帰る場所 3
3周年企画 九龍妖魔學園紀 皆主
 夜も更けた、いや、どちらかというと明け方に近い頃、九龍は現在拠点とする家のドアを開けた。
「今日も探索オツカレサマーっ!」
 どさりとアサルトベストを床に落とし、勢いよくベッドへと身を投げる。疲労感に包まれた身体に柔らかなベッドが心地いい。九龍は汚れた身体も気にせずに大きく息をついて目を閉じた。
(今日の探索は上々だったなぁ。いくつか貴重品を発見したし秘蹟の謎も順調に解くことができた。その上依頼も順調にこなせて依頼人へと送ったし)
 成果を一つ一つ思い浮かべてはその都度九龍は笑みを浮かべる。
 やり遂げたという達成感がひどく心地良かった。
(やっぱ遺跡はいいよなぁ。そりゃなんの成果も得られない時もあるけれど、きっとこの先には誰も知らない謎があるんだって信じて進んで、そうして苦しさの果てに宝物を見つけた時のあの気持ち。何事にも変えられないよなぁ)
 一時はそれらの感情を忘れ、トレジャーハンターを辞めようと思った時もあったけれど、思いとどまって良かったのだと思える。あの時、感情のままに動いていたらきっと後悔していた。
 九龍は閉じていた瞼を上げた。そこに見えたのは白い天井だったけれど、脳裏に浮かんだはかつてのバディの姿だった。
 今でも、九龍の心に根付いて離れることがない想い。あの当時の事を思い出せばやはり胸が苦しくて堪らなくなる。
「こーちゃん、元気かなぁ」
 離れ離れになって一度も会っていない。声は数回電話で聞いたが、直接顔を見てはいなかった。それでも、記憶にある彼の顔は色あせることなく焼きついていて、こうして一人になるとひどく切なくなった。
(離れると決めたのはオレだ。依存しないと決めたんだ)
 正直な所、現在ちゃんと一人で立っていられているのか疑問だ。もしかしたら、少しでも顔を見てまた一緒にいられるようになったとたん崩れてしまうかもしれない。
 そう思うと、こちらから電話をする事も直接会いに行くことも怖くて出来なかった。
(だからって友達を利用するとか本当に情けないけど)
 ため息をついて、心の中で協力してくれる仲間たちに「ごめん」「ありがとう」と呟いた。
「さって、シャワーでも浴びるかなぁ」
 このまま寝てもまったく構わなかったのだが、甲太郎の事を思い出したら突然頭が冴えてしまって眠気がどこかに行ってしまった。

『おい。ちゃんとシャワー浴びてから寝ろよ。じゃないとベッドが埃まみれになる』
 むっすりと、けれど九龍が気持ちよく寝られるようにと気を配っての言葉を言ってくれた。
『軽めに何か作るから、シャワーの後食べるんだぞ。空腹も満たされれば身体は勝手に寝るからな』
 彼自身だって疲れていない訳がないのに、いつだって九龍を優先してくれていた。

「こーちゃん………」
 言葉に出来ない想いがある。
 何度とだって言いたかった。でも、言えない言葉が。

 九龍は頭を振って気持ちを入れ替えるとベッドから勢いよく立ち上がる。とにかく今はさっぱりして来ようとバスルームに向かったのだった。










 ベッドヘッドに置いたままの携帯が鳴る。
 主のいない部屋に鳴り響くそれは、やがて静かになりそれ以後なる事はなかった。









 *****










 携帯電話の通話ボタンを切る。
 やはり出なかったと、甲太郎はテーブルに置いたままのタバコを口に銜えた。かつては精神安定の為にアロマを吸っていたが、現在その役割を担っているのはアロマよりも身体に悪いタバコだった。
 味覚がおかしくなるからとたまにしか吸っていなかったのだが、ここの所本数が増えている事は見てみぬ振りをしていた。
 火をつけ大きく吸い込んで煙を吐き出す。
 何度となく番号を呼び出しては閉じた携帯電話。
 3年の間、いくら待ち続けてもその人からかかってくる事はなかった。
(…俺が何かしたのか?)
 確かに勝手にバディ解消を持ちかけ日本に帰ってカレー屋を始めた事は不義理な事だったかもしれない。
 けれど、九龍なら分かってくれると思っていたのだ。
(これは俺の甘えだが)
 ずっと共にいたからこそ今ここで別れの道を選んでもその先にあるのは同じ道である事を。甲太郎と九龍の間にはそれだけの絆があると信じていた。いや、今も信じている。
 何が原因で九龍が甲太郎を避けるのか、本当の理由は本人にしか分からない。

『甲太郎。お前、このままでいいのか?』

 大和の声が蘇る。
(いいはずがないだろうが)
 好き好んでこのような状況になったのではない。甲太郎がこの道を望んだのはこんな未来ではなかった。この先も共にある事を願って、別離の道を選んだのに。
(お前はなぜ、俺を避けるんだ)
 イライラする。
 気持ちをぶつけたい人とは連絡が取れず、行き場のない怒りが胸中を渦巻いていた。
(こっちがそれだけ勇気を出して電話したと思っているんだ。なぜ出ない!?)
 遺跡に潜っているなら当然電波だって届かないし、何らかの理由で電源を切っているのかもしれない。携帯電話を近くに置いていなくて気が付いていないのかもしれない。
 分かっているのに理不尽な怒りを彼にぶつけてしまう。
「ったく!」
 まだそれほど吸っていないタバコを灰皿に押し付けて火を消した。
(それもこれも大和のせいだ。意味不明なことを言うから……)
 そもそも九龍が日本に戻ってこない理由が甲太郎にあるという根拠は何なのだ。
(目をつぶっているなって何なんだ)
 ガシガシと頭をかく。いくら考えたって答えは出なかった。だが、確かな事が一つだけあった。甲太郎はもう一度携帯電話を手に取る。
 その、確かなことを伝えるために甲太郎は今一度押しなれた携帯番号を押した。










 *****










「あれ、着信がある」
 珍しいこともあるものだと九龍は着信を知らせるライトの点滅を見つめる。ガシガシと濡れたタオルで髪を拭きながら、それを手に取った。
「あ、やっちーだ」
 どうしたのだろうかと時計を見て、日本との時差を数える。
「うーん。お昼ぐらいかな?」
 電話がかかってきたのは30分程前だったようなので今かけても大丈夫だろうかと思いながら番号を呼び出し通話ボタンを押す。
『もしもし?』
「あ、やっちー? オレ、葉佩だけど」
『九龍クン! ごめんねー急に』
「大丈夫。今帰って来てシャワー浴びてたんだ。電話出れなくてごめん」
『ううん。あたしも時間とか見ないで電話しちゃったし』
「それで、どうしたの?」
 相変わらず元気な声音の八千穂にほっとしつつ、彼女が電話してきた理由を考える。
 恐らく以前頼んだ事だろうと分かってはいたのだが、聞きづらくてそんな風に誤魔化してしまう。
『うん。皆守クンに会ってきたよ』
「そう、なんだ。・・・元気にしてた?」
 声が掠れそうになって慌てて腹に力を入れた。
 たった一言、名前を聞くだけでこうも心臓が騒ぎ始める。この症状は何年経っても同じだった。
『元気は元気だったけど、…寂しそうだったよ』
 ちらりと、脳裏に高校生だった頃の甲太郎が思い浮かぶ。
 いつも憂鬱そうでつまらなそうで破棄のない顔をしていた甲太郎。そこに居るようで、瞳だけはいつもどこか遠くを見ていて寂しそうだった。
(もしかして、そんな顔をしているのかな……)
 自分に会えなくて、なんて都合の良い事は考えていないけれど。
『……ねぇ、九龍クンはいつ日本に帰ってこれるの?』
「え?」
『会いたいと思わない? 皆守クンに』
「それは……」
 会いたくない訳がない。むしろずっと会いたいと願っていた。けれど、彼に依存してしまう己が許せないのだ。しっかりと自分の足で立てるようになってから会うと決めた。まだその時が訪れたとは、思えなかった。甲太郎の名前を聞いただけでこんなにも動揺してしまうのに。
 その時、苛立った声を上げた八千穂に九龍は思わず背筋を伸ばした。
『もーっ! 会いたいんでしょ? 素直になるっ!』
「は、はい!」
『よし!』
 満足そうに頷く八千穂の姿を思い出す。彼女も変わっていない。いや、変わっているんだろうけれど、良い所はそのまま残っていて安心する。
『何があったのかは分からないけど、もう、素直になってもいいと思うよ。だって3年じゃない。3年は長いよ』
「でも……」
 ぐらぐらと決意が揺らぐ。とても魅力的な誘惑だった。
『皆守クン、待ってるよ。ずっと。……九龍クンの事、会いに行くといつも聞くの。『元気にしているのか』って。誰がって言わないけど、九龍クンの事だって分かる』
「…………………」
『どうして、会いに行かないの?』
「…………一人じゃ、立てなく…なるんだ」
 優しい声に思わず想いが零れた。
 こんな事、彼女に言っても困らせてしまうだけだと分かっているのに、言葉が止まらなかった。
「こーちゃんに依存する自分がイヤだ。こーちゃんが居ないと立てなくなるなんてイヤだ。重荷になんてなりたくない。オレは、ただ一緒にいたいだけなんだ」
『うん』
「だから、依存しなくなるまでこーちゃんに会わない」
『そっかぁ…。ねぇそれ、皆守クン知ってるの?』
「知らないよ。話してないし、話せないよこんな事」
 話したらどんな目で九龍を見るかと考えてら恐ろしくて出来ない。
『そもそも依存しなくなったってどこで分かるの?』
「え?」
 予想外の言葉に九龍は目を瞬いた。確かに、感情の線引きは難しい。どこからが依存していて、どこからが依存しなくなったのかなんて曖昧すぎる境界線だ。
『九龍クン、今までの3年間に皆守クンに連絡取らないで居られたじゃない。一人でも遺跡潜ってトレジャーハンターで居たんでしょ? それじゃダメなの?』
「で、でも……」
『それに、依存したくないとか重荷になりたくないとか、ちゃんと自分で分かっているならいいじゃない」
「やっちー……」
『分からないまま自滅していく人たちだっている訳だし、その点九龍クンはちゃんと自分で気づけたし。これからだって大丈夫じゃないかな。ああ、やばいなーって思ったら、皆守クン置いてひょいって遺跡に行っちゃえばいいし』
「ひょいって…」
 あまりにも簡単に言うので、九龍は逆に笑ってしまった。
「……そっか。けっこう簡単なことだったのかもしれないね」
『そーだよー。九龍クンが深刻になりすぎていただけ! 何か悩み事があったらあたし達に話して。ね?』
 そのために友達っているんだからね!
 八千穂の元気な声に心が軽くなる。本当に今までなぜこんなにも沈んでいたのだろうかと九龍は声に出して笑った。
「ありがとう、やっちー」
『どういたしましてッ! 九龍クンが元気になったのなら良かった』
「うん。おかげで元気になったよ」
 満足そうに笑う声が聞こえて、九龍も嬉しくなる。
『あーそうそう。たぶん、今のままだと皆守クンから連絡って難しいと思うから、できたら九龍クンから連絡した方がいいかも』
「あー……」
 そうさせたのが他ならぬ九龍なので気まずい。
『大丈夫! 会いたいって言えば皆守クン喜ぶから』
「う、うん……」
『それから、次にあったら素直に気持ちを伝えてね』
「………え?」
 一瞬何を指しているのか分からなくて返事に困る。
『最初から九龍クンが思っていることを皆守クンに言えば、こんなに拗れなかったんだからねッ! 約束!』
「う……」
 それを言われると言葉に詰まる。
『返事はー?』
「は、はい………」
 有無を言わせぬ物言いに、九龍はただ諾としか答えることが出来なかった。
 そうして、『じゃあね!』と変わらぬ元気な声を最後に通話を切ると、九龍は大きく息をついた。
「ああー。気分はすっきりしたけど、今更電話なんて緊張する」
 腰掛けていたベッドにそのまま倒れこむ。
 話している間にほとんど乾き始めた髪が頬にかかった。中途半端にしていたから髪の毛がぐしゃぐしゃのままだな、と関係のないことを考えてから、携帯電話を持った左手を上げた。
 二つ折りのそれを開いて、何度も呼び出していた番号を呼び出そうとしてそこで気が付く。
「留守番、電話…?」
 メッセージが入っている事に気が付き慌てて呼び出す。
 八千穂と電話をしている間にかかって来ていたのだろう。九龍は相手を確認せずに急いで耳に携帯電話を押し付けた。

 そうして、流れてきたずっと聞きたかった人の声。
 目頭が熱くなる。
 鼻がツンとして痛かった。
 けれどそんなものが気にならないほど胸に込み上げて来た想い。






 九龍は、残されたメッセージに堪えきれずに涙を流した。










 *****










 九龍は久しぶりに吸う日本の空気に目を細める。

 周囲を見回し、ロビーの片隅でたたずむ癖毛の男を見つけたとたん九龍は笑みを浮かべた。
 重い荷物など気にもせず一目散に彼の元へと走る。

「こーちゃん!」

 呼べば、甲太郎もまた少し恥ずかしそうに笑って手を振ってくれた。
 それが嬉しくて甲太郎に飛びつくように抱きつく。
「うおっ!」
 九龍の身体を受け止めてよろけた所を不意打ちで唇を奪う。
「!!」
「ただいま!」
 一瞬で離れたとはいえ、甲太郎が驚きに動きを止めて口元を覆った。だが、九龍の台詞に再び目じりを下げて笑う。
「……おかえり」
 もともとタレ目なのにさらにタレた目が優しい色を帯びていて九龍は嬉しさで心が満たされたのを感じた。










 *****









『……あー…もしもし? 俺だ。元気にしているのか? 俺は相変わらずカレーを作ってる………じゃなくてだな。
 ……………。
 ………その、九龍。……俺はもう、お前のバディにはなれないのかもしれない。でも、これだけは確かなんだ。
 俺は、お前の帰る場所になりたかった。お前がいつどこに行っても必ず帰ってこれる場所。お前が…安心して休める場所に、俺はそれになりたかった。
 ……だから、九龍。帰って来い。いつでも……いつまでも待っているから。
 ……………。
 今まで、ちゃんと言えなくて悪かった。
 それだけだ。……じゃあ、な』










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