帰る場所 1
3周年企画 九龍妖魔學園紀 皆主
「九龍、日本に戻ってカレー屋を始めることにした」
「ちょっ、どういうこと!? 聞いてないよ!」

 そう。その話は、突然だった。

 今まで一緒にいてそんな話一度もしなかった。
「そうか? 言わなかったか?」
「そんなの! 聞いてない!」
「悪い。話したと思ってた」
 そんな風に困ったように笑われたら、九龍は何も言えなくなる。
 確かに甲太郎はカレーマニアだ。
 出会ったころからカレーが好きで、妙な拘りがあったりマイカレー鍋を持っていた。
 いつものように授業をサボって屋上で将来の事を話した時『カレー屋』なんて話題も出たけれど、それを本気で目指しているなんて初耳だった。
 悲しくて悔しくて手を握り締めるしかなくて俯く。
 甲太郎はそんな九龍の頭を撫でた。
 子供みたいな扱いはやめてくれと言いたかった。けれど、そのぬくもりも手放したくなくて唇をかみ締める。

「悪いな。けど、俺は決めていたから。だから、お前のバディは今回で終わりだ」

 その手は優しいのに紡がれる言葉は残酷だ。
 九龍は甲太郎に見えないように一筋だけ涙を流した。












 天香學園を出る時、『俺はお前のバディでいいのか』と問われ『そうだ』と大きく頷いた。
 いつか共に遺跡に臨もう。そう約束して別れた。
 それは、九龍にとってかけがえのない夢となり、支えとなった。高校を卒業したらずっと一緒にいられると胸を躍らせた。
 けれど、甲太郎は高校を卒業後大学進学を選んだからそれから4年間我慢した。
 ようやく一緒に遺跡に潜れるようになって3年。
 そう。たった3年。まだそれしか経っていないのに、彼は九龍を置いて別の夢へと足を向けてしまった。
(分かってる。こーちゃんが叶えたい夢を応援しなきゃいけないって。でも……っ)
 気持ちが付いていかないのだ。
 もう10代の少年ではあるまいし、駄々を捏ねるのではなくその背を押してがんばれと言わなければならないのに。
「離れたくないよ……」
 小さく呟く。
 ならば、自分がトレジャーハンターを辞めて甲太郎について行こうか。そんな思いが胸をよぎる。
 胸が引き裂かれるように痛い。
(好きだから離れたくないなんて、どれだけ子供なんだろう)
 九龍は7年前から進歩のない自分に嫌気がさす。

 九龍が甲太郎を好きになったのは、ほんの些細な出来事だった。
 ただ、甲太郎が笑ったから。それだけ。
 その笑顔がとても優しくて穏やかで、何度となく見たニヒルな笑みとは違う微笑みを見た瞬間心を奪われた。
 トレジャーハンターが奪うのではなく奪われたのか、とその時はかえって面白いと思ったけれど、本来それは同性の友人に対して抱いていい感情ではない。
 気持ちを告げない代わりにせめて傍にいたくて、何度もバディにならないかと誘いをかけた。答えはいつも曖昧に濁されていたから、すべてが終わり天香學園を出る時に交わした約束が嬉しかった。
 4年後、願いが叶って毎日が楽しくてしょうがなかった。
 浮ついた気持ちで遺跡に潜って甲太郎に甘えて頼って。これでは愛想を付かされるのも当たり前だ。
(オレ、こーちゃんに依存いていたのかもしれない)
 生涯とレジャーハンターとして生き続けると誓ったのに、甲太郎がバディでないのならトレジャーハンターを辞めてもいいという思考に陥りかけた自分の弱い心が心底怖かった。







 翌日、二人は始終無言のまま遺跡の探索をしていた。
 蔓延る化人たちをハンドガンで撃ち倒し、石版の暗号を解読し奥へと進んでゆく。
 甲太郎はそんな九龍のサポートをしながら彼が必要とするアイテムを言わなくても差し出しては後方の注意を怠らず警戒していた。
 仲違いではないけれど、現在気まずい状況にいるにもかかわらずこれほどに息の合ったコンビネーションを発揮できる相手。
 こんな相手、そうはいない。
 プライベートだって何も言わなくても九龍の欲しいものを与えてくれた。わがままを言っても、怒りながら叶えてくれた。今回もわがままを言ったら叶えてくれるのだろうか。
(でも、それはー……)
 やってはいけないことだと分かっている。けれど、どこかでやってしまえと囁き声か聞こえて九龍の心は揺らいだ。
「おい、九龍!」
 鋭い甲太郎の声にはっと我に返った時には目前に化人の歪な腕が伸びていた。銃を構えようにも近すぎて間に合わない。やられると思った瞬間引き寄せられる体、バランスを崩すと同時に見えた広い背中。
「ぎゃああああぁぁっ!!!!」
 化人の悲鳴。
 そうして、訪れた静寂。
 けれど九龍は自分を護った男の背中から視線を離せなかった。
(ああ。やっぱり)
 胸が締め付けられる。

「お前は死ぬつもりか!」

 怒気を含んだ顔。
 九龍を心配して本気で怒ってくれる人。
(好きだ。)
 抑えてきた感情が堰を切って流れる。
 涙が溢れて止まらなくなった。






 *****




 こちらを見上げたまま無言で涙を流す九龍を前に皆守はどうしたら良いのか分からなくなった。
 化人が迫ってきているのに何の反応もしない九龍に怒鳴ったのは当たり前だったと思う。まさかこんな風に泣くなんて思っても見なかった。
(なぜそんな風に泣くんだ)
 嗚咽すら漏らさずただひたすらに頬に流れている涙。
 地面に転がされて、土まみれになっている服。顔も土と涙のせいでどろどろになっている。それでもぬぐうこともせずに甲太郎を見つめて泣く姿に胸が痛んだ。
「九龍」
 怒る気も失せて、彼の傍に方膝を付いて座る。
「なんで泣いてるんだよ」
 そこでようやく瞬きをして、九龍は慌てて涙を拭いた。
「あ…ははははっ! ごめん! なんか…なんでかな? 怖かったのかも」
 誤魔化していると分かる作り笑いに眉を寄せる。
 鋼の神経をしている九龍が化人を怖がるなどそうはない。九龍が怖がるとしたらそれは…。
(もしかして昨日の事が関係しているのか?)
 ボーっとしているのも、急に泣き出したのも。
「助けてくれてありがとう。こーちゃん」
 立ち上がり、土を払う。その動作はひどく緩慢だった。
「ごめん。今日はこれまでにしよう」
「…ああ」
 明らかに様子がおかしいのに、その理由を告げない九龍。いつもの底抜けの明るさがなくて甲太郎は胸が騒いだ。
 装備品を確認する九龍に声をかけようとするが、「じゃ、行こう」と促されてタイミングを失った言葉は外に出ることは無かった。




「お店、どこに出す予定なの?」
 いつもよりも早い時間。仮宿までの道をいつもよりもゆっくりとした足取りで歩く。
 遺跡からここまでなぜか話しづらくて互いに無言だったのだが、九龍が静かに問いかけてきた。
「一応、新宿。外れの方かな」
「もう決めた?」
「いや。これからだな」
「そうなんだ」
「ああ」
 また少しの沈黙。
「…いつから…お店やろうって思っていたの?」
「高校の時、お前と話したろ? お前がカレー屋でもやるかって」
「オレが? こーちゃんからじゃなくて? そんな事言ったかなぁ」
「まじめに話していた訳じゃないしな。覚えていなくてもしょうがないだろ」
「…うん。ごめん」
「謝るなよ。ま、その時は俺に未来があるとは思っていなかったから、それも面白いな。って夢物語の気分だったんだが、お前に助けられてから少しずつそんな未来も良いかもしれないって思えてきたんだ。バディの話は本気だった。けど、カレー屋も捨てきれなくてな……」
「そうなんだ……」
 ずっと迷っていた。
 九龍と共にいながら、それでもかつて語った夢物語が現実にできるかもしれないと思うと捨てられずずっと胸の中にあった。
 この夢は九龍が与えてくれたものだ。
 未来などないと思っていた甲太郎の目を覚まさせてくれた。
「俺にはお前ほど遺跡への情熱はない。けど、お前と一緒なら楽しいだろうと、お前の助けになりたくてバディという道もいいと思っていた」
「…………………」
「それは今も変わらない。お前といるのは面白いしな」
 それだけは偽りのない真実だ。
 出会ってから偽りだらけだった甲太郎のたった一つの真実。
(そうだ。お前といるのは楽しかった。俺が俺でいられる場所だった。絶望の中にあった俺に希望を教えてくれた)
 だから、九龍のために何かをしたかった。
「ありがとう、こーちゃん。オレもこーちゃんといると楽しかった」
 ふいに、九龍が振り返る。
 闇の中に解けてしまいそうな黒の装束をまとった中で、日焼けをしていない顔が白く浮いている。
 その表情はどこか寂しげだったが、昨日と比べれば穏やかでなぜだか妙な胸騒ぎがした。それは、遺跡でも感じだ胸騒ぎと同じだった。
 儚い笑みがそれを増長させる。
 そうして次に紡がれた言葉に、呼吸が止まった。

「お店、頑張ってね。食べに行くからさ」

 その言葉は、紛れも無いバディ解消承諾の言葉だった。
 なぜこんなにも衝撃を受けるのかも分からぬまま甲太郎は頷いた。
「ああ。ありがとな」
「うん」
 再び、二人の間に沈黙が下りる。
 けれど、それを気にするだけの余裕が甲太郎にはなかった。





 *****





 離れたくなかった。
 ずっと傍にいたかった。
 でも、それはもう願っていけないのだ。

 甲太郎の事は好きだ。けれど、甲太郎がそうだったように九龍自身も捨てられない夢がある。

 それはトレジャーハンターである事。

 甲太郎に傾倒するあまり見失いかけていた。
(いつの間にそんな風に依存するようになっていたのだろう)
 甲太郎がいなければ立っていられなくなりそうな自分が怖かった。
 そんな自分が許せなかった。
 甲太郎の新しい道を祝福できない自分が嫌いだった。

(このままじゃダメだ)

 このままでは甲太郎も巻き込んで自滅してしまう。
 そんなのは嫌だった。
 それに気が付いた今、身を切るような痛みを感じていたとしても彼と離れた方がいい。痛いのはきっと一時。そのうちきっと忘れるかなれるかしてしまうだろう。甲太郎への気持ちが薄れることは無くても、離れる決断をした痛みは思い出になる。
(きっと、大丈夫だ)
 九龍は甲太郎に笑顔を向ける。
 甲太郎の方が変な顔をしているのがおかしかった。

「会いに行くから」
 口にしたとたん、目頭が熱くなった。
 泣いてはダメだと腹に力を入れる。
 甲太郎が笑顔で旅立てるように自分に出来る事をしよう。そう決めた。そう、決めたのだ。









 *****










 空港には数多の人間がいた。









「会いに行くから」
 そっと身を寄せられて、甲太郎の肩に九龍が額を押し付ける。
 それが別れの挨拶なのだろうと察し、甲太郎は伏せたままの九龍の頭を撫でた。
「待ってる」
 そう言えば、顔を上げた九龍が半泣きのまま笑みを浮かべて頷く。
 やはり心がざわついたけれど、別れの寂しさのせいだろうと苦笑をこぼした。




 それが、二人の別れ。
 『会いに行くから』と言った男は、それから3年間甲太郎の元に現れることはなかった。










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