葉佩城物語2
九龍妖魔學園紀パラレル 皆守×主
 九龍と皆守が城下で出会ってから数日、九龍は大人しかった。昼の城内を文官達が主の名を呼んで探し回る事も、夜中の曲者の正体が主だと知って武将達が肩を落とす事も無く、秋の夜長は只静かに更けていた。
 何処からか琴の音が聞こえる。誰が弾いているのか分からないこの琴の音。近付くと音色はピタリとやんでしまい、辺りを見ても人がいた形跡は無いと言う。琴の音が聞こえる夜は何か怪しい声が聞こえるとも言われ、何時の間にか出来上がった怪談話がまことしやかに噂されていた。
 欠けていく月の下、蝋燭を立てた机で、皆守は難しい顔で読書をしていた。彼は将軍であると同時に、戦が起これば主と共に作戦を立てる役も担っている。平素は怠惰だが、不穏な情勢を察知すれば陰で機敏に活躍する男だ。そんな皆守が今、昼夜問わず真剣に熟読している本がある。その名も『世界のスパイス図鑑』。
「世界は広い、か……。」
 もう幾度目になるのか、この本を渡された時に言われた言葉を、皆守は噛み締めるように呟いた。
『宝ってのは、蔵で風化するより、相応しい人の手元にあるべきだと思うんだ。だからあげるよ。これ見ても分かるけど、世界って広いんだよ。』
 あの翌日。わざわざ皆守の執務室に来た九龍は、そう言ってこの本を置いていった。暗に、『だから城の中でじっとしてるなんて無理』と言いたいのかもしれないが、その気持ちは分からなくもないと感じてしまった。この本を見れば、誰もがスパイスを求めて旅立ってしまいたくなるだろうと確信してしまったからである。
 産地、生産時期、味の特徴等、ありとあらゆる調味料について詳細に記されたその本を閉じ、皆守は立ち上がった。何となく機会を逃していたが、今日こそ九龍に礼を言いに行こうと決意したのだ。執務中は何時も誰かが側に居て、あの翌日も普段と変わらず接してくるものだから、怒鳴った非礼の詫びさえ言えずにいる。
 もう寝ているかもしれないと思いながら、九龍の寝室を目指し、皆守は長い廊下を歩いた。
「…………ッ!」
 突然、声にならない声が聞こえ、中庭を挟んだ向こうの廊下に目をやった。其処は将軍達の執務室が並んでいる。それぞれ私邸は持っているが、ここ数日の皆守の様に、仕事や勉学に勤しむ者が執務室の奥の寝室で寝泊まりする事は珍しくなかった。明かりの消えたその中の一室、僅かに開かれた扉の隙間から、白い手が伸びていた。子供の手では無いが、大人が立っているにしては低い位置。まるで死に際の人間が何かを求める様に必死に空を彷徨っている。
 皆守の背中を冷たいものが走り、思わず後退った。『葉佩城七つの怪談』。そんな言葉が頭をよぎる。その中の一つに、夜中の白いナントカと言うのが有っただろうか、無かっただろうか。
 いいや嘘だ、あれは幻か何かだ、そういえば俺はスパイス図鑑に夢中になるあまり睡眠不足だった。そもそも何で怪談話ってヤツは何時も七つなんだ。その時点で既に胡散臭いじゃないか。そうだ、寝不足の所為で幻覚を見てるんだ。実際には俺は何も見ていない。部屋の外を歩くなんてどうかしていた。ああ、やっぱり今夜は眠るのにいい月夜だぜ。
 必死に言い聞かせてぎこちなく方向転換し、機械の様に歩き掛ける。だが再び聞こえた微かな声に、皆守の足は止まった。
「こ……う、助けッ……こーたろ……!」
 皆守の心臓が大きく跳ねた。幽霊に名を呼ばれる事はしてない筈だ。確かに戦場に出た事は有るが、昼寝とカレー作りに夢中で結果的に職務放棄になる日は多々有るが、だがこんな風に、しかも城主の声で……。……城主の声で?
 ハッとした皆守は、欄干を乗り越えて中庭を突っ切り、その部屋の扉を勢いよく開けた。
「うわッ。」
 闇の中に、大きな白い顔が浮かんでいた。皆守は思わず肩を震わせたが、しかし直ぐに状況を見て取った。開け放たれた扉から月明かりが差し込み、四つん這いが更に崩れたような情けない姿勢で手を伸ばす九龍がぼんやりと照らされている。その上に伸し掛かるようにしている、妙にくねった体もまた、ぼんやりと照らされていた。よく見れば、その顔にはパックが塗られている。
「……………。」
「……あ、あ〜ら……。貴方もビューティーハンターの教えを乞いに来――」
「ああっ、天の助け!」
「ぶふぉおうっ!」
 慌てた白い顔が高笑いのポーズを作ろうとする。その語尾を掻き消すように九龍が叫ぶ。怒りマークを露わにした皆守が自称ビューティーハンターを全力で蹴り飛ばす。それら全ては、同じ瞬間の出来事だった。曲がりなりにも城主に何をしているのか、という事よりも、驚かせやがってこの野郎的な怒りの方が強かったのは勿論である。
 皆守が九龍の腕を掴んで立たせようとするが、気力と体力を激しく消耗したのか、上手く力が入らないようだった。内心舌打ちしながら、しかしやはり引き摺るわけにもいかず、皆守は九龍を抱き上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。
「こっ、甲太郎?!」
「文句があるなら放置する。」
「いやホント此処だけは勘弁して下さい。」
 即答して首に縋り付く九龍は思ったよりも筋肉質で、見た目に反して武術の腕もあるのだろうと思われた。だがそれなら何故あんなオカマ将軍に押されるのか。皆守に怒りが込み上げる。
「城主が部下に押し倒されてどうするんだ。俺が通り掛かったから良かったものの。大体、危機管理が無さ過ぎるんだよ。だから自覚しろって言っただろ。」
「うん。はい。ごめんなさい。」
 九龍はくすくす笑いながら、足音も荒く歩く皆守を見つめて頷く。
「何笑ってんだ。いいか、何処かに行きたいなら護衛くらいつけ……。」
「つけたらいいの?」
 漸く自分の言葉遣いに気付いたのか、慌てた顔で皆守は立ち止まって九龍を見た。
「あー、いや……殿の外出は……。」
「今更そんな口調、無しだよ。そんな風に言うなら、毎日だって抜け出すからね。それで毎日甲太郎に仕事押し付けるからね。」
 拗ねた様に上目使いに睨む九龍に皆守は直ぐに返事を返す事が出来無かった。不覚にも見惚れてしまったのだ。不服そうに結ばれた唇。月明かりにきらりと光る黒い瞳。涼しい夜風にさらりと揺れる髪。破天荒な性格によく似合う、笑えば無邪気な顔。何時の間にか『皆守』ではなく『甲太郎』と呼ばれているのに、それが嫌じゃない。
「皆の前がダメなら、二人の時はタメで喋ってよ。甲太郎とは主従抜きで付き合いたい。……ダメ? 甲太郎は、俺の事“殿”にしか見れない?」
「そんな事は無いさ。自覚は持って貰わなきゃ困るけどな。」
 気付いた時には、もう返事をしていた。
「やった! 大丈夫、今度からは甲太郎を護衛にするから。」
 結局、九龍の望みは全て通ってしまった。溜息をつき、皆守は再び歩き出す。この侭では、どんな我儘も通してしまいそうだと気を引き締めた。
「ねぇ、甲太郎。今は二人なんだし、九龍って呼んでみてよ。ほらほら。」
 両足をぶらぶらさせて楽しそうに言う九龍に少しの悔しさを覚え、皆守は初めて主の前でニヤリと笑うと、顔を寄せて息を吹き込むように耳元で低く囁いた。
「大人しくしてないと抱いててやれないぞ、九龍。」
 九龍は夜目にも分かる程顔を真っ赤にし、ピタリと大人しくなると、力が抜けたように皆守の肩に頭を乗せる。それは反則だ、という呟きに更に上機嫌になりながら、皆守は九龍を寝室に運んだのだった。










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