帰る場所 2
3周年企画 九龍妖魔學園紀 皆主
「やっほー、皆守クン」
 カラランと、ドアにつけたベルが鳴る。
 煩い奴が来たと甲太郎は鍋の火を弱火にすると厨房から顔を出した。
「やっぱり八千穂か」
「なによー。その残念そうな顔は!」
 20も半ばを過ぎ、どちらかといえば三十路が近いというのに高校の頃から変わらぬ八千穂明日香が店の入り口に立っていた。
 さすがに顔には化粧を施し服装も大人っぽくはなっているのだが 。
「まだ開店前だぞ」
「開店前だから来たんじゃない」
「こっちは準備で忙しいんだよ」
「うん。いい匂いがするもんねー」
 早く出て行けと暗に言っているのだが、八千穂は気にした様子もなくニコニコと笑いながらカウンター席へと座った。
(聞いちゃいねーな)
 諦めのため息をついて、一度厨房に向かった甲太郎はお冷とお手拭を持って店内へと戻る。
「ほら」
「ありがとう。やっぱり優しいね!」
 そんな彼女に首をすくめて返事をした。




「あーっ、美味しかった!」
 ご馳走様!と満足そうに笑う八千穂にこちらも思わず笑みが零れる。やはり作った物を美味いと言われればこちらとしても悪い気がしない。
「皆守クンのカレー、やっぱり美味しいよね」
「そりゃどうも」
 八千穂が座るカウンターではなくテーブル席の椅子に腰を下ろした。
「で? ただ食べに来たんじゃないだろう? 何かあったのか?」
「別に、用はないんだけどね。ただ、皆守クンのカレーが食べたくなっただけで」
 本当だろうか。とつい疑ってしまう。
 旧友が訪ねてきくる事自体、普通ならなんら疑う必要はないのだが、八千穂他数名だけは事情が違った。
 九龍のバディとして世界を飛び回っている時はほとんど連絡もしなかったというのに、日本に戻ったと同時に数名から連絡が入りその時以来たびたび様子を見に来るようになったのだ。
 これはきっと九龍の差し金に違いないと思ったのだが、皆揃って「違う」と首を振る。
 九龍しかありえないというのに。
「……そうか」
 甲太郎は疑ってはいてもそれ以上突き詰めず目を伏せる。いや、突き詰められないといった方が正しいだろう。
(なにを怖がっているんだ)
 九龍の差し金だと、言われるのが怖いのは何故なのか。
 離れてから一度も連絡すら寄こさない薄情者が脳裏に思い浮かぶ。
 最初のうちは甲太郎から連絡していた。元気なのか。怪我はしていないのか。住まいが決まった事。店を出す場所が決まった事。
 けれど、九龍からは一度として連絡はない。忙しいのかもしれない。連絡が取りづらい場所にいるのかも知れない。分かっているけれど、次第に連絡しづらくなって3年経った今ではぱったりと途絶えてしまった。
「あいつは…元気にやっているのか?」
 ふいに口を付いて出る。
 八千穂が困ったように眉を寄せて、口を開いたがそこから言葉が出てくることはなかった。
「悪い。独り言だ。…気にしないでくれ」
「……うん」
 八千穂が頷く。
 そのまま沈黙が支配した店内に小さく「ごめんね」と呟く声が聞こえた気がした。










 *****









「ねぇ、夕薙クン。あたし、皆守クンを見ていられないよッ!」
『そうは言ってもな……』
 店を出てすぐに明日香は携帯電話を取り出し、年上の同級生だった夕薙に電話をかけた。
 突然の電話にも快く対応してくれた彼だったが、甲太郎の事を口にすると困ったとばかりに言葉を濁す大和に明日香は焦れる。
 久しぶりに見た甲太郎は、元気そうではあったもののやはりどこか寂しそうだった。その原因が何であるかなんて、あの時を同じ學園で過ごした仲間なら分かるはずなのに誰もが彼を助けようとしない。
 否。助けられないでいた。
『俺たちにはどうする事も出来ないだろ』
「そんなっ!」
『これはあいつらの問題だ』
「それでも、何かしてあげたいよ…」
 なぜ、大和はそんな風にいられるのか明日香には分からなかった。
(仲間が苦しんでいるのに!)
 焦れているのは何も出来ない自分に対してもだった。
 彼らの一番近くにいたのは明日香だったのに、二人の間に何があり今こんな風にすれ違っているのか分からなかった。






『やっちー。こーちゃん日本に帰るから、よろしくね。オレがいなくても不精しないようにたまにでいいから見ていてね』





 3年前、ある日かかってきた電話。無理に作ったとわかる明るい声。
 ずっと二人で頑張ってきたのだから離れ離れになって寂しいのは当然だ。だから「まかせてッ!」と了承した。
 きっとすぐに甲太郎に事が心配になって帰ってくるだろうと思っていた彼は、それ以来一度も日本に戻ってくることはなかった。
 それどころか、自分が甲太郎の事を頼んだことや電話で甲太郎の様子を聞いている事を本人には黙っていてくれと頼まれて明日香は首をかしげたものだった。
 なぜ内緒にする必要があるのか。
 尋ねても甲太郎が怒るからだと笑って誤魔化されてばかり。甲太郎自身も頻繁に彼の元に訪ねるのは九龍に頼まれているからだと分かっているくせに何も言わない。
 何かを言いたげにこちらを見るくせに、結局は何も口にしない。
 そんな様子を見れば二人の間に何かがあった事はすぐに分かるものだ。
 だが、九龍は何もないと言う。甲太郎も確かに様子はおかしいが仲違いをしているという感じではなく、ただ、本当に寂しそうにしている。友人が訪ねてきているというのに遠い目をして空を見上げていることが多いのだ。
 今日だって遠い目をしていた。九龍の様子を聞きたがっていた。
(なんで、こんな事になっているの?)
 二人はずっと一緒にいると思っていたのに。
「なんとか、ならないのかなぁ…」
『あんまり深入りしない方がいいぞ』
「夕薙クン、ちょっと冷たくない?」
『そんな事ないだろ。ほら、よく言うじゃないか』
「なに?」
『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて何とやらってな』
「…………は!?」
 一瞬、聞き間違いかと目を瞬く。
『だから、人の……』
「え!」
 やっぱり聞き間違いではないのかと思った瞬間頭が真っ白になる。
『なんだ、気が付いていなかったのか』
「えええッ! うそッ! え!? 本当なの!?」
 あの二人が恋がどうのという関係であった事に驚く。
『まぁ、甲太郎の方は無自覚のような気がするがな。九龍の方は昔からそうだったじゃないか』
「そ、そうだったかなぁ?」
 動揺が抜けきらず、言葉がうまく紡げない。
 確かに高校生の時からあの二人は仲が良くて特に九龍は甲太郎に懐いていたけれど、そういう感情が隠されているなんて気が付かなかった。
『ま。そんな訳だから、放っておいた方がいいだろ。そのうちなる様になるさ』
「ちょ、ちょっと待って! それならなおさら放っておけないよ!」
 電話を切る雰囲気を出した大和を慌てて引き止める。
『八千穂……』
 呆れた声でため息も疲れたけれど、こればっかりは引くことが出来ない明日香だった。










 *****










「今度はお前か」
 数日後、一週間に一度の店休日の日の早朝。甲太郎は店の2階にある自宅に現れた大柄の男の登場に大きくため息を付いた。
「休みの日くらいゆっくり寝かせろ」
 寝癖なのかそうでないのか分からないくらい癖の付いた頭をがりがりとかく。
「なんだ。久しぶりの再会だって言うのにその言い草はないだろう」
「お前に会っても嬉しくもなんともねえよ」
「じゃあ、誰なら嬉しいんだ」
 意味ありげな視線で問われて甲太郎は大和を睨み付けた。だが、それも一瞬で、すぐに視線をそらす。
「ここじゃなんだな。とにかく上がってくれ」
 今まであえて触れてこなかったくせに、今日に限って匂わせてくるには何かあるのかと甲太郎は大和を部屋に上げることにした。
 さして物のない、こざっぱりとした部屋。眠りに帰るくらいしか使っていないのだからしょうがないだろう。だが、そう思っているのは甲太郎だけだったようだ。
「お前…もう少しまともな生活をしろよ」
 呆れた声音に「ほっとけ」と返して簡単にお茶を出す。
「暮らすには不便はしていない」
「そうだとしても、どうかと思うがな」
 出されたお茶をすする。
「で? 何しに来たんだ?」
 このままだらだらと意味のない会話をしてもしようがないとこちらから切り出した。大和は湯飲みから顔を上げてまっすぐに甲太郎を見た。
「甲太郎。お前、このままでいいのか?」
 もう少しオブラートに包んでくるかと思っていたのだが、意外と直球でやってきて僅かに笑う。
「このままでって?」
「誤魔化すな。分かっているんだろう?」
「今まで誤魔化してきたのはどっちなんだ」
 こっちが聞こうとしても、何かにすり替えて無かった事にして。
「こっちにも事情があったんだよ」
「それなら、どうして今になって話す気なった」
 自然と口調がきつくなる。
「頼まれたからだ」
「頼まれた?」
「八千穂だよ。電話で泣きつかれた」
「……あいつ」
 数日前にやってきた八千穂を思い出す。別れ際、もの言いたげに甲太郎を見ていた。
「八千穂もだが、なんで俺たちが揃って口を閉ざしているのは分かっているんだろ?」
「九龍か……」
 心の中では何度となく呟いてはいたが、久しぶりに声に出した名前。大和は静かに頷く。
「お前を心配していることを、お前に知られたくないから内緒にしていてくれと言われたんだ」
 九龍らしいというのか。
 皆守はあの別れから感じてきた胸の疼きが強くなってきたのを感じた。
「甲太郎、何でお前は葉佩に連絡しない?」
 答えづらい事聞かれて口を閉ざす。なぜ連絡しないのか、そんな事は自分が一番知りたいことだった。結局何も答えることが出来ず、出てきたのは別の言葉だった。
「…………あいつは、元気にしているのか?」
 大和は問いかけの答えを言わない甲太郎を責めるでもなく頷く。
「とりあえずはな」
「とりあえずってなんだ」
「お前と同じだよ」
「は?」
「葉佩も、お前と同じ状態だって事だ」
「同じ状態って………」
「お前が一番良く分かっているんだろ?」
 大和の言いたいことが分からなくて甲太郎は首をかしげる。その様子に大和は大げさなぐらいため息をついた。
「ったく。そんなだから葉佩は帰って来れないんだろうが」
「どういう意味だ」
 自然と声が鋭くなる。
「自分で考えるんだな」
 大和もまた声を鋭くするとお茶を飲み干して立ち上がった。
「葉佩の連絡先は知っているんだろ? いつまでも臆病風吹かせていないでいい加減覚悟を決めろ。葉佩を取り戻したいならお前が動くんだな」
「言っている意味が分からない」
「いつまでも目をつぶっているなと言っているんだ。そうでないと、本当に後悔するぞ。ったく、なんで喧嘩腰なんだか」
 首をすくめ、一時の張り詰めた緊張を解いた大和は甲太郎を振り返る。
「甲太郎。この家、なんでこんなに広いんだ? 店だってもっと大通り寄りに出せばいいものを人気の少ない場所を選んだのはなぜだ?」
「それは………」
「……俺たちは、またお前らが一緒に大口開けて笑っていられる時を待っているぞ」
 肩を強く叩かれて眉を寄せた。
 軽くにらみ付ければ、大和は豪快に笑って甲太郎の家を出て行く。










 一人で住むには広すぎる家に残されたのは、甲太郎ただ一人。
 手元にある携帯電話を見つめる。
(……まったく、アロマが恋しいぜ)
 久しぶりに縋る思いでアロマパイプが仕舞われた棚に視線を向けた。










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