比翼の鳥
Episode.3
 正規軍は、各地の治安を守る事も業務の一つだ。規模は様々だが、どんなに小さな集落にも正規軍は存在し、監視兼守護の役を担っている。アウリーガェとのいざこざは初めてではない為、比較的大人数の正規軍所属の者達が警備に当たっていた。ミケーレは、そんな彼らからの報告を受けて加勢に来たに過ぎない。アウリーガェはこちらの力量を計ろうとしているかの様に回を重ねる毎にやり方を変えてくるが、まだ実戦経験の浅い者達が大半の隊が混ざっていてもどうにかなる程度の規模だ。今回の鎮圧でも、負傷者は出たものの、自分達の軍から死者を出す事だけは免れた。
 だが、戦ともなればそうはいかない。幾ら実力を以って訓練学校を卒業した者でも、何百と言う人間から向けられる殺意の中で仲間が倒れていく現実に、本領発揮出来無くなって当然なのだ。
 薬草を煎じた茶を飲み、荷物に寄り掛かったミケーレは目を閉じた。終わりにしなければいけない。部族や国同士の争いなど。自分の様に、その被害を受けて孤児になる者を出さない為にも。そしてこの後起こる戦には、勝たなければいけない。それが自分の役割であり、国の為。何より、この戦を止められないと嘆いた、平和を望む賢者の為に。
 突然の別れを突きつけられて尚、ミケーレがクルキスを想わない日は無かった。流石にあの夜は怒りを止められなかったが、今はどうにか落ち着いて考える事が出来る。
 何時かアウリーガェとは戦になる。それは子供の頃から、お互い予想していた事だった。軍に入った以上、国や部族の争い事で死ぬ覚悟は出来ている。クルキスはそれを理解した上で自分と付き合った筈だ。いざそれを目の当たりにしたからと言って逃げる程、彼は弱い男ではない。かといって、婚約が決まったなどと嘘をつく男でもない。恐らくそれは本当なのだろう。だが、婚約が決まったから終わりにしたい、と言うのが本心だとも思えなかった。仮にそれが本心だとしても、それを告げるのに涙を流しはしないだろう。どんなに罵詈雑言されても自業自得と耐え抜いて、一人になってから泣く。その涙さえ流す資格は無いと言い聞かせながら。クルキスはそういう男だ。
 何か有るのだ。自分に告げてこない、何かが。帰ったら、納得いくまでそれを聞き出すつもりでいた。その為にも、クルキスとこんな終わり方をしたまま死ぬわけにはいかない。
 今日の夜明け前にロンベルク率いる正規軍が城を発ったと伝令が来た。明日には到着するだろう。そして本当の戦いが始まる。体力を回復するべく、ミケーレは布に包まった。


 クルキス・ヴァン・アルベルト。初代王を英知で支えた実弟の一族で、その直系。賢者は代々この一族から選ばれる。容姿端麗、頭脳明晰。賢者の一族は王位継承権こそ無いが、れっきとした王族である。ミケーレが正規軍の訓練学校に通い始めた頃、彼は既に神童と言われていて、簡単にその情報を得る事が出来た。当時の賢者サダルメリクはクルキスの大叔父にあたり、クルキスは従兄弟と二人、彼の愛弟子として教育を受けていた。
 境遇への苛立ちから力を求めて寄宿舎に入った孤児のミケーレとは、何もかもが違う。定期的に開かれる公式演習を見に来る王と賢者の存在感と偉大さを感じる度、彼らと同じ世界に住むミケーレを遠くに感じた。顔を合わせる事はあっても、話す事など無い。そもそも、ミケーレが自分を覚えているかも分からない。そう思う度に漠然と感じる怒りを抑え、再会を諦めていた。
 正規軍の訓練校は、年齢や種族に関係なく入学する事が出来るが、実力がなければ卒業する事は出来無い。九歳以下の子供は体力と敏捷性を中心に養われ、同時に薬草についての知識も少しずつ教えられる。本格的に剣の訓練を受けるのは十歳からだ。その節目を迎えた前日、教官に外出許可を貰ったミケーレは教会を訪れていた。
 決して信心深い訳ではない。父の死を嘆き悲しみ、神を非難する母の声が頭から離れなかった。そして家を飛び出した背中を追い掛けた母をやっと見つけた時、血塗れの彼女は神に祈っていた。どうか引き離さないで、と。それを最後に息絶えた。結局のところ神は、都合よく感情を吐き出す為に創られた偶像でしかないのだ。
 だが、神の名の下に慎ましく在ろうとする人々の祈りが捧げられる教会の、穏やかな雰囲気は気に入っている。それを知って尚自分を受け入れてくれる神父にも好感を持っていた。
 翌日から剣の修行が始まるミケーレの為に、神父が神像の前に立っていた。国内でも指折りの神父だと言われる彼の、何事かを厳かに唱える姿はとても神聖に見える。その後ろで肩膝をつくミケーレは、祈りの中身はそれ程気に止めていなかった。他種族の孤児でしかない自分の為にそうしてくれる気持ちを受け止め、それを終えて振り返った神父に黙って頭を下げる。
「有難う御座居ました。」
「いいえ、此方こそ。貴方の為に祈る私を受け入れてくれて、有難う御座居ました。」
 軽く頭を下げたまだ若い神父は、穏やかな笑みを浮かべた。
「この後も時間があるようでしたら、もう少し此処に居てくれませんか?」
「・・・・・・構いませんが?」
「これから貴方に芽生えるものに祝福を。」
 何故、と言う言外の言葉に気付いているだろうに、神父はミケーレに謎めいた言葉と笑みを返し、用事があるからと執務室に消えていった。この神父は時々不思議な言動をし、それが予言めいたものだったと後から思う事がある。今回もそうなのだろうかと、よく分からないまま、ミケーレは適当な位置に下がって椅子に座った。長い脚を組みながら寄り掛かり、前方の全体を視界に収める。つい最近まで王家のものだったというだけあって、他の小さな教会に比べれば華やかだ。
 ミケーレは目を閉じ、明日から始まる訓練の事を考えた。今までの体力作りも厳しかったが、真剣ではないとは言え、武器を手にするのだ。全てがこれまでの比ではないだろう。辞めていく者も少なくないと言うが、帰る家の無いミケーレは、それに耐えなければいけなかった。
 アウリーガェは父の命を奪い、間接的に母の命をも奪った。だが軍を志願したのは復讐の為ではない。父はともかく、自分を忘れて勝手に死んだ母の為に命を捨てる気は無かった。親戚をたらい回される居場所のなさと屈辱に耐えられず、そのやりきれなさを力に求めただけの事だ。
 遠目に見る事はあっても直接言葉を交わす事は無いだろうと、諦めるが故に気付かないふりをしているが、本当は心の何処かにクルキスがいた。賢者になると言ったクルキスが王の傍らで導く世界を、より傍で見てみたい。その為に上を目指したいと、漠然と思っていた。

 何時の間にか眠ってしまったミケーレの前髪に、白い指先が触れた。癖の無い金糸をさらりと横に流すのは、やや小柄な体に長いローブを纏う、明るい茶髪の青年だ。僅かに息を乱しながら、理知的な瞳を優しく細めて頬笑んでいる。
「ミケーレ・・・・・・。」
 柔らかな声に反応する様に、ミケーレは目を開けた。青の双眸が見慣れぬ容姿を捉え、無言で数秒見つめた後、驚きに身を起こす。
「お前っ・・・・・・クルキス?」
「そうだよ! 久し振り、ミケーレ。」
嬉しそうに笑い、クルキスはミケーレの隣に腰掛けた。
「・・・・・・何故俺の名前を?」
「サダルメリク様からいつも話を聞いてた。期待の新人がいるって。でもまさか、ミケーレが覚えてくれてくれてるとは思わなかったな。大きくなったね、ミケーレ。最初に会った時、もっと年下だと思ったくらいだったのに。」
 互いに、あの頃よりも体は大きくなった。声変わりはしていないが、舌っ足らずさは抜けている。そして何より、幼いながらも自分で選んだ道を生きている。
「俺も護身術程度には習ってるけど、もっとやらないとミケーレに釣り合わないかな。明日から剣の訓練が始まるんだろう? あれは厳しいらしいね。きっと生傷絶えなくなるよ。・・・・・・ミケーレ?」
「・・・・・・あっ、ああ。・・・・・・まさか、こんな所で会うとは思ってなかったから・・・・・・。」
「あー・・・・・・うん。この教会には、サダルメリク様と一緒にたまに来るんだよ。それで神父様が、僕がミケーレの事気にしてるの知って・・・・・・今此処にいるって教えてくれたんだ。だから・・・・・・。」
 会いに来た、と呟き、クルキスは喜びと緊張に一方的に喋っていた口を閉じた。俯いた髪から覗く耳が赤い。ミケーレも頬を染め、クルキスに腕を伸ばした。
「・・・・・・会いたかった。」
 抱き締めてそう言うのが精一杯だったが、華奢な腕が背中にまわされた事に安堵し、腕に力を込める。
「明日からの訓練、怪我には気を付けて。」
「ああ。」
「僕、薬草持って会いに行くから。たまにしか行けないと思うけど、絶対行くから・・・・・・。」
「待ってる。」
 学校には休日があるが、政に関わる賢者に休日は無い。その下で学ぶクルキスにも休日らしい休日は無く、ミケーレから会いに行く事は出来無かった。
 それでも二人は、学校と宿舎の厳しい規律と勉学の多忙さの合間を惜しまず与え合い、友情を深めていった。その想いが形を変えていると気付くのは、もっと後の事である。










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