みを叫んでいる様に見えて、クルキスは唇を噛締めた。必死で考えを巡らせる。
「・・・・・・僕は、まだ子供です。力なんて、なんにも持ってない。だから来ました。」
 クルキスは少年に近付き、祈るように両手を絡めて膝をついた。
「死んだ人は帰ってこないと王は言いました。僕はたくさん勉強します。今よりもっともっと勉強して、誰もこんなふうに帰ってこれなくならないように、誰もこんなふうに悲しまなくてすむように、しょうらい王をささえます。大きくなったら、僕はアウリーガェをおとなしくさせます。ここがもっと安全になるように。」
 突然のクルキスの言葉に呆気に取られていた子供は、はっと我に返り、眉を顰めた。
「そんな事信じねぇよ!」
 何処の誰とも分からない、突然後をくっついてきただけの、昨日までは敵だった国の子供の言葉。信じられる筈が無かった。それを分かっていたかのように、クルキスは頬笑んだ。
「信じなくていいです。僕をみはっていてください。今のことばが本当かどうか。嘘をついたら、ばっしていいです。」
 少年は目を見張った。自分とそれ程変わらない歳に見えるが、まだ舌っ足らずな声で告げられた事は、その瞳同様にとても大人びていた。
「お前・・・・・・。」
 その時、遠くから誰かを探す声がした。クルキスは耳を済ませ、残念そうに立ち上がった。
「もう行かなくちゃ。」
 目を細めて自分を見る青い瞳が、少しだけ警戒を解いているように感じて、クルキスはふわりと頬笑んだ。
「僕はクルキス・ヴァン・アルベルト。しょうらい、ぜったい賢者になって、ゼルディアをもっと安全にします。君が悲しい思いをしないように。」
 ペコリとお辞儀をし、クルキスは自分を探す声の方へ走り出した。

 それが、ミケーレとクルキスの出会いだった。以来ミケーレは、より一層勉学に励んだ。数年後には神童と呼ばれるまでになった。群を抜いて頭脳明晰な家系ではあるが、その中でも認められるようになったのは彼の努力の賜物である。ミケーレの心の中には常に、名前も知らない子供がいた。










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