帰る場所 4
3周年企画 九龍妖魔學園紀 皆主
 ただいま。と、聞きたかった言葉と共に触れた唇。
 一瞬で離れたそれは甲太郎に驚きと困惑を与えたが、それ以上に再び会えた喜びの感情に押し流されてその時は忘れてしまった。
 だが、自宅に戻って、気合を入れて作ったカレーを食べさせて九龍の部屋を案内してから思い出した。
(なぜ、キスをした?)
 明日の仕込みをするべく店の厨房に立った皆守の頭の中はその疑問でいっぱいになる。
(あいつも場合、もともとがスキンシップ過多だったんだ。……キスぐらい挨拶の一つ…だろうが、なぜ唇なんだ?)
 皆守とて共に海外で生活したのだ。それこそ現地の人や協会の関係者に挨拶で頬にキスをされることなど日常茶飯事だった。問題は頬ではなく唇だったこと。
(いくらなんでも挨拶で唇にキスは…ないだろう)
 ざわざわと胸が騒ぐ。眉根に皺が寄った。
(あいつの考えていることは、やっぱり分からん)
 大きくため息をついて、とにかく作業をこなす事に集中する。バディを辞めた皆守にとっての収入源はこれしかない。
 夢を叶えたのなら、これを維持していかねばならない。何も店舗を増やそうなんて考えていないのだ。ただ、変わらずずっと九龍の居場所でいられればそれでいいのだから。





「こーちゃん、お帰り! 仕込みお疲れ様」
 雑念と戦いながら仕込みをしたせいでいつもよりも遅い時間に2階の自宅に戻ると、九龍が能天気にスプーンを銜えて甲太郎を出迎えた。
「なに食ってるんだ?」
「アイス」
「そんなのあったか?」
「こーちゃんが仕込みしている間に買ってきたんだよ。こーちゃんも食べる?」
「いや…」
 言いながら居間のソファに座る。九龍はテーブルの傍の床にそのまま座った。
「クッションいるか?」
「ううん。大丈夫」
 そしてそのままもくもくとアイスを食べる事に集中し始める。それをぼんやりと皆守は眺めた。
(……こいつ…本当に帰ってきたんだな)
 3年間待ち続けて、ようやく果たされた再会。
 九龍一人いるだけで、何もない温度すら感じられない部屋がなぜが暖かい空間に思えて不思議に思う。殺風景なのは変わらないのに、いる人間が変わればずいぶんと印象が変わるものだ。
「ねぇ、こーちゃん」
「ん?」
「この家さ、何もないよね」
「……そうだな」
「もっとカーテンとか明るい色にしたり、クッションもソファと同色じゃなくて違う色にしてみたら?」
「面倒くさい」
 言い切れば九龍が呆れたように眉を寄せたが、すぐに苦笑を浮かべた。その表情から「しょうがないなぁ」と読み取れて甲太郎は首を竦める。
「バディだった頃は転々としてたし、物に執着とかしないほうが良かったかもしれないけどずっと住むんでしょ? もっと住み心地良くした方がいいと思うけど…」
「お前がやればいい」
「オレ?」
 なんでと言わんばかりの顔で首を傾げられて今度は甲太郎が呆れてため息をついた。
「お前……」
 俺が言った事を忘れているのか?と言いかけて止める。その代わり別の言葉を言う事にした。
「お前の家でもあるだろ、ここは」
「えっ!」
 九龍は驚いた様子で目を見開く。
「なにを驚いているんだ」
「だ、だって」
「お前の部屋だってあっただろ」
「それは普通にゲストルームかと思ったし」
「なんで俺がわざわざ客室なんて作るんだよ」
 あまり社交的とは言えない皆守が、わざわざ客室など作るはずがない。そんな事、長く一緒にいた九龍が一番知っているだろうに。
「うそだぁ」
 信じられないと呟く九龍の目元が赤い。その反応がなぜだか可愛らしく見えて甲太郎は笑う。
「と言うことだから、お前の好きな通りにしろ」
「…うん。ありがと」
 少し潤んだ瞳が甲太郎を見つめる。赤い頬と相まってなぜだが甲太郎は変な気分になった。
 腕を伸ばして、触れた指先を頬に触れさせる。すると九龍はくすぐったそうに首を竦めた。
「んっ」
 小さく声を零して困惑した様子を見せる九龍に構わずそのまま手を彼の頬に沿わせる。けして女のように柔らかくもない頬なのに、手を離すことが出来ない。
「……こーちゃん?」
 緊張を含んだ声。紡がれるたびに動く唇。甲太郎は思わず胸中を渦巻いている疑問を問いかけた。
「お前、何で俺にキスをした?」
 瞬間、九龍の身体が強張る。
「そ…れは……」
 口ごもり、視線を彷徨わせた。甲太郎は九龍がこちを見つめ返すまで辛抱強く待つ。やがて、九龍が何かの決意を込めた目でこちらに視線を向けた。
「分からない? オレが、キスをした理由」
 逆に問われて甲太郎が答えに詰まる。
「挨拶…」
「な、訳がないのは分かっているでしょ? オレは挨拶で唇にキスはしないよ」
 今まで見たことのないような真剣な目で見つめる九龍に甲太郎はしばし黙り込んだ。
(まさか…そう、なのか?)
 本当は、挨拶じゃない可能性も考えていた。それをあえて考えなかったのは互いが男同士である事が理由だった。
(同性同士でそんな感情はありえるのか?)
 今まで思いつきもしなかった感情の種類。九龍がまさか自分に異性を想う様な感情を抱いているとは考えてもいなかった。
 九龍はもともとスキンシップは激しいほうだし人懐っこいから、甲太郎は彼の態度に特別な感情が隠されているなど思いもしなかったのだ。
「オレは、こーちゃんが好きだよ」
「九龍…」
「…別に、気持ちに答えて欲しいって思っている訳じゃないんだ。勝手にキスした事は…ごめん」
 瞳が揺らぐ。泣きそうになっていると分かったとたん、胸に切なさが込み上げてきて甲太郎は思わず九龍を抱きしめた。
「…なんで、抱きしめるの?」
「……なんでだろうな」
「こーちゃんって、残酷だ」
「わるい」
 放っておけなかったのだと口に出来なくて、甲太郎はただ無言で抱きしめ続けた。
 甲太郎にとって九龍は特別だった。それは誰がなんと言うと変わることのない事実だ。今、こうして気持ちを告げられても気持ち悪いと欠片も思わなかった。それ所か愛しくてどうにかなってしまいそうだった。
 離れて初めて分かった九龍という人間の重要性。
(俺には、九龍が必要だ)
 それはずいぶん前から感じていたことだった。だが、これほどまでに切羽詰ったものだとは思ってもみなかった。
(これが、九龍が俺に対して想ってくれている感情と同じかは分からないが……)
 甲太郎は九龍のこめかみに唇を寄せる。驚いて身を起こす九龍に微笑んで、額に目じりに頬に口付けた。
「…こーちゃん?」
 こうして、キスをしたいと思うほどには九龍を想っていることは確かだと、その驚きに緩んだ唇を塞いだ。










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